履正社の日本一で始まる新2強物語。真の王者へ「ある勝利」が必要だ

9月1日(日)7時17分 Sportiva

 履正社が初の日本一を決めた翌日、学校の最寄り駅である阪急・曽根駅(大阪府豊中市)には優勝を祝うボードが華やかに飾られていた。かつて履正社は福島商業という名で、ヤンチャな兄ちゃんたちが通う男子校だった。1983年に履正社に改称し、2000年に男女共学となった。今ではスポーツだけでなく勉学でも成果をあげ、朝の通学路は運動が得意そうな恰幅のいい生徒と、聡明な雰囲気を漂わせる進学クラスの生徒が入り混じり賑わう。


今年夏の甲子園で初の日本一に輝いた履正社

 履正社野球部が初めて甲子園出場を果たしたのが、1997年の夏。当時は専用グラウンドを持たず、内野分の大きさしかない校庭でひたすらノック、バント、走塁練習を繰り返していた。試合でも走者が出れば、迷わずバント。クリーンアップだろうが、追い込まれようが、1アウトだろうが、とにかくバント。

 その時は、大阪大会7試合でチーム打率.268、本塁打0本ながら、犠打はなんと30を記録。数少ないチャンスを確実にものにし、勝ち上がっていった。関大一との決勝でも、1点ビハインドからスクイズで追いつき、スクイズで勝ち越した。この1点を、体重60キロに満たない華奢なエース・小川仁が守り切っての大阪大会初制覇だった。

「チーム打率2割台のチームが甲子園なんて夢のよう」

 翌日の新聞で目にした岡田龍生監督の言葉は、今でも記憶に残っている。甲子園では初戦で敗れたが、その後も戦いのスタイルは変わらず、大阪では「バントの履正社」の名が定着していった。

 そんなチームが101回目の夏、「強打の履正社」に様変わりし、ついに全国の頂点を極めたのだ。この夏の甲子園での戦いをあらためて振り返ると、履正社は鈴木寛人(霞ケ浦)、前佑囲斗(まえ・ゆいと/津田学園)、中森俊介(明石商)、奥川恭伸(星稜)といった評判の高い投手との対戦が続いた。

そんななか、初戦(霞ケ浦戦)でいきなり大会タイ記録となる1試合5本塁打を放つと、その後も強打は衰えることなく、気がつけば史上7校目の6試合連続2ケタ安打を記録。センバツ初戦で3安打、17奪三振に抑え込まれた星稜・奥川を、夏の甲子園決勝という舞台でリベンジするという出来すぎとも思えるストーリーを完結させた。

 毎年、夏の大阪大会が始まる前、各校の戦力分析をはじめとした大会展望を書かせてもらっている。ここ数年は決まって“2についての原稿を書いてきた。2強とは、大阪桐蔭と履正社のことだ。しかし今年は、混戦の大阪をテーマにした。つまり、この2強が例年ほど圧倒的ではないということだった。

 事実、春の大阪大会は大阪桐蔭が5回戦で近大付に敗れ、履正社も準々決勝で大商大に屈した。この2強が春の大会でベスト4に残らなかったのは、じつに12年ぶりだった。

 春の時点で、履正社はエース・清水大成に続く2番手以降の投手不在が課題だった。一方の大阪桐蔭は、昨年春夏連覇を達成したチームのほとんどが3年生で、下級生はわずか2人しかいなかった。その結果、試合の随所で経験不足を露呈し、夏までにどこまでチーム力を上げてこられるかが最大のテーマだった。

 いつもと違う夏の雰囲気は十分にあったが、大阪の夏を制したのはやはり2強の一角、履正社だった。打線が沈黙する試合もあったが、選手個々の能力の高さは屈指。清水に続く2番手も2年生の岩崎峻典が急成長し、チーム力は春とは比べ物にならないほど上がっていた。

大阪2強“——関西圏では誰もが納得のフレーズだが、それ以外の野球ファンや関係者からすると2強の表現に違和感を持つ人も多いのではないだろうか。理由は明快で、両校の間に高校野球の集大成である夏の結果に大きな差があったからだ。

“夏の結果”を指すものは2つある。1つは甲子園での結果で、もう1つは夏の大阪大会。もっと厳密に言えば直接対決での結果である。

 まず履正社だが、センバツは8回出場しており、2014年と2017年は準優勝を果たすなど、しっかりと結果を残している。ところが夏になると、昨年までの時点では3回にとどまり、最高成績も2010年、2016年の3回戦である。

 対して大阪桐蔭は、これまで夏は10回の出場を誇り、うち日本一は5度(春を含めると8回)ある。しかも、夏の大阪大会での直接対決も大阪桐蔭が11連勝中と圧倒しており、両校の差は歴然だ。

