平野早矢香が振り返る卓球界初のメダル。試合前日の夜に「無理です」と答えたまさかの変更

8月1日(日)6時40分 Sportiva

日本女子卓球初の五輪メダリスト
平野早矢香インタビュー 前編
 シングルスで全日本選手権3連覇を含む5度の日本一に輝くなど、長きにわたって日本女子卓球界のトップでプレーした平野早矢香。2012年ロンドン五輪の女子団体では、卓球競技として男女通じて初となる銀メダルを獲得。引退後は競技の普及活動を行ないながら、スポーツキャスターやニュース番組のコメンテーターとしても活躍している。
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 昨今、日本の卓球勢は「五輪のメダル候補」と言われるようになったが、1980年代から2000年代にかけては不遇の時代が続いていた。その中で、福原愛石川佳純とともにメダル獲得の偉業を成し遂げた背景には、どんな苦労やエピソードがあったのだろうか。
インタビュー前編では、過去を振り返ってもらいながら、ロンドン五輪で表彰台に上がるまでの道のりを聞いた。

ロンドン五輪で銀メダルを獲得した(左から)福原愛、平野早矢香、石川佳純 photo by Kyodo News
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——平野さんは2008年北京大会で五輪初出場を果たしました。まずはその時のことを振り返っていただけますか?
「その時の私は23歳で、五輪がどんなところか全然わからなかったんですが、まず驚いたのは取材の多さです。当時の卓球は、日本の中ではまだマイナー競技という感じで、みなさんからすると『福原愛ちゃんがやっている卓球』という感覚だったと思います。競技としても、私個人としても、あまりメディアに取り上げられることはありませんでした。
 でも、五輪の代表になり、選手団のユニフォームやスーツを配布されると、今まででは考えられないほどたくさん取材をしていただいて。"日本代表"というのを強く意識するようになりましたね。もちろん日の丸の重みはどの大会でも変わらないんですが、自然とそれを感じたのが五輪でした」

——どういったお気持ちで試合に臨みましたか?
「初めての舞台で戸惑うこともありましたが、すごくチャンスだと思っていました。前述の通り、当時の卓球はまだマイナー競技。いくら世界選手権など他の大会で活躍しても、私たちのことはあまり知られていない。競技によっては、日本に世界王者の選手がいても、知ってもらう、見てもらう環境がない。五輪で活躍してメダルを獲ることは、競技をメジャーにしていく大きなチャンスになります。もちろん選手個人としてもそう。私自身はシングルスで3回戦敗退、団体戦では3位決定戦で韓国に敗れてメダルを逃しましたが、いわゆる『アマチュア』と言われている選手のほうが、五輪に懸ける思いは強いかもしれないですね」

——昔は、国内で行なわれているTリーグ、海外の大会の中継もほとんどありませんでしたからね。その後、平野さんは"卓球王国"である中国のリーグに参戦したそうですが、どういった考えがあったんですか?
「中国は卓球界のトップですし、アジアの中でも断トツに力があったので、そこへ参戦することが自分自身のレベルを上げるのに一番いいと思いました。そして次の五輪へと向かっていこう、という気持ちから決断しました。私がプレーしたのは、下部リーグの甲Aリーグ(中国超級リーグの下部リーグ)で、トップリーグではなかったのですが」

ロンドン五輪の活躍について語った平野早矢香 photo by Tatematsu Naozumi
——それでも"卓球王国"と呼ばれる中国。実際に現地に行って、その強さをさらに肌で感じたのでは?
「やはり強いですね。私は学生の頃にも中国で合宿させてもらっていて、ナショナルチームの2軍選手とその候補選手の総当たりのリーグ戦みたいなものに参戦したんですけど、そこにも強い選手が本当にたくさんいるんです。その中から、ふるいにかけられて、最後に残った選手だけが国際大会に出場できる。代表選考から漏れた選手は、帰化選手として他国のエースとして活躍していたりもします。なので、選手の上を目指す意識がものすごく高いんですよ。
 今の日本の選手たちにとって『打倒・中国』は現実的な目標になっていますが、当時の私たちは中国にどう勝つか、というより、中国と対戦するまでどう勝ち上がっていくか、という感覚でした。いざ中国に本気で勝とうとしても、『どうしたらいいのか......』となってしまう。それぐらい中国との差は大きかったと思います」

——それでも、平野さんは2011年に世界ランキングを自身最高の10位まで上げました。一番いい状態で翌年のロンドン五輪に臨まれたと思いますが、本番までどういった準備をしていたんですか?
「ライバルとなる国、対戦が想定される国を想定して練習していました。特にダブルスですね。例えば、ドイツと当たったら私と福原さんのペア、韓国のカットマンのペアが相手だったら私と石川選手のペアというように、1カ月半前ぐらいから各国の選手やダブルスのタイプを研究しながら練習していました」

