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いま一度、嶋清一を思う——戦火に散った「伝説の左腕」

スポーツニッポン8月14日(月)10時38分
画像:1943年11月20日、和歌山市内で開かれた海草中全国制覇メンバーの出陣学徒壮行会。前列左から古角俊郎、嶋清一、田中雅治、真田重蔵、宮崎繁一、竹尻太次の各選手。中列左から2人目が嶋夫人のよしこさん=古角俊郎氏(故人)提供=
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1943年11月20日、和歌山市内で開かれた海草中全国制覇メンバーの出陣学徒壮行会。前列左から古角俊郎、嶋清一、田中雅治、真田重蔵、宮崎繁一、竹尻太次の各選手。中列左から2人目が嶋夫人のよしこさん=古角俊郎氏(故人)提供=
 【内田雅也の広角追球】いま一度、嶋清一を書こうと思う。

 終戦の日が近づき、泉下の客となった関係者から「もう一度、嶋のことを」と声が聞こえた。紙面では何度も書いてきたが、昨年9月、ウェブサイト上の当欄が開設されてからは触れていない。余談や後日談を含め、いま一度、野球ができる平和に思いを深めたい。

 嶋は和歌山・海草中(現向陽高)のエースとして1939(昭和14)年、全国中等学校優勝野球大会(今の夏の甲子園大会)で全5試合を完封、準決勝、決勝は連続ノーヒットノーランという偉業を成し遂げた「伝説の左腕」である。

 明大進学後、学徒出陣で出征し、1945(昭和20)年3月29日、不帰の人となった。海防艦に乗り、ベトナム・カムラン湾を北上航行中、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、南海に散った。24歳の若さだった。

 野球記者として嶋との関わりは1998年夏だった。甲子園大会決勝で横浜高の松坂大輔投手(現ソフトバンク)がノーヒットノーランを達成した。決勝でのノーヒットノーランは嶋以来59年ぶり2度目。嶋を知る人物としてセンターを守っていた古角(こすみ)俊郎さんに電話を入れた。和歌山県那智勝浦町で経営していた旅館「なぎさや」に泊まったことがあった。

 明大、海軍でも同期だった古角さんは当時77歳。「ありがとう……」と電話口で泣いていた。「松坂君にお礼を伝えてほしい。嶋を今の世によみがえらせてくれた」

 松坂の弟・恭平さんは「責任を持って伝えます。兄はもちろん家族で嶋投手の話を共有します」と約束してくれた。

 古角さんが大阪・梅田まで訪ねてきたのは5年後、2003年8月だった。「これを記事にしてくれませんかな」と差し出された写真に圧倒された。前列に日の丸をたすき掛けした学生が座り、レンズを見すえている。後方で大人たちが万歳をしている。海草中全国制覇メンバーで学徒出陣する選手を送る壮行会だった。1943(昭和18)年11月20日、和歌山市新内のOBの前田辰造氏宅で開かれた。

 写真と記事は終戦の日の8月15日、<嶋清一 最後の姿>として大きく終面で扱われた。

 紙面を見た明大野球部総監督(当時)の別府隆彦さんから、すぐ「写真を合宿所に飾りたい」と申し出があり、パネルにして送った。同年11月、和歌山市は南方熊楠や陸奥宗光らとともに「和歌山市の偉人」として顕彰した。市報に嶋の投球フォームの写真を載せると、行方が分からなかった嶋の妹、野口信子さんが「兄の写真をいただきたいのですが」と電話をかけてきた。

 一方で、2004年、わが和中・桐蔭野球部OB会の会報にも嶋のことを書いた。読んだ先輩の山本暢俊さん(高校教諭)が「心を打たれた。嶋投手の実像に迫りたい」と丁寧に再取材を進めた。2007年2月、『嶋清一 戦火に散った伝説の左腕』(彩流社)として出版された。

 壮行会で送られた選手6人のうち、嶋と遊撃手の竹尻太次、二塁手の田中雅治の3人が戦死。生きて帰った真田重蔵(後に阪神など)、宮崎繁一もこの世になく「残ったのはわしだけ」という古角さんには「語り部」としての使命感があった。

 2005年、嶋の野球殿堂入りに向けての活動を始めた。駿台倶楽部(明大野球部OB会)最高齢の顧問として、特別表彰委員会に申請を行った。推薦文には「何もかも奪ってしまう戦争を再び起こしてはならない」「平和の尊さを後世に語り継ぐためにも」と記した。2度の落選の後、08年1月、念願の殿堂入りが決まった。

 「セイ坊」「トシさん」と呼び合った親友でもあった嶋の栄誉に古角さんは「これで嶋も浮かばれる。思い残すことはない」と涙を流した。

 殿堂入り発表では元NHKアナウンサーの西田善夫さんが「一昨年、昨年と1票差で落選しましたが、春80回、夏90回の記念大会を迎える今年まで待っていたのかも知れません」と名調子で紹介してくれた。「野球記者として、平和の大切さを訴えてきた記事が実りましたね」とありがたい言葉をいただいた。

 和歌山中(現桐蔭高)で嶋と対戦していた西本幸雄さん(当時本紙評論家)は「殿堂入りは遅すぎたぐらいだ。嶋が生きていれば戦後の球界は変わっていた」と話した。

 嶋は新婚だった。壮行会半月前の11月初め、結婚式を挙げていた。壮行会の写真で後列左から2人目、伏し目がちにうつむいているのがよしこ夫人だ。戦後の消息は分かっていないが「それでええんや」と古角さんは話していた。

 当時プロ野球コミッショナーで殿堂理事長でもあった根来泰周さんは向陽高出身で嶋の後輩にあたる。同年8月15日、夏の選手権大会開催中の甲子園球場で殿堂入り表彰式が行われ、根来さんが古角さんに花束を手渡した。もう時効だろう。根来さんは特別表彰委員会で審議する際「それとなく」と山本さんの著書を置いておくなど、ささやかな支援をしていた。

 2010年には向陽高が「嶋投手のことなど、平和学習に取り組んでいる」点も評価され、選抜21世紀枠で甲子園出場を果たした。

 思い出は尽きない。あの1枚の写真との出合いから20年目を迎えた。古角さん、根来さんは4年前、西本さんは6年前、西田さんは昨年、鬼籍に入った。いまごろは、嶋とともに甲子園での熱戦を見下ろし、白球飛び交う平和を喜んでいることだろう。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。亡父は向陽高出身で、幼いころから「戦前には嶋清一という、不世出の左腕がいた」と何度も聞かされていた。桐蔭高(旧制和歌山中)野球部時代はノーコン投手。和中・桐蔭野球部OB会関西支部長でもある。慶大文学部卒。1985年入社。

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