 両校が初めて夏の舞台で対戦したのは、履正社が初めて甲子園出場を果たした1997年。この時は履正社が2対1で勝利、2度目の対決となった1999年も履正社が1312の乱打戦を制するなど、連勝スタートだった。ところが2005年、辻内崇伸(元巨人)、平田良介(中日)、中田翔(日本ハム)がいた大阪桐蔭が、T−岡田(オリックス)を擁する履正社に11対3で勝利すると、一気に流れが変わった。ここからことごとく大阪桐蔭が勝利を収め、昨年夏も履正社は勝利まであと1アウトとしながら、そこからの逆転負けで11連敗となった。

 T−岡田に夏の大阪桐蔭戦での結果について聞くと、決まってこう返答してきた。

「チーム力を考えると、ウチに何か1つ足りないというのがあって……それでは勝たせてもらえないのが大阪桐蔭。ただ、ウチの力が足りずに勝てなかったという思いなので、僕のなかで夏の大阪桐蔭に対してマイナスイメージはありません」

 両校の間ではっきりと戦力差を感じる年はあったが、近年は秋や春の大会においては対等の結果を残しているだけに、夏にあれだけ極端な結果が出るのが不思議でならなかった。T−岡田の言う「1つ足りないもの」とは何なのか。取材を重ねていくうちに感じたのが、両チームの選手の内面、気持ちの部分ではないかということだ。

 この夏、井上広大に履正社を選んだ理由について聞いたことがあった。井上は大阪桐蔭のある大阪府大東市の南郷中学出身(中学時代の所属チームは東大阪シニア)で、全国屈指の名門に強い憧れを持っても不思議ではないと思ったのだが、こう即答してきた。

「寮には入りたくなかったので、履正社に決めました」

 これまで履正社の選手に同じ質問をしてきたのだが、かなりの確率で井上と同じ答えが返ってきた。進路選択の際に寮か自宅からの通いかというのは、大きな判断材料になる。ただ、選手とのこのやり取りのなかでいつも感じていたのは、履正社の選手たちの言葉に強さがなかったことだ。つまり履正社の選手たちのなかで「寮生活=厳しい環境」というイメージがつくられており、そこに身を置いていない自分たちに対して引け目を感じているというか、そうした部分に弱さを感じることもあった。

 一方、大阪桐蔭の選手たちに進学してきた理由を聞くと、「日本一になりたいと思って選びました」「プロに行きたいので決めました」と、堂々と誇らしげに返してくることが多かった。

 同じ質問をしても、両校の選手たちの間には「言葉と目力」の強さに大きな差があった。

 寮か通いか、この点についてT−岡田に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「寮がないというのは、ウチの学校のシステムなので変わらない。それに寮か通いかの問題だけじゃなく、気持ちも含めた総合力でどう相手を上回っていくか。ウチは本人次第の部分が多くなるので、一人ひとりがしっかり意識を持ってやるしかない」

そこを言い訳にできない履正社とすれば、もっともな答えだ。ただ、変わらないシステムのなかで、履正社の選手たちが揺るぎない自信をつかむためには、夏の結果が必要だった。そして今回、ついにそこを手にしたのだった。

 夏の甲子園の決勝のあと、閉会式を終えて一塁ベンチ裏の通路でお立ち台に上がった岡田監督は開口一番こう言った。

「ちょっとホッとしました。優勝旗を見て『ああ、優勝したんやなぁ』と思うと……

 岡田監督としても、夏の結果というのは意識していたはずだ。それは名誉や大阪桐蔭へのライバル心といったものではなく、自分たちの環境でも日本一を獲れるということを証明したかったからにほかならない。

 今回の日本一によって、岡田監督の指導も、選手たちの意識も変わるだろうし、これから履正社に入ってくる選手もしっかり”日本一”をイメージしてくるはずだ。これは履正社にとって大きな一歩である。だからといって、すべてが変わるとも思っていない。本当の意味で履正社が大きく変わるのは、夏に大阪桐蔭を倒した時ではないだろうか。

 この夏、履正社はセンバツの悔しさを糧に成長を続けてきた。完膚なきまでに叩きのめされた奥川への強い思いが、チームの歴史を変えるほどの力を引き出したのだ。ならば、今度こそ打倒・大阪桐蔭である。

 大阪桐蔭が春夏とも甲子園に出場できなかったのは2011年以来、じつに8年ぶりである。大阪大会の準々決勝で金光大阪に敗れた数日後、西谷浩一監督から「山にこもって練習しています」と連絡があった。冗談めかした物言いではあったが、「このままでは終わらない」という気持ちは十分に伝わった。

 履正社には甲子園優勝の味を知る小深田大地、池田凛、岩崎峻典らが残り、大阪桐蔭にも西野力也、仲三河優太、藤江星河、船曳烈士(れつし)といったこの夏の悔しさを知るメンバーが残る。履正社の日本一から始まる新たな大阪2強物語は、ますます面白くなりそうだ。

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