【あなたは何しに?】フランスの名俳優ジャン=ポール・ベルモンドの血を引く元F1ドライバーに遭遇

2019年7月11日(木)7時30分 AUTOSPORT web

 F1シーズンを転戦していると、いろいろな人との出会いがある。今回は、フランスの名俳優であるジャン=ポール・ベルモンドの血を引いている元F1ドライバーの、ポール・ベルモンドをご紹介。
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 ポール・リカール・サーキットのパドックで、珍しい人に再会した。1990年代にF1に参戦していた、ポール・ベルモンドである。といっても、よほど熱心なF1ファンでなければ馴染みのない名前かもしれない。なにしろマーチやパシフィックなど当時の零細チームに所属し、計27戦に出場したものの予選通過はわずか2戦、いずれも完走できずという記録しか残していないのだから。


 ベルモンドはアイルトン・セナやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセルらがしのぎを削る当時のF1で、ほとんど注目を集めることなく、94年末にひっそりとF1の世界から去って行った。


 それなのに、なぜ僕がポールのことをいまもはっきり覚えているかといえば、彼がフランスを代表する名俳優であるジャン=ポール・ベルモンドの息子だったからだ。遠い遠い青春時代に『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』、『薔薇のスタヴィスキー』、『リオの男』などなどを浴びるように観ていたことが、僕をフランス映画好きにさせ、ひいてはその後長くフランスに暮らすきっかけにもなった。


 なのでポールがF1デビューした際には、彼には申し訳ないと思いつつ、お父さんのことばかり尋ねてしまった。それでもポールは嫌な顔ひとつせず質問に答えてくれて、その人柄の良さだけでもピラニアだらけのこの世界で生き残るのは難しいだろうと心配になり、第2の人生に幸多かれと祈ったものだ。


 しかしその後のポールは自らのレーシングチームを立ち上げ、GT選手権やパリ・ダカールラリー、ル・マン24時間レースに毎年のように出場するなど、違うカテゴリーでのドライバー人生を花開かせた。さらに現役引退後は、舞台に活躍の場を移したお父さんを追って演劇の世界にも足を踏み入れ、俳優や劇場支配人として活躍した。僕の心配など、まったく余計なお世話だったのだ。


 ほぼ四半世紀ぶりに再会したポールは、白髪こそ増えたものの相変わらずカッコよかった。そして何より、お父さんにそっくりになっていた。ミーハーな僕はさっそく2ショットを撮ってもらい、お父さんの近況を訪ねる気持ちを抑えきれなかった。ジャン=ポールは10年以上前に脳梗塞を患い、手足が不自由になっていたからだ。


「すごく元気にやってるよ。さすがにもう役者はできないけどね」と、ポール。彼の3人の息子も、長男が俳優、次男がシェフ、そしてまだ学生の三男も、「おそらく演劇の道に進むと思う」とのことだった。

10年前の2009年6月、お互いの娘のバレエ発表会で遭遇した、あこがれのジャン=ポール・ベルモンド


 ポールの祖父にあたる、ジャン=ポールの父は高名な画家であり、ひ孫たちはいずれもその創造的な血を引いたのだろう。


 ちなみにポールという名前は、祖父の名前から父(ジャン=ポール)が付けたのだった。ではポールも息子の1人に、ジャン=ポール・ベルモンドと命名したと聞いてみたが、「いや、それはしなかったよ」と、ポールは笑いながら答えるのだった。


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