飯倉大樹の「マリノス愛」は永遠に。神戸移籍への覚悟、人生を共に歩んだ「家」と涙の別れ

7月30日(火)12時50分 フットボールチャンネル

まさかの移籍。運命的なラストゲーム

 横浜F・マリノスを長きにわたって支えたGK飯倉大樹が、ヴィッセル神戸への移籍を決断した。スクール時代から約四半世紀、マリノスとともに生きてきた守護神は「家」を離れる。その背景にある思い、そして覚悟とはいかなるものだったのだろうか。(取材・文:舩木渉)

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 2018年12月、飯倉大樹はイングランドにいた。マンチェスター・シティを訪問し、ブラジル代表GKエデルソンとも対面。現地でプレミアリーグを生観戦し、サッカー観が変わるような体験をした。そのことを今季のJリーグ開幕前に、うれしそうに話していたのをよく覚えている。

「あっちはみんなが勝つためにやっている。ペップ(・グアルディオラ)だっていいサッカーをしていても、勝たなければ結局評価されない。サッカー選手のステータスがめちゃくちゃ高くて、いい意味でいうとすげえリスペクトしてくれるし、悪い意味でいうと負けたら街中で飯とか食えないくらい。それが一番イングランドに行って衝撃的だった。勝たないと許されない。勝つことへの貪欲さはすごく感じたね。この経験は、今後のプレーにもかなり影響するかもしれない」

 横浜F・マリノスの2018年は、苦しみの連続だった。アンジェ・ポステコグルー監督の下で大胆なスタイル転換に挑む中で、なかなか結果が出ず残留争いにも巻き込まれた。飯倉は攻撃的な新戦術の中で、斬新とも言えるプレースタイルを貫き、チームの象徴的な存在となっていた。

 2019年も当然のように欠かせない存在として貢献していくだろうと誰もが予想していただろう。ゆえに、あの取材から約半年でまさかマリノスを離れることになるなど、想像もしていなかった。マリノスのスクールに入ってから現在まで約四半世紀、ほとんどの時間を愛着あるクラブで過ごしてきた守護神は、ヴィッセル神戸への完全移籍を決断した。

 そして、マリノスでのラストゲームは模範にしてきたシティとの試合に。「運がいいのか、悪いのかはわからないけど…」と本人は言うが、どこか運命的なものを感じる。前日の練習後の囲み取材では涙ぐみながら「長かったなあ…マリノスで20年以上、育成からやってきて、こんな日が来るんだなあと思ってます。よく記者会見で泣くやつ、わかるなぁ」と感慨深げに、移籍に至った思いを語っていた。

 前日の時点で涙腺は決壊寸前に見えたが、「俺は絶対に泣かない!」と宣言してもいた。でも、その場にいた全員の頭の中に、飯倉の号泣する姿がはっきりとイメージできていただろう。

「一番怖いのは、明日試合に出た時に感慨深くなっちゃうかもしれないこと。1人でうるうるしちゃったり。監督に言ったよ。『もし出すんだったら、俺前見えなくなるかもしれない』って。そうしたら笑ってたもん。シュート打たれて入っちまったら、完全にそう思って。(涙が)土砂降ってたって。ワイパーなしだから」

「もし時間を巻き戻せるんだったら…」

 シティ戦当日、飯倉の“堤防”はあっさりと決壊した。土砂降りもいいところ、大洪水だ。

「もう俺、スタジアム入ってきた時点で泣いてたよ。オガ(緒方圭介ホペイロ)が俺がいつも使っているロッカーに、本当にきれいに準備してあるのを見て、それだけで涙が出てきた。開始15秒くらいで泣いていたね。マリノスのホペイロはパーフェクトだよ。

シン(山崎慎=元ホペイロ、現主務)とオガとやっているけど、こいつらは何も言わなくても、全てを選手のために捧げていた。当たり前のように受けていた、それも今日が最後だと思うと当たり前のようで当たり前じゃなかったなと思うし、死ぬわけじゃないんだけど、マリノスにいた過去、苦しかったことや楽しかったことが走馬灯のように一気に蘇ってきちゃって、涙が出ちゃった。あまりにもきれいすぎて『写真撮っておけ』ってオガに言ったら、泣いてる俺の写真を撮ってやがった、あのバカ(笑)」

 ウォーミングアップに出てきた際、スタンドから降り注いだマリノスのファン・サポーターからの大声援を感じて、また涙が出た。試合後、ピッチの周りを歩いてゴール裏にたどり着く前にも涙があふれ出た。取材エリアに現れた飯倉の第一声も「もう号泣です、今日は。泣き疲れました」だった。

