伝説の池田高校「やまびこ打線」 エースは今も野球に携わる

8月27日(火)7時0分 NEWSポストセブン

強烈なインパクトを残した元・池田高校の畠山準さん

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 令和初の大会となった夏の甲子園は大阪の履正社が制したが、かつて甲子園を盛り上げた夏のヒーローは今、何をしているのか。(文中敬称略)


 夏の甲子園大会で革命が起こったと言われるのが、昭和57年(1982年)の池田高校だ。それまでの3年間、高校野球は早実の荒木大輔を中心に回っていたが、その早実を準々決勝で14対2と粉砕。そして決勝は機動力を駆使した高校野球の模範といえる名門・広島商業を、それまでの高校野球の常識を覆すかのようなホームラン攻勢で12対2と圧倒。名将・蔦文也監督率いる破壊力抜群の「やまびこ打線」は、高校野球新時代の到来を高らかに告げた。このチームのエースが畠山準(55)だ。畠山が当時を振り返る。


「僕らのチームは、足が遅いしバントは下手だったから、打つしかなかったって感じです。甲子園では決勝までピッチングもダメ、4番なのに僕だけホームランが出てなくて、ずっとモヤモヤした感じだったんですが、決勝で打ててちょっとスッキリしましたね」


 畠山は大会屈指の好投手の触れ込みで大会に乗り込んだが、失点を重ね、思うようなピッチングができなかった。それでも145キロ超のストレートの威力は度肝を抜いた。


「練習で200、300球は平気で投げていましたから。実戦形式のフリーバッティングで僕と金太(水野雄仁・元巨人)でガンガン投げてました」


 畠山は高校3年時に南海からドラフト1位の指名を受け、プロ6年目で野手に転向、その後大洋に移籍し、17年間現役を続けた。その後、球団職員として採用され、多忙の日々を過ごす。


「現在は、野球人口増加のための一環として横浜市内の幼稚園に行って野球の楽しさを教えています。またユニフォームを着たいかと聞かれても、職員として今の業務を全うするだけです」


取材・文■松永多佳倫 撮影■山崎力夫


※週刊ポスト2019年9月6日号

NEWSポストセブン

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