沢村栄治、吉原正喜、中河美芳… 戦後74年の夏、戦火に散ったプロ野球選手たち

8月14日(水)18時17分 フルカウント

沢村栄治の栄誉と功績を称えた「沢村賞」

 1945年の終戦から74年目の夏を迎える。終戦時、日本のプロ野球はまだ9年目だったが、多くの選手が戦地で命を落としている。

 プロ野球でにぎわう東京ドームの外構に「鎮魂の碑」という石碑が立っているのをご存じだろうか。この石碑はプロ野球に身を投じ、活躍しながら戦争に従軍して命を落とした73人の選手を鎮魂する碑だ。「鎮魂の碑」に刻まれた選手の名前を見ていこう。◎は野球殿堂入り。

○巨人
青柴憲一 投手
伊藤健太郎 外野手
倉信雄 捕手
沢村栄治 投手◎
三田政夫 外野手
田部武雄 内野手、投手◎
中村政美 投手、内野手、外野手
広瀬習一 投手
矢島粂安 外野手
吉原正喜 捕手 ◎

 沢村栄治は戦前屈指の大投手。しかし1度目の応召で肩を負傷し、1944年に巨人を解雇され、引退後に戦死している。沢村にちなんで、その年最も活躍した先発投手に「沢村賞」を授与している。田部武雄は明治大学から巨人に入団。アメリカ遠征では109試合で105盗塁をする活躍だったが、ペナントレースが始まる前に退団し、公式記録は残っていない。

 広瀬習一は、沢村が応召した後21勝するなど巨人のエースとなったが、選手生活2年で戦火に散った。吉原正喜は熊本工業時代、川上哲治とバッテリーを組み、甲子園で活躍。強打の捕手として期待されていた。

○阪急
青木勤 投手
荒木政公 投手
池田久之 捕手
伊東甚吉 二塁手
大原敏夫 捕手
川村徳久 内野手
桑島甫 三塁手
島本義文 捕手
新富卯三郎 外野手、一塁手
渡辺敏夫 二塁手

 荒木政公は1939年に9勝をマーク。弱小阪急を3位に押し上げる原動力となった。しかし活躍はこの1シーズンだけ。池田久之は5シーズンの現役生活で、石田光彦、天保義夫と2人のノーヒットノーランの球を受けた。

○イーグルス(黒鷲、大和)
太田健一 一塁手、外野手
杉山東洋生 一塁手
寺内一隆 外野手
中河美芳 一塁手、投手◎
伏見五郎 捕手

 中河美芳は投手としてノーヒットノーランを記録、一塁手としては守備の名手として知られ「たこ足の中河」の異名をとった。

○セネタース
石井豊 一塁手
織辺由三 外野手
中尾長 外野手
村松長太郎 投手、外野手

 村松長太郎は浪華商時代に甲子園で優勝。プロでは投手として11試合に登板も主に外野手として活躍した。

○大東京・ライオン
鬼頭数雄 内野手、外野手
福士勇 投手
村上重夫 外野手
永井武雄 監督
中村三郎 投手、内野手

 鬼頭数雄は、鬼頭政一(太平洋、クラウン監督)、鬼頭勝治(南海)の兄。1940年に首位打者になるなど、戦前屈指の好打者だった。福士勇は、1941年に396.2回を投げ17勝28敗。チームを一人で背負ったエースだった。永井武雄は、大東京の初代監督となるが、オープン戦で負けて解任され、公式戦での記録は残っていない。

○黒鷲−大和
木村孝平 内野手
岡田福吉 内野手

 木村孝平は、俊足好打の内野手。リードオフマンとして活躍し、最後のシーズンとなった1943年にはフル出場。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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