八重樫幸雄に巨人レギュラーの可能性「トレードの話があったみたい」

9月26日(木)7時0分 Sportiva




連載第5回

(第4回はこちら>>)

長嶋茂雄が望み、広岡達朗が断った「巨人へのトレード」】

——八重樫さんが若手だった頃の指揮官・三原脩監督について、これまでお話を伺ってきました。三原監督の後に荒川博さんがチームを率いたものの、1976(昭和51)年シーズン途中に成績不振のために辞任。ヘッドコーチから昇格したのが広岡達朗さんでしたね。

八重樫 1976年といえば、僕にとってはプロ7年目のことでしたね。僕にとっての広岡さんは「とても厳しい人だな」っていう印象かな? だって、コーチとしてヤクルトに入団してから、1979年に監督を辞任するまで、一回も笑ったところを見たことがないんだから。

——またまたぁ。八重樫さん、話を盛りすぎですよ! 広岡さんがコーチに就任したのが1974年シーズンで、監督を辞任するのが1979年シーズン途中のことですよ。5年以上も間近で接してきて、「一回も笑っていない」ってことはないでしょう(笑)。

八重樫 いやいや、本当。本当に一回も笑ったところを見たことがないんだから。その後、1982年から広岡さんは西武ライオンズの監督になるでしょ? ある時、ベンチに座る広岡さんの姿をテレビで見てビックリしたことを、よく覚えているよね。

——何でビックリしたんですか?

八重樫 だって、広岡さんが笑っていたから(笑)。それぐらい、広岡さんが笑ったところを見たことがなかったんだよ。思い返してみれば、(1978年の)初優勝を決めた試合、試合後のグラウンド一周で握手をした時に、少しだけ白い歯が見えた。それ以外、白い歯さえ見た覚えがないくらいだもの。


1978年のリーグ優勝決定後、グランドに乱入したファンの前で挨拶する広岡監督 photo by Sankei Visual

——今までいつも、決して大げさなことは言わなかった八重樫さんがそこまで言うのなら、さすがに僕も信じます(笑)。ところで、当時のヤクルトには、同期入団でありながら4歳年上の大矢明彦さんも在籍していました。広岡さんの中では、「大矢・八重樫の二枚看板」という考えだったんでしょうか?

八重樫 どうかな? たぶん、大矢さんを中心に起用しながら、僕を育てていこうとしていたんじゃないかな? そうそう、「この頃、長嶋(茂雄)さんから、トレードの打診があった」って、現役引退後に知らされたんだよね。

——えっ! 当時、巨人監督の長嶋さんは「八重樫がほしい」と考えていたんですか?

八重樫 うん。そうだったらしいね。どういう意図でトレードを希望して、交換要員が誰だったのかとか、詳しいことはわからないけど、「広岡さんが断ったんだ」と、親しい新聞記者から聞いたんだよね。

——当時の巨人は、八重樫さんより5歳年上で、V9時代の二番手捕手だった吉田孝司さんがレギュラー捕手でしたよね。後のレギュラー捕手・山倉和博さんの入団前だったし、巨人に移籍すればレギュラーだったかもしれないですね。事前に知っていれば、「巨人入り」を望みましたか?

八重樫 事前に知っていても、「巨人に行って野球をやりたい」とは思わなかったと思うよ。広岡さんが断ったのは「大矢の後は八重樫だ」という思いがあったんだろうし、広岡さんが監督だった時にコーチになった森(昌彦/現・祇晶)さんは、僕に期待してくれていることは感じていたから。それに、僕らはヤクルトの一期生みたいなものでしょ?

——ヤクルトが球団経営にかかわるようになったのが1969年。その年のドラフト1位が八重樫さんでしたからね。

八重樫 そうそう。だから「他球団に行きたい」とは全然思わなかったし、途中から入るのってイヤだからね(笑)。

【一瞬で溶けてなくなった白い歯】

——広岡さんといえば、「管理野球」。とくに玄米中心の「食事制限」が有名ですよね。食事に関しては、相当厳しかったんですか?

八重樫 どうだったかなぁ? みんなにそれを聞かれるんだけど、一度も「玄米」なんて聞いた覚えがないんだよなぁ……。僕がよく覚えているのは「コーラを飲むな」っていうこと。ある時のミーティングで、広岡さんがどこからか抜けた歯を持ってきて、それをコーラに入れたらあっという間に溶けてなくなったんだよね。

——確かに、「コーラを飲むと骨が溶ける」とは、昔、噂でよく聞きましたけど、さすがに「あっという間に歯が溶ける」なんてあるわけないじゃないですか(笑)。仮にあったとしても、明らかに何か細工しているに決まっているじゃないですか!

