【あの夏の記憶】辞める寸前だった—松山商OB矢野さんが明かす奇跡のバックホーム秘話

8月18日(日)11時11分 フルカウント

愛媛朝日テレビ、営業局営業部副部長の矢野勝嗣さん【第2回・高校時代編】

 1996年夏の甲子園で優勝した松山商(愛媛)。熊本工(熊本)との決勝戦で、同点の延長10回裏、1死満塁で右翼手・矢野勝嗣さんのダイレクト送球で、三塁からのタッチアップ、サヨナラを阻止したプレーは「奇跡のバックホーム」として、高校野球史に語り継がれている。現在、愛媛朝日テレビで営業局営業部の副部長となった矢野さんは「毎日、辞めようと思っていた」と野球部を退部寸前だったことを告白。前回に続き、“あの夏の記憶”を掘り起こしてもらった。

 右腕をぐるぐると回して、ベンチから右翼の守備に就いた。その時の表情は意気揚々としている。そして、あの伝説の返球で走者をアウトにすると、喜びを爆発させてベンチに戻った。高校野球史を振り返る上で、今もなお流れている映像だ。

「絶体絶命のピンチだったんですが、決勝戦に出られる喜びの方が大きかったですね」

 延長10回裏、松山商は二塁打と犠打、2敬遠などで1死満塁。ここで松山商・澤田勝彦監督は投手から右翼にまわしていた新田浩貴投手をベンチへ下げ、強肩の矢野さんを右翼に起用した。そして、その直後、次打者の初球が右翼へ上がった。浜風に押し戻された大飛球を捕球した矢野さんは、無我夢中で本塁へノーバウンド返球。ピンチを防ぎ、指揮官の期待に応えた。
 
「へたくそで、失敗ばかりしていた僕を監督が最後に使ってくれました。今も感謝の思いを持っています。最後まで諦めずに見てくれていたので、僕もそれを信じて、高校野球をやってこられました」

 矢野さんは背番号9でも「控えの外野手」だった。しかし、監督は勝負所で起用し、その直後に起きた伝説のプレー。「奇跡」と言われる一方で、選手をしっかりと見続けてきたからこそできた采配だった。

 当時の優勝メンバーは年に1度、澤田監督を交えた“忘年会”で集まる。今でこそ笑顔だが、グラウンドでは厳しい監督だった。

「歯を見せて笑っているイメージはないですね。ピリっとした空気が何とも言えない感じでした……」

 練習は厳しかった。新チームが始まってから矢野さんは精神的に“ギリギリ”のところまで追いつめられていた。

シートノックは全員が完璧でないと終わらない…同僚から(野球部を)「辞めてくれないか?」

「『今日、辞めようかな』とか、『監督に言いに行こう』とか、毎日のように思っていました。いくら練習しても、実力の限界も感じる。何をやってもうまくいかないから逃げ出したい、と。辞めていく人間もいたので、そのメンバーと一緒に辞めていった方が楽だな、と思っていました」

 ただ、「辞めます」と監督に言える勇気がなかったのも事実だった。

 辞めたい大きな理由は、ミスをした時に仲間からの浴びせられる言葉に心が折れそうになったからだった。

 シートノックで、右翼を守る矢野さんは最後にボールを受ける。選手が捕球ミスや悪送球をしたりすると、ノックは始めからやり直し。全員が完璧にこなさないと終わらない。そのため、練習時間がどんどん長くなる。これが一度ではなく、何度もあった。

「同級生から言われたんです。『お前がいると練習が長くなるから、辞めてくれないか』、って」

 気持ちの優しい矢野さんは、ミスが重なるたびに次の失敗を恐れるようになっていた。肩はチーム屈指でも、本塁返球の時に捕手の頭をボールが越えてしまうこともしばしば。あの夏の決勝戦でも、矢野さんの大返球が捕手のミットに完璧に収まるなんて、誰も想像していなかった。

 澤田監督は、選手間で話し合うように指示をしただけでミスを咎めるようなことはしなかった。

「もしも、監督から『辞めろ』とか言われていたら、私はとっくに辞めていたと思います。ショックだったんですが、なんで、同級生にそんなこと言われなくちゃならないんだという悔しさ、負けていられるかという思いが、何とか自分をつなぎ留めていましたね」

 優勝メンバーで集まる時、今では笑い話になっている。

「メンバーから『お前は絶対に辞めると思っていた』と言われています。謝罪? ありませんよ。謝らないですね。謝るどころか、一番強く“辞めろ”と言ってきたメンバーからは(あのバックホームは)『俺のおかげだろう? 俺がああ言ったから、お前も悔しいと思っただろ』と言われたりしています。確かに、一理あるなとは思いますが……(笑)」

 高校野球で過ごした3年間が自分の土台となっている。矢野さんには毎日、辞めようと思っていた時代から、今も変わらない座右の銘がある。

“苦闘の丘に栄光の花が咲く”

「時代は違いますが、毎日やっていたしんどい練習が、野球じゃなくてもプラスになっていると思います。頑張ったんだという思いが必ず、社会人でも生きる。私はですが、最後まであきらめないというのが、常にあります。しんどい思いをしていたら、いつか花開くだろうと。僕は甲子園で最後いい思いさせてもらったので、余計です、しんどい練習の日々がなければ、あのプレーも生まれなかったと思っています」

 矢野さんは機会があれば、子供たちにこの言葉を伝えている。もしも、苦しみから野球を辞めていたら、ビッグプレーも全国優勝もなかった。矢野さんは壁を乗り越えて、大輪の花を咲かせた。

(次回に続く)(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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