希望の星はザニオーロ…新生ローマは“失われた9年”に終止符を打てるか
2020年8月27日(木)17時58分 サッカーキング
新生ローマ帝国の誕生——。ローマは17日、新オーナーにフリードキン・グループを迎え、アメリカ人のダン・フリードキンが新会長に就任したことを正式発表した。
今月5日に5億9100万ユーロ(約740億円)でクラブの保有権をフリードキン・グループに売却することで合意。これにより、ジェームズ・パロッタ会長による体制に終止符が打たれることが決まった。
1993年から続いたフランコ・センシ、その娘ロゼッラと受け継がれてきたセンシ・ファミリーによる経営から、2011年2月にクラブ史上初の外国資本が参入。ロマニスタたちは不安とともに、このイタリア系アメリカ人オーナー・パロッタがローマをイタリアの頂きへ、そして欧州有数のメガクラブへと導いてくれるものと期待した。アラブ資本のクラブや、あるいは同じようにその1年前にアメリカ人オーナーが就任していたリヴァプールのような常勝軍団となる歩みを夢見たに違いない。しかし、それは一度も叶わず、実現されることはなかった。まさに、“失われた9年”の黒歴史として記憶に残る、ロマニスタにとっては儚くも暗黒の時代となってしまったのだ。
2012−13シーズンにはコッパ・イタリア決勝に進出し、永遠のライバル・ラツィオと史上初のローマ・ダービーを戦ったが0−1と敗戦。ローマのティフォージは地獄の責め苦を負った。リュディ・ガルシア監督に率いられた2013−14シーズンからは2年連続2位と健闘したが、2年とも優勝したユヴェントスとの勝ち点差は17と、決してスクデット獲得に近づいたわけではなかった。
ただ、心が痛む思い出ばかりではない。2017−18シーズンには、“近代ローマ史”に刻まれる武勲もあった。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝は、バルセロナを相手にアウェイのファーストレグで1−4と惨敗を喫したものの、ホームのセカンドレグで3−0と奇跡の逆転勝利。オリンピコでは、試合終了のホイッスルと同時に興奮のるつぼと化したサポーターによる“Grazie Roma”の大合唱が響き渡った。ロマニスタにとっては、数少ない幸福な時だった。
けれども、この9年はやはり不幸な時代として刻まれてしまう。大きな理由はタイトルが一つもなかったからである。スクデットはもちろん、コッパ・イタリア制覇もなく、スーペルコッパを戦う権利も得られなかった。一方、ラツィオはこの間にコッパ・イタリアとスーペルコッパをそれぞれ2度ずつ制している。
タイトルを得られなかっただけではない。この9年の間に、ローマは多くの有望な選手を売却してしまった。ラジャ・ナインゴラン(現カリアリ)、ケヴィン・ストロートマン(現マルセイユ)、ミラレム・ピアニッチ(現バルセロナ)、コスタス・マノラス(現ナポリ)、アントニオ・リュディガー(現チェルシー)、そしてリヴァプールのアリソンとモハメド・サラー。さらには、今季のチャンピオンズリーグでファイナルの舞台に立ったパリ・サンジェルマンの一員、レアンドロ・パレデスとマルキーニョスもローマでプレーした選手たちだ。これだけの選手が留まっていれば、ユーヴェの9連覇を阻止し、タイトルを獲得できるチーム作りも可能だったはずだ。ロマニスタの失望は計り知れない。
パロッタ政権の功罪はこれだけではない。ローマの心、フランチェスコ・トッティとダニエレ・ロッシの2人との契約更新を阻んだことだ。ローマ在籍のラストイヤーのパフォーマンスを見れば、何らかの形でチームに貢献できたはず。にもかかわらずあまりにもあっさりとクラブから“追放”したやり方には、多くのロマニスタが反発した。実際、トッティの引退セレモニーでパロッタは大ブーイングを受けている。前任者のセンシ親子がロマニスタに愛された一方、パロッタは一度もロマニスタから愛されることはなかった。結果、よそ者として永遠の都を去ることとなった。
最初の外国人オーナーによるクラブ経営は失敗に終わったが、フリードキンに少なからずの希望が寄せられている。その理由としては北米トヨタのディーラーを本業とし、アメリカの“トヨタ王”の異名を持つフリードキンの個人総資産は36億7000万ユーロ(約4600億円)に及び、パロッタの3倍以上を所有するからだ。フォーブス誌による北米長者番付でも187位にその名を連ねている。
フリードキン体制となったローマは早速、元スペイン代表のペドロを獲得。新体制で最初の補強に成功した。ただ、ワールドカップやCLを獲得した経験豊富な選手であることは間違いないが、昨季のプレミアリーグの出場機会は11試合とキャリアの下り坂にあるベテランプレーヤーだということも忘れてはならない。そして、ここからは現有戦力の維持に努めることが先決とされる。まずは、得点源のエディン・ジェコの残留を確定させなければならない。34歳と若くはないが、ユヴェントスとインテルが獲得を熱望する点取り屋。カピターノを務め、求心力も高く、容易に放出してはならない選手である。だが、ジェコ以上にクラブが全身全霊をかけて引き止めなければならないプレーヤーがいる。それがニコロ・ザニオーロだ。
