『ニッサン R390 GT1』“想定外”から生まれたニッサンのGT1専用マシン【忘れがたき銘車たち】

8月27日(金)16時15分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、ル・マン24時間レースに参戦したニッサンR390 GT1です。


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 1995年から本格的にスタートしたル・マン24時間レースにおける“GT1戦線”において、ニッサンはBCNR33型スカイラインGT-Rを基に開発した『NISMO GT-R LM』で海外勢と対峙した。だが、マクラーレンF1 GTRをはじめとした海外勢に大きく水を開けられ、惨敗を記してしまう。


 その後、ニッサンはNISMO GT-R LMでの3カ年計画を2年で終了し、新たなウエポンの開発に着手した。そうして生まれた新しいマシンが『ニッサン R390 GT1』だった。


 ニッサンは1997年、前年限りでNISMO GT-R LMでの参戦を終了し、GT1専用機開発に踏み切った。当初この計画は、プロトタイプカーを使ったLMP1クラスに参戦する予定だった。


 車両開発にあたってパートナーに選んだトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が『ジャガーXJR-14』をベースに作り出したLMP1カー『ポルシェWSC95』に、ニッサンのグループCカー用エンジン『VRH35Z』を搭載し、1台のLMP1車両を仕立てる計画だったのだ。


 しかし、ニッサンの社内において、市販車のイメージを持たせられるGT1クラスへの参戦を望む声が多数上がったため、急遽GT1マシンを開発することになったのだ。


 こうして、急遽開発されることになったR390は、WSC95ではなく、1991年にTWRが生み出したロードゴーイングカー『ジャガーXJR-15』のモノコックを流用することで、TWRのトニー・サウスゲートの手により、急ピッチで開発作業が進められた。


 ベース車両は、当初の予定から変わってしまったが、エンジンはVRH35Zの型式を改め、VRH35Lとして使用された。


 しかし、型式が改められただけで特に新たな開発はされず、Cカーのエンジンをそのまま規定に合わせて、リストリクターとブースト圧の制限をかけて使っただけだったため、エンジン本来の持つ性能を発揮していない状態での戦いとなっていくのだった。


 前述の通り、“急遽”の方針転換だったため、1996年の年末付近には、まだ影も形も……という状態であったR390だったが、翌1997年2月には1台がシェイクダウンを行い、なんとか5月に開催されたル・マン24時間レース予備予選の参加に漕ぎ着けた。


 この予備予選でR390は、いきなりポールタイムをマークする速さを見せる。だが肝心の本戦では、前述したエンジンについての問題もあったが、Xトラック製のトランスミッションにもトラブルが発生してしまう。


 サルトサーキットでの高回転域にギヤが耐えられなかったという根本的な問題があったほか、車検時に起きた「市販モデルと同様のトランクスペースを設けるべき」と、ACOに指摘された問題に対応した結果、冷却不足に陥るなどの事案が発生してしまった。


 このような問題が重なり、ミッションがアキレス腱となったR390は、決勝レースでもトラブル修復に追われ、3台中1台が12位完走をするという結果に留まってしまう。


 皮肉にもこの年の総合優勝は、もともとベースにする予定だったポルシェWSC95であった。翌1998年、R390はライバルマシンなどに倣って、ロングテール化にしたほか、課題だったミッションもニッサンが材料、形状ともに改良して対処した。


 さらに、ABSやトラクションコントロールシステムなどのハイテクデバイスも搭載し、大幅なポテンシャルアップを果たした。


 この年は、トヨタのGT1マシンも登場し、ライバル車たちも大きく性能向上をしていた年だったが、R390も健闘した。1台が3位表彰台に登壇、さらに参戦した残りの3台も5、6、10位と、4台すべてがトップ10でチェッカーフラッグを受けたのだった。


 こうしてR390プロジェクトは2年目の1998年で弾みをつけ、最終年となる1999年へと向かうはずだった。しかし1999年、ニッサンはさまざまな事情を考慮しTWRとの契約を更新しなかった。GT1マシンを捨てて、新たなオープンプロトタイプマシンの開発に着手するのであった。

ミッションのトラブルに苦しめられた1997年のモデル。リカルド・パトレーゼ/エリック・バン・デ・ポール/鈴木亜久里という元F1ドライバートリオがドライブした22号車はリタイアに終わった。
ミッションのトラブルに苦しめられた1997年のモデル。リカルド・パトレーゼ/エリック・バン・デ・ポール/鈴木亜久里という元F1ドライバートリオがドライブした22号車はリタイアに終わった。

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