松坂大輔にとって「近くて遠かった金メダル」。アテネで寝られず悔やんだ、たった1球の失投

7月15日(木)10時55分 Sportiva

松坂大輔 オリンピック壮絶秘話(後編)

 日本の野球界がオールプロで初めて臨むことになった2004年のアテネ五輪。松坂大輔はまたもエースの役割を託される。

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「こうなったら世界一へのこだわりは出てきますね。世界へ出てレベルの高い選手を見れば、自分も負けられないと思うでしょうから......何が何でも金メダル、持って帰ります」

 アテネ五輪の野球は、世界最強のキューバ、メジャー経験者を揃えたカナダ、アジアの脅威と囁かれた台湾など、侮れない相手が並んでいた。そんななか、松坂は準決勝から逆算した2試合の先発が予定されていた。


2004年のアテネ五輪、準決勝のオーストラリア戦で好投する松坂大輔
 松坂が大野豊投手コーチから、まず予選リーグのキューバ戦の先発を告げられたのは、直前合宿を行なっていたイタリア・パルマでの練習中のことだった。大野は言った。

「大ちゃんはキューバだからね。頼むよ」

 そう告げた瞬間の松坂の表情が忘れられないと、大野は言っていた。

「アイツ、心底、うれしそうな顔してましたね」

 2度目のオリンピック、シドニーの雪辱、そして野球人生初となる世界最強のキューバ戦──松坂にはアドレナリンが吹き出す条件が整っていた。実際、キューバ戦のマウンドに立った松坂のストレートはマックスで154キロを記録。インコースは詰まらせ、外のボールには手を出させない、圧巻のピッチングを披露する。4回ワンアウトまでキューバ打線をノーヒットに抑えていた。

「僕、集中している時って周りがよく見えるんです。あの日も周りが見えまくっていました。スタンドの人も見えていましたし、声もよく聞こえたし......キューバのバッターも球際に強い感じはしましたけど、気を抜かなきゃ大丈夫かなって感じでした」

 ところが次の瞬間、まさかの出来事が松坂を襲う。

 松坂の投げたアウトコース、やや低めの151キロのストレートを、キューバの3番を打つ20歳の主砲、ユリエスキ・グリエルが強振した。弾丸の如き打球がマウンドの松坂を襲う。

 あれっ、打球が、来ない。

 一瞬、そう思うほど、その時の松坂にとっては長い間があったのだという。

 捕れる......いやっ、ダメだ、間に合わない。

一瞬、グラブが反応したものの、ほぼ同時に体を右に捻って顔に当たらないよう、打球から逃げるのが精一杯だった。ボールから目線を切ったほんの0.0コンマ数秒の時間が松坂にはとてつもなく長く感じられたのだ。

 当たるっ......覚悟して、身を固くした。その直後──。

 ペシッ。

 松坂には、そう聞こえた。右ヒジの上、右肩の下。これを不幸中の幸いというのはあまりに酷だ。ヒジや肩を直撃していたら絶対に投げられなかった。それどころか投手生命さえ断ち切られていたかもしれない。ただ、二の腕の筋肉組織は破壊され、普通に考えたら投げられるはずのない松坂の耳には、ベンチ裏で誰彼となく叫ぶ声だけが響いていた。

「大丈夫か、無理すんな」

「大丈夫です」

 反射的にそう答えた松坂ではあったが、じつは何が大丈夫なのか、自分でもよくわかっていなかった。

「興奮状態だったから痛みを感じなかったんじゃないかって言われましたけど、そんなはずはない、痛かったです(苦笑)。上腕がマヒして感覚がなかったし、指先もマヒしていたのでだいたいの感じで投げたら、最初はスライダーも抜けた。あの状況でインコース、まっすぐのサインが出たら、それも抜けてバッターの頭にぶつけるかもしれなかったわけで、そりゃ、怖かったですよ」

 そう振り返った松坂の右上腕には紫色のアザがくっきりと残っていた。それでも悲運の降板にならない、いや、そうさせないところがいかにも松坂らしい。打球直撃のおかげで『逆境』という要素が加わり、松坂のピッチングはさらに見るものの心を震わせた。

キューバを相手に8回までゼロに抑えるピッチング。日本はオリンピックで5戦全敗だったキューバを相手に、ついに初勝利をもぎ取ったのである。ウイニングボールを手にミックスゾーンへ引き上げてきた松坂は「なんとでもなる、なんとでも......」と言って、ニヤッと笑った。

 しかし、アテネでも悲願の金メダル獲得は叶わなかった。準決勝に先発した松坂は、8回途中までオーストラリアを1点に抑える。もちろん右上腕の痛みもあった。アドレナリンが出た状態で続投したキューバ戦と違って、ゼロからエンジンをかけなければならなかった準決勝では、その痛みが邪魔をすることはわかっていたはずだ。それでも松坂は前半から飛ばし、ストレートはマックスで160キロを叩き出すなど、5回までに10個の三振を奪った。

 それが5回あたりから、明らかにボールが抜け始める。1失点は6回表のツーアウト1、3塁からスライダーを打たれたライト前へのタイムリー。相手のピッチャーが好投していたとはいえ、まさかその1点に泣くとは思いもしなかった。

「あの外へのスライダーだけだったと思えば思うほど悔しくて、寝られなくて......でも、まだ明日がある、明日は(和田)毅が投げる。4年前のシドニーでは自分が3位決定戦で投げる立場だったんだから、しっかり応援しなきゃって......それで寝ようと思えたんです」

 3位決定戦、日本はカナダを下した。そしてその後の決勝戦をスタンドで観戦し、キューバの金メダルを見届けた松坂は、銅メダリストとして表彰式に参加した。唯一の黒星をつけ、ねじ伏せたはずだったキューバの国歌を聴きながら、松坂はメインポールの隣にあがる日の丸を見つめていた。

「キューバの選手の首にかける金メダルが、僕の目の前を横切ったんです。上原(浩治)さんと『いいな、いいな、これ、取っちゃおうか』って言ってたんです(笑)。銅メダルは意外に小っちゃかったですね。金だと大きく見えたのかなぁ。近くて遠かったな、金メダル......」

 たった1点、されど1点──松坂はその1点を取られてはいけないピッチャーだった。そして日本は敗れた。それでも彼は日本のエースとして、最後までファイティングポーズを崩すことなく、265球を投げ切った。松坂は2度のオリンピックで、期待された金メダルを獲ることはできなかった。

 しかしその後、2006年に行なわれた第1回のWBCで、松坂はMVPを獲得し、日本を優勝へと導いた。「最強のエース、松坂大輔」と綴った14歳の夏から思い描いてきた、日の丸のユニフォームを身に纏っての世界一。松坂は25歳の春、ようやくど真ん中でその座をつかみ取ったのである。


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