愛甲猛のプロ入り前。プリンス→西武の「トンネル入団」計画があった

8月22日(木)10時37分 Sportiva

根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第2回

証言者・愛甲猛(2)

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 チーム強化のために裏技を駆使し、”球界の寝業師”と称された根本陸夫。実質的なGMとして辣腕を振るった一方、親分肌で面倒見がよかったことから、今も根本を信奉する野球人は親しみを込めて「オヤジ」と呼ぶ。

ところが西武時代、じつは根本自身が「オヤジ」と呼ぶ親分的な存在がいたという。裏で動いた根本の、さらにその裏で動いていたプリンスホテルの総支配人、幅敏宏(はば・としひろ)。いったい、どんな人物だったのか——。プロ入り直前から幅が父親代わりで、やはり「オヤジ」と呼んだ愛甲猛(元ロッテほか)に聞いた。

「オヤジはものすごく太っ腹で、任侠映画に出てくるヤクザの親分みたいなタイプの人でした。社員の間では『マムシ』と言われるぐらい、恐れられていたそうです。顔は根本さんに近い雰囲気があって、背は小さくて、声は太くてよく響いて。そんなオヤジにあるとき呼ばれて行ってみたら、僕とドラフトで同期になるプリンスホテルの石毛(宏典)さん、中尾(孝義)さんも来ていました。するとオヤジが石毛さんにポーンと、封筒でお金を渡して、『お前ら、これで遊んで来い』って(笑)」


1980年夏の甲子園で優勝投手となった横浜高校の愛甲猛

 幅が接触してきたのは、1980年の9月。同年夏の甲子園優勝投手である愛甲をプリンスホテル硬式野球部にスカウトするためだった。当初は入社に関する言及はなく、同ホテルでの食事に何度も誘われ、宿泊には常にスイートルームを用意され、自宅でも家族同然に可愛がられた。幼い頃から母子家庭に育ち、ほとんど父親を知らない18歳の愛甲にとって、幅と本当の親子のように付き合える時間は貴重だった。そして、その時間が濃密になった頃に「プリンスへ来い」という話が出た。

「まず『支度金はそんなに出せないけど』って言っていましたが、当時、『プリンスは支度金を2000万円ぐらい出してくれる』と噂されていました。それにオヤジの自宅がある鎌倉逗子ハイランド、西武グループの高級住宅地ですが、『そこの一軒を提供してあげるから』と言われて。オヤジとしては、僕をプリンスに入れたあと、そこから西武へ引っ張りたい、という考えだったみたいです」

 西武グループにおけるプロ野球のライオンズと社会人野球のプリンスホテル。同一資本がプロとアマのチームを持っているからこそ、他球団が問題視し、マスコミが揶揄した「トンネル入団」も可能となる。その点、プリンスにおいて、幅のように裏で動く人間が必要だったことはわかる。ただ、幅自身の野球経験、知識、選手を見る目はどうだったのか。

「中学の時に野球をやっていたとは聞いていたんですけど、詳しい話をしたことは全然なくて。一度、『オレも野球は大好きだった。でも、こんな背が小さくて、プロとしては無理だった。息子にやらそうと思ったけど、ふたりとも野球のやの字もない世界に行ったから』と言ってました。まあ、そこに僕が現れたようなもので、だから『幅家の次男』って呼ばれたんですね」

 幅の年齢はそのとき50歳。根本は54歳だったから、本格的な野球経験もない年下のホテルマンを「オヤジ」と呼ばずにいられないとは、人間性も仕事ぶりも高く見上げるものがあったはず。そのあたり、プリンスの野球の現場ではどう見られていたのだろう……。

 そもそも、プリンスホテル硬式野球部は、西武グループ総帥・堤義明の意向で誕生した。当時、早稲田大野球部監督だった石山建一が、同大の先輩でもある堤から直々に命を受け、78年の春先からチーム編成に着手。同年限りで早大監督を辞任すると、プリンスの助監督に就任した。監督には日本通運で都市対抗優勝の実績がある稲葉誠治が就任したが、チームづくりは石山に一任され、采配面も任された。85年からは正式に監督となり、その現場を熟知していた石山に、幅との関係性を聞く。

「幅さんは野球部ができた時の総支配人でしたから、しょっちゅう会って野球の話をしてました。人間的には結構、太っ腹でね。だから年齢に関係なく根本さんと合うんじゃないか、とは思っていました。それでプリンスが獲りたい選手のリストアップは私がひとりでやっていたんだけど、幅さんにはスカウトを頼むことがあった。当然、愛甲もリストに入っていて、幅さんが可愛がっているというのでお願いして。あとは中尾、堀田(一彦)もそう、瀬戸山(満年)もそうでした」

 石山によれば、札幌プリンスホテルの開業時に幅が「大将」として携わったときのこと。建設に関わった旭川の塗装業者が専修大のOBで、野球部関係者と親しかった。それが縁で同大の捕手・中尾、投手・堀田とスムーズに交渉できた。さらに幅は中京高(現・中京大中京高)の監督だった杉浦藤文とも親しく、捕手・瀬戸山の入社につながった。

 杉浦との縁は、もともと上京の際にプリンスに宿泊したことでできたようだが、人が集まり、滞在し、会合して飲食するホテルならではの人脈が野球に生かされたのか。そこには石山でも把握し切れない広がりがあり、何よりも総支配人という立場ながら、率先してスカウトに行く幅には、野球の現場にいる人間以上の熱が感じられた。

「でも、熱は幅さんだけじゃないんです。なにしろ総支配人が全員集まる重役会議で『野球に興味のない管理職はここから出てけー!』って社長が言うんですから(笑)。しかも会議では『今年は都市対抗に出られるかどうか』がいちばんの議題なんです。私は『ここは野球会社だ……』と思いましたよ。いま振り返れば、あの当時、野球部ができて、ライオンズも持って、社員一丸でメラメラと燃えていました。普段は各ホテルでバラバラな社員が野球でひとつになって、我々のチームを応援する。みんなで勝たせようと思って、ものすごい団結力が生まれていました」

 総支配人をはじめ社員が一丸となった「野球会社」。その背景には「プロが大騒ぎするような選手を獲ったんだから負けるわけがない」という思いがあり、石山自身、創設当初から「プロ以上のアマチュアチームをつくろう」と意気込み続けた。ここには純粋な気持ちしかないのだが、同一資本のライオンズが存在する限り「トンネル入団」の疑惑は晴れない。現に、それを前提に「野球会社」の重役=総支配人が裏で動いていたことは、愛甲が証言した通り。一方、のちに根本がプリンスの選手獲得を目指した時、石山にこう言って頼んだという。

「石山さんとオレと、給料の出どころは同じだね。オレは堤さんからもらっていて、石山さんも堤さんからもらっている。だから、アマチュアの石山さんが西武に協力しても、誰も怒る人いないね」

つづく

(=敬称略)

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