『スカイラインGT-R(BNR34型/2001年)』さらなる空力改良も2年連続で逸冠を喫す【忘れがたき銘車たち】

2024年7月16日(火)7時36分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2001年の全日本GT選手権(JGTC)を戦った『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR34型)』です。


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 1999年シーズンよりBNR34型へとモデルチェンジ。結果、BCNR33型ラストイヤーの1998年に続いて、全日本GT選手権(JGTC)GT500クラス連覇を達成したニッサン・スカイラインGT-R。


 しかし導入2年目となる2000年は、1999年モデルをベースにエンジンの搭載位置低下や軽量化など大幅な改造を施してポテンシャルアップを図ったが、タイトルはライバルのホンダNSXに奪われてしまい、王座防衛とはならなかった。そこでチャンピオン奪取を狙い、翌2001年モデルのR34 GT-Rにはさらなる改良が加えられた。


 伝統の直列6気筒エンジン、RB26DETTを含めた車両全体の軽量化は2000年モデルにおいてすでに限界と言えるほどにまで突き詰められていたため、2001年モデルでは特に空力面の開発が重点的に行われた。


 そのなかで大幅に見直されたのがアンダーパネルで、燃料タンクやミッションの下面をカバーするカーボンのパネルを新たに製作。さらにデフを高い位置へと移動し、トランク下に広いスペースを確保。さらなるドラッグの低減を狙った。


 いざ、2001年シーズンが始まるとTIサーキットでの開幕戦こそザナヴィ ニスモGT-Rが4位に入るに留まったが、500kmという長丁場だった第2戦の富士スピードウェイ戦ではザナヴィが3位、ペンズオイル ゼクセルGT-Rが4位に入り、好結果を残していた。


 続く第3戦のスポーツランドSUGO戦においては、決勝でこそカルソニックスカイラインのみが7位に入賞というリザルトではあったが、予選ではペンズオイルが4番手グリッドを獲得。


 不得意とされていたSUGOにおいて、それまでライバルに対して劣勢とされていた予選で他車と遜色ない力を発揮した。


 開幕から3戦を終え、ポイントは稼ぐも勝利がない状態だったが、第2戦に続いて再び富士スピードウェイが舞台となった第4戦では、ザナヴィがシーズン初勝利を記録。2位にもペンズオイルが入り、R34 GT-Rが1-2フィニッシュを達成した。


 これはこのラウンドより新規導入された排気量がわずかに上がり、出力向上に加えて燃費とレスポンスが改善した新エンジンと、2001年モデルで改良された新アンダーパネルがようやく真の効果を発揮した結果でもあった。


 その後、ペンズオイルが鈴鹿サーキットでの第6戦で3位、MINEサーキットにおける第7戦では2位と2度表彰台を獲得するも、ランキングではトップから5点差の4位に終わってしまう。


 こうして2年連続でタイトルを逃してしまったR34 GT-R。実はこのとき、すでに新エンジンの開発がスタート。翌年に向けいよいよ最大のネックでもあった直6をポテンシャルアップのため、“捨てる”決断をすることになっていくのだった。

2001年の全日本GT選手権第4戦富士スピードウェイを戦ったペンズオイル ゼクセルGT-R。エリック・コマスと影山正美がステアリングを握った。
2001年の全日本GT選手権最終戦MINEサーキットを戦ったカルソニックスカイライン。星野一義と本山哲がドライブした。


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