昨季は右ひざ前十字じん帯断裂と半月板損傷の重傷を負い、シーズンの半分を棒に振ったが、復帰後のパフォーマンスは素晴らしいものだった。上半身が負傷前よりも一層たくましくなり、190センチの長身に力強さが備わった。7月22日のSPAL戦では、自陣から一直線に突き抜ける高速ドリブルでアタッキングゾーンまで持ち込み、最後は相手選手を交わしてゴールをマーク。完全復活を十分に印象付けた。8月1日のユヴェントス戦でもドリブル突破からやわらかなラストパスでディエゴ・ペロッティのゴールを演出するなど、アシスト能力も披露している。
1年目の18−19シーズンは、コリエレ・デッロ・スポルトが「イタリアに待望のスター誕生!」と一面で見出しを打つほど、センセーショナルなデビューを果たした。その後、美人な母親の存在が脚光を浴びるようになり、話題性が先行してしまった時期もあったが、今ではイタリア人最高となる8000万ユーロ(約100億円)の評価額を持つとまで言われるようになった。ルックスも申し分なく、最近のイタリア人選手にはなかったスーパースターとなりうる魅力も十二分に備える。インスタグラムのフォロワーもすでに100万人を集め、ナイキを筆頭に、ディズニー、アメリカの玩具ブランドナーフ、歯ブラシブランドのOral-Bとスポンサー契約を結ぶほど、企業からの人気も高い。
かつてジェノアでプレーした経験を持つ父、イゴールも残留を望んでおり、「私の息子、ニコロがこれからの将来、新しいローマで主役となれることを望んでいる」と話している。ローマの宝の残留は近く、現在の年俸220万ユーロ(約2億7500万円)から、300万ユーロ(約3億7600万円)に増額されることが予想される。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によりイタリア全土がロックダウンされた3月にはこんなエピソードもあった。無人のミラノの街に、一人の少年がヒールリフトしている写真がイタリアで最多発行部数を誇る日刊紙『コリエレ・デッラ・セーラ』に掲載された。その少年が着用していたユニフォームが、ローマのザニオーロのものだった。都市封鎖され、死者が激増する不安の中、この一枚の写真はイタリアに希望を与えるシンボルとなったのだ。
残念ながらCL出場権を逃したため、来季は欧州最高峰の舞台でプレーすることはできない。それでもザニオーロにとっては“新生ローマ”の象徴としてさらなるブレイクが期待される1年となりそうだ。
文=佐藤徳和/Norikazu SATO
今月5日に5億9100万ユーロ(約740億円)でクラブの保有権をフリードキン・グループに売却することで合意。これにより、ジェームズ・パロッタ会長による体制に終止符が打たれることが決まった。
1993年から続いたフランコ・センシ、その娘ロゼッラと受け継がれてきたセンシ・ファミリーによる経営から、2011年2月にクラブ史上初の外国資本が参入。ロマニスタたちは不安とともに、このイタリア系アメリカ人オーナー・パロッタがローマをイタリアの頂きへ、そして欧州有数のメガクラブへと導いてくれるものと期待した。アラブ資本のクラブや、あるいは同じようにその1年前にアメリカ人オーナーが就任していたリヴァプールのような常勝軍団となる歩みを夢見たに違いない。しかし、それは一度も叶わず、実現されることはなかった。まさに、“失われた9年”の黒歴史として記憶に残る、ロマニスタにとっては儚くも暗黒の時代となってしまったのだ。
2012−13シーズンにはコッパ・イタリア決勝に進出し、永遠のライバル・ラツィオと史上初のローマ・ダービーを戦ったが0−1と敗戦。ローマのティフォージは地獄の責め苦を負った。リュディ・ガルシア監督に率いられた2013−14シーズンからは2年連続2位と健闘したが、2年とも優勝したユヴェントスとの勝ち点差は17と、決してスクデット獲得に近づいたわけではなかった。
ただ、心が痛む思い出ばかりではない。2017−18シーズンには、“近代ローマ史”に刻まれる武勲もあった。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝は、バルセロナを相手にアウェイのファーストレグで1−4と惨敗を喫したものの、ホームのセカンドレグで3−0と奇跡の逆転勝利。オリンピコでは、試合終了のホイッスルと同時に興奮のるつぼと化したサポーターによる“Grazie Roma”の大合唱が響き渡った。ロマニスタにとっては、数少ない幸福な時だった。
けれども、この9年はやはり不幸な時代として刻まれてしまう。大きな理由はタイトルが一つもなかったからである。スクデットはもちろん、コッパ・イタリア制覇もなく、スーペルコッパを戦う権利も得られなかった。一方、ラツィオはこの間にコッパ・イタリアとスーペルコッパをそれぞれ2度ずつ制している。
