『マツダMXR-01』輝かしい栄光の後に生まれたマツダの“非ロータリー”Cカー【忘れがたき銘車たち】

2023年8月1日(火)8時46分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1992年のル・マン24時間レースなどを戦ったグループCカー『マツダMXR-01』です。


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 1991年、日本車として初めてル・マン24時間レースを制した『マツダ787B』。ロータリーエンジンが挑める最後のル・マン(後にもう一度参戦可能に)で掴んだその功績は、日本のみならず世界でも称えられ、100周年を盛大に祝った今年のル・マンにも歴代優勝車の1台としてデモランを行っている。


 そんな『787B』で優勝を手にしたマツダは、その翌年の1992年のル・マンにも挑戦をしていた。そのときに参戦マシンが今回紹介する『マツダMXR-01』だ。


 『MXR-01』は1991年のル・マンの後、1992年から3.5リッターNAエンジンを搭載する新規定グループCカーで競われるスポーツカー世界選手権(SWC)に参戦するために開発されたマシンだった。


 開発にあたってマツダは、その前年である1991年にSWCで脅威の速さを見せた『ジャガーXJR-14』をベースに選択した。前回の連載で、『XJR-14』をベースにする『TWRポルシェWSC-95』をお届けしたが、この『MXR-01』もまた、『WSC-95』の誕生より3年前に『XJR-14』を再活用して生まれた“派生車”だったのだ。


 『XJR-14』のシャシーに組み合わせるエンジンには、ジャッドがF1用に開発したV型10気筒エンジンの「GV」を選択。このジャッドGVはそもそも信頼性の低いユニットだったが、それをベースにマツダが『787B』までの活動で培ったノウハウを活かして24時間を走り切れるエンジンへと進化させた「マツダMV-10」を作り上げて搭載した。


 こうして誕生した『MXR-01』だが、SWCでも日本国内の選手権である全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)でも目立った戦績は残せずに終わっている。そんななか輝きを一瞬見せたのが、ル・マン24時間レースだった。


 この1992年のル・マンには2台の『MXR-01』が送り込まれていたのだが、そのうちジョニー・ハーバート、フォルカー・バイドラー、ベルトラン・ガショーという前年の優勝クルーが搭乗する5号車が予選で7番手タイムをマークすると決勝レースでもスタートから快走を見せる。


 雨が降り、ウエットコンディションとなるなか、スタートドライバーを務めたバイドラーがハイダウンフォースのマシンセットも味方につけて、本命と目されていたプジョーをもかわして、一気にトップへと立ったのだ。


 トップの座を譲ったもののしばらくはプジョー勢の間に入って2番手のポジションを守り、争っていたが朝を迎えてからのピットストップでシフトリンケージが外れるトラブルでタイムロスを喫し、4番手に落ちるとそのポジションを守ったままチェッカーフラッグを受けた。最終的には4位だったものの、序盤の快走劇はこの年優勝のプジョーを大いに慌てさせるものであった。


 その後、JSPCやSWCのレースを戦った『MXR-01』は1993年に向け、マツダスピードとマツダによる構想を盛り込んだモディファイを加えて、さらなる進化を遂げる予定だった。


 しかし、マツダが同年にル・マン活動の終了を発表。結局『MXR-01』は、この年限りで現役を退くことになったのだった。

1992年のル・マン24時間レースを戦ったマツダMXR-01の6号車。マウリシオ・サンドロ・サーラ、従野孝司、寺田陽次郎がドライブした。
1992年のスポーツカー世界選手権第2戦シルバーストンで2位に入ったマツダMXR-01。マウリシオ・サンドロ・サーラ、ジョニー・ハーバートがステアリングを握った。

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