「本当にいいチームだった……『だった』じゃない。いいチームだよ。いいチームだから離れるのは寂しいなって。もし時間を巻き戻せるんだったら、マリノスに残っていたかもしれないし、わからないな。でも巻き戻したらまた悩むから、巻き戻らなくていいんだけど。いいチームにいられて幸せでした」

 33歳のGKがシーズン途中に出場機会を求めて移籍する。今季は序盤こそレギュラーとしてゴールマウスに立っていたものの、失点がかさむ中で新加入のパク・イルギュに定位置を奪われ、苦しいシーズンを過ごしていた。

 だが、「俺は(杉本)大地とか(原田)岳とか、パギ(パク・イルギュ)にも『俺を早く抜いてくれ』とか『俺を追い出すような存在になってくれ』と言っていて、それがチームのためにもなるし、彼らの人生もそれが一番豊かになる。そこに辛さとかはあまりなくて、本当に彼らの人生も含めて豊かになって欲しかった」と出場機会を得られない状況でも妬みなどネガティブな感情は一切なかった。

 それでも、ロッソ熊本(現ロアッソ熊本)へのレンタル移籍期間を除いてマリノス一筋だった背番号21は、ベテランになってもあえてチャレンジする道を選んだ。神戸からオファーがあったのはつい最近のことだったという。そこから時間のない中で悩み抜いて、愛するクラブを去る決断を下した。

「いろいろな人に後押しされて『行きます』と言ったけど、そう言ってからクラブ間の合意まで本当に長かったら、俺もう死んでたと思う。干からびていた。寝れないし、心ここに在らずとはまさにそんな感じで、何て言うんだろう…練習も涙ぐんじゃうくらい、『(マリノスを)出ちゃうの? 俺』みたいな。シゲさん(松永成立GKコーチ)の蹴っているボール見れねえよっていうのが2、3日くらいあって。だから早く決まってくれて、『もう行くんだ…』という気持ちと、『寂しい…』という気持ちと……うつ病です。一時的なうつ病、本当に(笑)」

仲間たちに背中を押されて下した決断

 冗談めかして笑うが、そこには相当な葛藤があったことは想像に難くない。決断を迫られる状況で、移籍と残留の間で心が揺れ動くのを、後押ししてくれたのは共に戦ってきた仲間たちだったと、飯倉は言う。

「自分自身でこの移籍を決めたわけじゃないというか、それは語弊があるんだけど、俺だけで考えていたら、やっぱりちょっと行けなかったかなと思っていて。このオファーをもらった時に、いろいろな先輩に相談したし、チームメイトにも相談したし、その時のみんなのいろいろな言葉が俺を押してくれて、決断することができた。今はマリノスの選手としてそれが本当に正しかったのか、毎日自問自答しているし、『眠れないって本当にあるの?』と思っていたけど、本当に寝れないし。

でも、サッカー人生が終わった時に自分に何が残っているかって、やっぱり常にチャレンジしたとか、大切な仲間が近くにいてくれたとか、そういうのが大事だと思うし、だから今は毎日迷っているというか、『迷っている』という言い方はおかしいんだけど、寂しさがあって寝れないという感じだけど、そんな中でもチャレンジすることを選びました。みんなのおかげです」

「本当に(栗原)勇蔵くんとか、タカ(扇原貴宏)とか(大津)祐樹とか、ワダタク(和田拓也)とか、近い歳の選手にもそういう話をして、他にも俊さん(中村俊輔)にもしたし、いろいろな人が背中を押してくれたし、もちろんシゲさんにもそれは伝えましたけど、シゲさんも俺の考えを尊重すると言ってくれたし、結構10人、20人近くはいろいろな話をして、みんな『まだまだお前はピッチに立ってやるべきだ』って言ってくれたので、もうちょっと頑張ってみようかなって思いました」

 神戸への旅立ちを決断するにあたって、最も心の中で引っかかったのは、やはりマリノスへの「愛」だった。飯倉は移籍を考える中で気づいた。「当たり前のようにマリノスがあり、当たり前のように皆さんがいて、移籍を決断したからこそ、本当にサポーターの温かさを感じています」と。

 ファン・サポーターの前で話をする内容は事前に全く考えていなかった。「こうして温かさに気づけたことだけで、移籍を決断して良かったと思っています。マリノスが大好きで、みんなが大好きで、何よりこのチームメイトが大好きです」。その場で出てきた彼のまっすぐな思いが、あの10分以上にわたるスピーチに詰まっていた。

根っこにあるのは「マリノス愛」

「『マリノス愛』って言ったらすごく簡単なんだけど、33歳で、俺がマリノスのスクールに行ったのが9歳で、本当に(人生の)3分の2以上をこのマリノスと一緒に歩んできて、朝起きて歯磨きするように、朝起きてご飯を食べるように、当たり前のように俺のそばにはマリノスがあった。

