『AT型ホンダ・シビック』猛威をふるったジャイアントキラー【忘れがたき銘車たち】

2021年8月24日(火)9時30分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループAレースに参戦したホンダのAT型シビックです。


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 先日、11代目となるホンダ・シビックが発表された。果たして『タイプR』はいつ登場するのか、シビックは11代目でもモータースポーツにチャレンジするのか……注目が集まるところだ。


 ホンダ・シビックといえば、モータースポーツのイメージが強い車両でもある。そんなシビックのレース活動のなかでも忘れてはならないのが、グループAレースにおける活躍だろう。


 その活躍は、全日本ツーリングカー選手権(JTC)の初年度である1985年、このAT型のシビックからスタートした。


 “ワンダーシビック”という愛称でも親しまれたAT型のシビックは、グループA規定による全日本選手権、JTCが1985年にスタートすると、西日本サーキットで行われた第3戦から無限の走らせる車両が本格参戦を果たす。


 するとAT型シビックはキャビンが薄く、小さなハッチバックボディにピックアップのトルクにも優れる、1600ccながら180psをも発揮する力強いZC型エンジンの組み合わせで初陣ながら速さを見せ、いきなりクラスポールポジションを獲得した。


 続く第4戦鈴鹿では、天候をも味方につけて、DR30型のスカイラインやBMW 635CSiといった大排気量車を抑えて、総合のポールポジションにつけ、決勝でもそのままポジションを守り切り、総合優勝を飾るという驚くべき速さを披露したのだった。


 こうして初年度からポテンシャルを存分に発揮していたシビックだったが、当初タイトル獲得の機会には恵まれず、1985、1986年と、同クラスの最大のライバルとして切磋琢磨していたトヨタの4A-Gを積む、AE86型のカローラ・レビン、AE82型のカローラFXに2年連続でクラス王座を奪われてしまっていた。


 しかし1987年、シビックはグループA史に残る活躍を見せる。全6戦で行われたシリーズにおいて、クラス全戦全勝をいう強さを披露。見事初のドライバーズ&マニュファクチャラーズの両タイトルを奪取してみせたのだ。


 AT型シビックは、初のダブルタイトルを獲得したこの年いっぱいでフル参戦を終了。1988年のシーズン途中からはEF型が投入され、その後もシビックはさらなる伝説をモータースポーツ史に残していく。

総合優勝を果たすことになる1985年の鈴鹿戦でハルトゲBMW635CSiなど、クラス上のマシンを従えて快走するシビック。ドライバーはこの2年後にF1デビューを果たす中嶋悟とFFの名手、中子修だった。

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