八重樫 確かに。「本当に本物の歯なのかな?」とは思ったけど、歯が溶けた瞬間は、意外とみんなで「オーッ」って歓声が上がったよね(笑)。半分疑いつつ、少し笑いながらだったと思いますけどね。


当時を振り返る八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi

——実際に広岡さんが監督になってチームが強くなっていく感覚はあったんですか?

八重樫 ありましたよ。それまでは淡々と負けていたのに、少しずつ「山あり、谷あり」という野球に変わっていきましたからね。凡打なんだけど、きちんと捉えた打球が相手のファインプレーに阻まれたり、ちゃんとランナーを進める進塁打になったり、きちんと内容のあるものに変わっていったのは広岡さんが監督になってからのことだったな。

——後の記事などを読むと、「当時のベテラン選手たちは広岡さんの指導に反発していた」という内容が目立ちますけど、八重樫さんはどうでしたか?

八重樫 前回も言ったけど、僕自身は「とにかく自分には厳しく」というタイプだったから、むしろ広岡さんの野球とか考え方と合っていたと思いますね。まだ中堅選手だったというのもよかったのかもしれないな。もしベテランだったら、自分なりの考えとかポリシーとかが出来上がっていて、広岡さんに反発心を持ったかもしれないからね。

——そういえば、1980年代のエースとなる尾花高夫さんも、「広岡さんの教えは自分の考え方と合っていたし、新人時代に広岡監督に鍛えられてよかった」と言っていました。

八重樫 当時の尾花はフィールディングに難があったんですよ。バント処理の練習をしても、彼はいつもサードに暴投ばかり。広岡さんの場合は「できたヤツから、終わりにしていい」という考えだから、尾花はいつまで経っても終わることができない。それでも、イヤな顔せずに黙々と練習していましたね。そのおかげでしょうね、彼が成長できたのは。

【プロ9年目の1978年、ついに悲願の優勝を実現!】

—— 一方、当時ベテランだった若松勉さん、あるいはパ・リーグ時代にすでにタイトルを獲得していた大杉勝男さんたちは、広岡さんに対してかなり反発したんじゃないですか?

八重樫 若松さんが反発したのは、「お前なんて、他球団に行けばたいしたことないんだ」って言われたから。ある時、若松さんが肉離れを起こして二軍行きを訴えても無視されたんで、「筋が切れてもいい」という思いで全力疾走したのに、「意外と切れないものだね」って思ったらしいよ(笑)。大杉さんも、いろいろ不満はあったみたいだね。

——以前、この連載で「三原監督からは一度だけ、”ようやく本物になったね”と褒められた」と伺いました。広岡さんには何か声をかけてもらったことはありますか?

八重樫 何もなかったかな(笑)。今は「褒めて育てる」という考え方が主流なのかもしれないけど、僕らは褒められることなんてなかったし、褒められると逆に、「冗談を言っているのかな?」って感じるぐらいだから、それが普通だったんですよ。最初に言ったように、広岡さんは常にビシッとしていて、笑顔を見せたり、だらっとした姿を見せたりすることはなかったから、褒められなくても全然気にならなかったな。

——たとえ活躍したとしても、褒められないんですね。

八重樫 確か、富山での試合だったと思うんだけど、試合前に広岡さんに「球場へ行く前に素振りをしておけ」と命じられたことがあったんですよ。それで広岡さんの部屋で素振りをして、その試合でホームラン2本打って、4安打ぐらい打って。さらにマスクをかぶって連敗を止めたんだけど、その時も褒められなかったぐらいだから(笑)。

——広岡さんがシーズン途中で監督になった1976年は5位だったものの、翌1977年は2位に。そして、ついに1978年はチーム創設初のセ・リーグ制覇、そして日本一に輝きます。1978年の開幕戦は八重樫さんがスタメンマスクをかぶっていますね。

八重樫 開幕を控えたオープン戦のラスト10試合くらいから、その年のレギュラーメンバー中心のスタメンオーダーになるでしょ? この年は大矢さんがずっとスタメンだったんで、「あぁ、今年は大矢さんでいくのか」って思っていたら、開幕戦当日のシートノック終了後、森さんに呼ばれて「今日はスタメンだ」って告げられて……。でも、開幕戦はデーゲームだったので、オープン戦の延長でスムーズに開幕を迎えられたんだよね。

——この開幕戦では安田猛さんとバッテリーを組んで、見事に勝利しました。幸先のいいスタートとなりましたね。

八重樫 確かにね。でも、4月28日の巨人戦での本塁クロスプレーで左の内側靱帯をやっちゃって、即入院。チームも調子よかったし、僕も打撃ランキング2位ぐらいだったのに……。だけど、しょうがないよね。ケガは野球につきものだし、ケガを恐れていてはプロとしてのプレーはできないから。
(第6回に続く)

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