辛くても、苦しいなって思っても、今考えればずっとマリノスがいてくれたから、そのありがたみというか、本当にマリノス愛というか、決断するにあたって一番はみんなのもとを、こんなにいいチームになったもとを離れるというのが一番心残りだったかな。みんなとタイトルを獲りたいという気持ちが一番強かったし、うん…それが簡単に言うと『マリノス愛』かな」

 マリノスのファン・サポーターはゴール裏に「仲間であり家族 飯倉大樹の帰りを待ってるぜ」という横断幕を掲げた。下部組織時代から四半世紀にわたってクラブの発展に貢献してきた功労者を、精一杯の感謝とエールで送り出した。その思いは、飯倉にもしっかりと届いている。

「本当に俺の家というか、これが正しい言い方かはわからないけど、家ってここだと思っているし、プロに入ってから、クソガキで、調子こいていたやつが、サポーターの前で変な態度とったりとかさ。それで病気したり、応援してもらったり、いろいろなことがあって、それでもああやって温かく、家族だ、仲間だと言ってくれることは本当に嬉しかったし、自分らしく生きてきて、みんなにそうやって言われたことが本当に嬉しかったなと、今でも思っています」

 前日にはこんなことも言っていた。

「人の温かみをすごく感じられた移籍だったから、その時点で俺はいいのかな。昨日も送別会でみんなで飯食ったりして、そういうことをしてくれる仲間がいて、自分がやってきたことが間違いじゃなかったんだなと思ったし、もっと人に尽くそう、人を大事にしようと思ったよね。そう思っただけでも、この移籍はOKだったと思って行ってきます。

もう出て行く身だから。引退まではこのクラブを離れる、そういう気持ちで。『帰ってきたい』というのは自分の甘えになっちゃうから。みんなは『帰ってきてくれ』って言うけど、俺がいなくてもチームは動いていくし、成長して変わっていくし、そこに俺の居場所はないけど、もしそれでチームが本当に必要だと言ってくれたら、何も関係なく帰ってきたい。お金とか、立場とか、そういうのじゃなくて、ただ単にマリノスで働いているみんなとか、マリノスというクラブが好きだから、やっぱり。自分を育ててもらったクラブには本当に愛着しかないなって、今思います」

「引退まではチャレンジしていきたい

 あえて「家」とも言えるクラブを離れることが、正解だったかは飯倉本人にも、他の誰にもまだわからない。その正解は彼自身がこれからのチャレンジの中で見つけていくものだ。できれば最後まで後悔のない挑戦を続けて欲しいと、心から願っている。トリコロールの魂を胸に秘めた33歳の覚悟は、その言葉の端々から伝わってきた。

「本当はマリノスでサッカー人生を終わらせられたらと思っていたし、試合に出なくなってから、契約を全うして引退してもいいかなって本当に思っていた。みんなの後押しで神戸に行くって決めた以上、やっぱりここを離れてやる以上、神戸には自分の全てを出そうと思うし、全てを出しながら向上して、それでもダメだったら引退を考える。

サッカー人生を終えた時に、あの時、今このタイミングで、このオファーを受けずに引退した時に、『あの時移籍しておけばよかったな』とか、そういう心残りを残したくなくて、もしかしたら神戸に行って、マリノスが良かったなと思うかもしれないけど、それは出てみないとわからないことで、本当に神戸で良かったって思うこともあるし、それは引退する時にしかわからない。

何か自分でアクションを起こして失敗したなら受け入れられるけど、いつも消極的に、ネガティブにいこうとしていて絶対にいい結果は生まれないから。そういう意味でも決断して、引退まではチャレンジしていきたいなと。(33歳は)引退を考える歳だけど、とりあえず神戸が出してくれた契約年数は精一杯頑張って、その中で引退なのか現役続行なのかを考えたいし、でもそこには一切妥協はしたくないので、そういう決断をして、引退までやっていこうかなと思っています」

 マリノスでの最後の試合を終えた飯倉の表情は晴れやかだった。取材を終えるときの言葉は「いってきます」。愛するマリノスの優勝のために上位陣を「叩き潰しておくよ!」と高らかに宣言もした。

 神戸でも本当にGKかと疑うほど前に出て、ときにはドリブルをして観客を沸かし、ちょっとした悲鳴の後にハーフウェーライン上で平然と水を飲む、そんないつも通りのクレイジーな飯倉の溌剌とした姿を見られるだろうか。新しいチームで斬新すぎるファッションが浮かないかちょっと心配だが、1人でしょんぼりしている背中は見たくない。

 まずは「アンドレス」と仲良くなれることを願って。また、スタジアムで笑顔で会える日を楽しみに。

(取材・文:舩木渉)

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