バレンティンは「辛抱」と日々格闘。助っ人史上12人目の記録は近い

8月16日(金)7時17分 Sportiva

 長いプロ野球の歴史のなかで、これまで1000人を超える外国人選手が来日している。だが、これだけ多くの選手が来日したのに、1000試合以上出場した外国人選手はわずか11人(日系の外国人選手を除く)しかいない。最後に1000試合を達成した外国人選手は2011年、当時西武でプレーしていたホセ・フェルナンデスである。

 そして順調にいけばこの8月にも、外国人選手として12人目の1000試合達成者が現れる。ココの愛称で親しまれている、ヤクルトのウラディミール・バレンティンだ。


2013年には日本記録となるシーズン60本塁打を放ったバレンティン

「もちろん意識していますよ。12人目だとは知りませんでしたが、1000試合出場することについては、青木(宣親)と話していました。最高の名誉です」

 これまで達成した11人のうち、同一球団で1000試合出場を果たしたのは5人。もしこのままバレンティンが達成すれば6人目になる。バレンティンはそのことにも重みがあると言う。

「どのリーグでも、1000試合に出場できたらすごいことだと思います。野球は難しいスポーツですし、なによりケガをしないで続けることが大変です。だから1000試合に出場することは誇りに思うべきです。私は同じユニフォームを着続けられたことに喜びもありますし、プライドもあります。ヤクルトというチームが大好きですし、このユニフォームに1000回も袖を通せて本当に感謝しています」

 バレンティンはシアトル・マリナーズとシンシナティ・レッズで3年間プレーしたあと、2011年にヤクルトと契約を結んだ。まだ26歳の時だった。

 外国人選手が1シーズンだけ日本でプレーして、メジャーに再挑戦するという話はよくあるが、バレンティンもそのつもりで来日した。しかし、計画どおりにはいかなかった。

「メジャーに戻ることしか考えていませんでした。ただ来日1年目、自分のなかではいいシーズンではありませんでした。たしかに本塁打王(31本)を獲得しましたが、打率は.228でしたし、満足できるシーズンではなかった。だから、もう1年しっかりプレーして、メジャーに再挑戦しようと考えていました」

 翌年、ケガによって106試合しか出場できなかったが、打率.27231本塁打、81打点の好成績を残した。バレンティンは技術を磨いたというよりも、メンタルの部分で大事なものをつかんだと言う。そしてなにより、日本でプレーすることに大きな喜びを感じるようになった。

「本当に辛抱強くなりました。これまで辛抱することなく過ごしてきたのですが、海外で生き残るためにはそれが必要だとわかりました。野球はもちろんですが、私生活でもそうです。野球なら、日本独特の長い練習に耐えられるかどうか。それにメジャーと違った攻め方に慣れることができるかどうかも大事なことです。もちろん、プロの世界は結果がすべてですが、そこにたどり着くまでの過程で辛抱することが必要だとわかりました。なので、すぐに結果を求めてはいけません」

 その甲斐あって、来日3年目でバレンティンの才能は大きく花開くことになる。

 2013915日、神宮球場での阪神戦で榎田大樹(現・西武)から真ん中のストレートを引っ張り、左中間スタンド中段に突き刺さるホームランを放った。この一発は、1964年に王貞治氏が記録した55本塁打のシーズン最多記録を破り、日本新記録となった。

 このシーズン、バレンティンは60本塁打を放ち、打率もプロになってから初めて3割を超える.330でシーズンを終えた。

 この成績について素直に喜んだバレンティンだったが、こうした成績を毎年残すことが大事であり、まだまだ辛抱強くならなければいけないとバレンティンは言うのだ

 その翌年、夏まで本塁打王争いを繰り広げていたバレンティンだったが、持病のアキレス腱痛が悪化し、登録抹消となった。その後、復帰したが完治せず、9月後半に手術をするためシーズン途中の帰国が決まった。

「手術明けとなった2015年のシーズンは、開幕からしばらくは無理だと言われていたのですが、早く復帰したくて仕方ありませんでした。それで4月24日に一軍復帰したのですが、その試合で打球を追った際にまだケガをしてしまいました。手術したアキレス腱はまだ治りきっておらず、それをかばってプレーしていたら左大腿直筋を肉離れしてしまって……。結局、9月後半まで復帰できませんでした。

 その時に学んだことは、繰り返しになりますが、辛抱することの大切さです。無理に復帰したことで、別のところを痛めてしまった。長くプレーしたいと思うのであれば、体を大事にしないといけません。野球が大好きですし、私のすべてです。子どもの頃からずっと野球をしてきて、それしか知りません。なのに体を大事にしないで、突然野球ができなくなってしまったら……絶対に悔いが残りますし、体のケアについても辛抱強くやっていかなければいけません。

 1000試合出場や300本塁打(あと20本 814日時点)も大事なことですが、それよりも選手として少しでも長くプレーしたいと思っています。(記録を)達成したからといってヤクルトのユニフォームを脱ぐわけにはいかないので、あと4、5年プレーするために、まだまだ辛抱強さが必要だと思います」

 バレンティンが復帰を急いで、シーズンを棒に振ったのが2015年。結局、この年は15試合にしか出場できなかった。ケガが完治するまで我慢して、復帰を遅らせることができていれば……もっと早く1000試合出場は達成されていただろう。とはいえ、バレンティンにとって1000試合出場はただの通過点に過ぎない。まだまだプロ野球選手であるために、バレンティンの辛抱強さとの戦いは続く。

Sportiva

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