タイトルを得られなかっただけではない。この9年の間に、ローマは多くの有望な選手を売却してしまった。ラジャ・ナインゴラン(現カリアリ)、ケヴィン・ストロートマン(現マルセイユ)、ミラレム・ピアニッチ(現バルセロナ)、コスタス・マノラス(現ナポリ)、アントニオ・リュディガー(現チェルシー)、そしてリヴァプールのアリソンとモハメド・サラー。さらには、今季のチャンピオンズリーグでファイナルの舞台に立ったパリ・サンジェルマンの一員、レアンドロ・パレデスとマルキーニョスもローマでプレーした選手たちだ。これだけの選手が留まっていれば、ユーヴェの9連覇を阻止し、タイトルを獲得できるチーム作りも可能だったはずだ。ロマニスタの失望は計り知れない。
パロッタ政権の功罪はこれだけではない。ローマの心、フランチェスコ・トッティとダニエレ・ロッシの2人との契約更新を阻んだことだ。ローマ在籍のラストイヤーのパフォーマンスを見れば、何らかの形でチームに貢献できたはず。にもかかわらずあまりにもあっさりとクラブから“追放”したやり方には、多くのロマニスタが反発した。実際、トッティの引退セレモニーでパロッタは大ブーイングを受けている。前任者のセンシ親子がロマニスタに愛された一方、パロッタは一度もロマニスタから愛されることはなかった。結果、よそ者として永遠の都を去ることとなった。
最初の外国人オーナーによるクラブ経営は失敗に終わったが、フリードキンに少なからずの希望が寄せられている。その理由としては北米トヨタのディーラーを本業とし、アメリカの“トヨタ王”の異名を持つフリードキンの個人総資産は36億7000万ユーロ(約4600億円)に及び、パロッタの3倍以上を所有するからだ。フォーブス誌による北米長者番付でも187位にその名を連ねている。
フリードキン体制となったローマは早速、元スペイン代表のペドロを獲得。新体制で最初の補強に成功した。ただ、ワールドカップやCLを獲得した経験豊富な選手であることは間違いないが、昨季のプレミアリーグの出場機会は11試合とキャリアの下り坂にあるベテランプレーヤーだということも忘れてはならない。そして、ここからは現有戦力の維持に努めることが先決とされる。まずは、得点源のエディン・ジェコの残留を確定させなければならない。34歳と若くはないが、ユヴェントスとインテルが獲得を熱望する点取り屋。カピターノを務め、求心力も高く、容易に放出してはならない選手である。だが、ジェコ以上にクラブが全身全霊をかけて引き止めなければならないプレーヤーがいる。それがニコロ・ザニオーロだ。
昨季は右ひざ前十字じん帯断裂と半月板損傷の重傷を負い、シーズンの半分を棒に振ったが、復帰後のパフォーマンスは素晴らしいものだった。上半身が負傷前よりも一層たくましくなり、190センチの長身に力強さが備わった。7月22日のSPAL戦では、自陣から一直線に突き抜ける高速ドリブルでアタッキングゾーンまで持ち込み、最後は相手選手を交わしてゴールをマーク。完全復活を十分に印象付けた。8月1日のユヴェントス戦でもドリブル突破からやわらかなラストパスでディエゴ・ペロッティのゴールを演出するなど、アシスト能力も披露している。
1年目の18−19シーズンは、コリエレ・デッロ・スポルトが「イタリアに待望のスター誕生!」と一面で見出しを打つほど、センセーショナルなデビューを果たした。その後、美人な母親の存在が脚光を浴びるようになり、話題性が先行してしまった時期もあったが、今ではイタリア人最高となる8000万ユーロ(約100億円)の評価額を持つとまで言われるようになった。ルックスも申し分なく、最近のイタリア人選手にはなかったスーパースターとなりうる魅力も十二分に備える。インスタグラムのフォロワーもすでに100万人を集め、ナイキを筆頭に、ディズニー、アメリカの玩具ブランドナーフ、歯ブラシブランドのOral-Bとスポンサー契約を結ぶほど、企業からの人気も高い。
かつてジェノアでプレーした経験を持つ父、イゴールも残留を望んでおり、「私の息子、ニコロがこれからの将来、新しいローマで主役となれることを望んでいる」と話している。ローマの宝の残留は近く、現在の年俸220万ユーロ(約2億7500万円)から、300万ユーロ(約3億7600万円)に増額されることが予想される。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響によりイタリア全土がロックダウンされた3月にはこんなエピソードもあった。無人のミラノの街に、一人の少年がヒールリフトしている写真がイタリアで最多発行部数を誇る日刊紙『コリエレ・デッラ・セーラ』に掲載された。その少年が着用していたユニフォームが、ローマのザニオーロのものだった。都市封鎖され、死者が激増する不安の中、この一枚の写真はイタリアに希望を与えるシンボルとなったのだ。
残念ながらCL出場権を逃したため、来季は欧州最高峰の舞台でプレーすることはできない。それでもザニオーロにとっては“新生ローマ”の象徴としてさらなるブレイクが期待される1年となりそうだ。
文=佐藤徳和/Norikazu SATO