——準決勝のシンガポール戦では、その試合では組む予定がなかった石川選手とのペアでいくことを、村上恭和監督から急に伝えられたとも聞きます。
「そうなんですよ。本来ならシンガポール戦では福原さんと石川選手のペアで臨むはずだったんですけど、準決勝前日の夜にいきなり監督から電話がかかってきて、『明日のダブルス、佳純と平野でどうや?』と。すぐに『無理です』って答えました(笑)。私は何度も練習を積んで自信をつけて、心を落ち着かせた状態で試合に臨みたいタイプなので、その時は『ちょっと勘弁してください』『変えるならもっと早く言ってください』というのが正直な気持ちでした」
——メダルがかかった試合で、予定していたペアを変えるというのは驚きですね。
「シングルス結果を踏まえたその時の状況を見ての監督の判断で、ダブルスは私と石川選手のほうがいいんじゃないかと。なおかつシンガポールのエースである馮天薇(フォン・ティエンウェイ)に対しては福原さんのほうが相性がいいという思いもあったのかもしれません。試合前夜の突然の変更だったので驚きましたし不安もありましたが、最終的にはダブルスのペアを変更し、福原さんがシングルスで2試合(ダブルスで出場する選手はシングルス1試合)出るオーダーになったんです。
 結果、第1試合のシングルスで福原さんが馮天薇に勝ち、第2試合のシングルスの石川選手、第3試合のダブルスと連勝してメダルを確定させることができた。私と石川さんのペアは対カットマン専用のダブルスだったので、本来ならなかった選択でした。極限状態で戦っているからこそ、何かを感じ取った采配なんじゃないかと思います」
——現場の選手や、その場にいて流れを感じている人じゃないと生まれない発想だったと。
「そうですね。それと実は、試合当日の朝に私と石川選手でダブルスの練習に向かったんですけど、先にシンガポールの選手たちが練習していて。前日にドイツとの対戦で私と福原さんがダブルスを組んでいたこともあり、シンガポール陣営もそのペアで来ることを想定して、右利き同士のペアで練習していたんです」
——相手は、それまで組んでいないペアで臨んでくるとは考えていなかったんでしょうね。
「そうなんです。だから、わざわざ石川選手とのダブルスの練習を見せる必要はないと思って、彼女たちがいなくなるまで、ずっとシングルスの練習をしていました。そういう練習から戦いは始まっているというか、駆け引きがあるんです」
——本番では、シンガポールも驚いたでしょうね。
「実際に、オーダー交換の時はびっくりしていましたね。その時は、前半の1番と2番のシングルスのオーダー交換があるんですけど、ダブルスはその2試合の後に交換するんです。だから3試合目が始まる時に私と石川選手が出てきたから、相手は『えっ!?』となって(笑)。そこは『してやったり』という感じでした」

——相手を混乱させることに成功させたわけですね。試合も圧巻のストレート勝ちでした。
「第2ゲームだけ競ったんですけど、そこも最終的にポイントをしっかり取ることができたので、最後の第3ゲームはずっと流れが私たちにある状態でした。シンガポール対策として強化はしてこなかったものの、石川選手とはそれまで何度もダブルスを組んだことはありましたし、性格やプレースタイルもよくわかっていましたから、突然のペア変更でもやりやすかったですね」
——その試合を勝ち、卓球では日本初の五輪でのメダル獲得となりましたが、その瞬間はどんな気持ちでしたか?
「嬉しいというよりも、正直ホッとした気持ちが強かったですね。3人ともロンドン大会の団体戦にかける思いはすごく強かったんですが、中国が第1シードを取ると仮定すると、メダルを獲るためには決勝戦まで当たらない第2シードを獲得することが必須になります。それは私たちにとって大きなミッションだったんです。
 そのために、各々が世界ランキングを上げていかないといけなかった。だから五輪での試合よりも、それまで何年もかけて準備してきた"過程"が大変だった記憶があります。私個人としても、ロンドン五輪では27歳だったので、年齢と経験のバランスがすごく取れていた時期でしたが、『今回を逃したら一生、五輪でメダルは獲れないんじゃないか』と思っていました。そういう気持ちと覚悟で臨んでいましたから、嬉しいよりも『よかった』と、ホッとする気持ちのほうが大きかったんだと思います」
(後編:東京五輪の団体戦で金メダルなるか)
■平野早矢香(ひらの・さやか)
1985年3月24日生まれ。栃木県出身。全日本選手権のシングルスを2007年度から3連覇するなど、通算5度の優勝を達成。2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪に出場し、ロンドン五輪の団体戦で日本卓球史上初の銀メダル獲得に貢献した。2016年4月に現役を引退後は、後輩の指導をはじめ、講習会や解説など卓球の普及活動にも取り組んでいる。


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