横綱・鶴竜の転機。「弱い自分を吹っ切ることができた」瞬間とは?

9月29日(日)6時0分 Sportiva




向正面から世界が見える〜

大相撲・外国人力士物語
第3回:鶴竜(3)

 大相撲秋場所(9月場所)は、御嶽海の優勝で幕を閉じた。先場所の名古屋場所(7月場所)で賜杯を抱き、連続優勝が期待された横綱・鶴竜は、8日目に左膝を負傷し休場。不本意な結果に終わった。また、その直後、師匠の井筒親方(元関脇・逆鉾)が突然この世を去った。2001年、16歳の時にモンゴルから来日して以来、紆余曲折あった横綱が、これまでの相撲人生を振り返りつつ、敬愛する亡き師匠への思いを語る——

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 日本に来た時は体重が60㎏台だった私も、入門後は着実に体重を増やすことができました。ただ、100㎏を超えてからはなかなか増えなくて……。

 転機になったのは、2004年名古屋場所(7月場所)で、三段目で全勝優勝し、翌場所にポーンと幕下14枚目に番付が上がったこと。幕下15枚目以内というのは、7戦全勝優勝したら十両に上がれる特別な地位です。いきなり上がったから、案の定跳ね返されましたけど、対戦相手がみんなでっかくて、「この体じゃ勝てないな」と心底思いましたね。そこから、火が付いた部分もあります。

 その頃、同じ年に入門した白鵬関と安馬関(当時=のち日馬富士)は、ひと足早く十両昇進を決めていました。日本式の学年区分だと、3月生まれの白鵬関は私(8月生まれ)より1学年上になりますが、モンゴル式だと同じ学年。やっぱり「同級生には負けたくない!」というのはありますよね。

 私が十両に昇進したのは、2005年九州場所(11月場所)、20歳の時でした。けれども、力不足だったため、5勝10敗と負け越し。兄弟子の寺尾関が2002年に引退していて、ようやく井筒部屋から関取が誕生したというのに、たった1場所でその座を明け渡さなければいけなくなった。その悔しさといったら……。

 千秋楽の打ち上げ会場で沈んでいた私に声をかけてくださったのが、部屋の行司である式守輿之吉(のち36代・木村庄之助)さんでした。

「アナンダ、悔しいのか? 明日から1週間、部屋の稽古は休みになるけれど、『稽古をしてはいけない』という決まりはないんだよ。悔しいと思うなら、土俵に上がって稽古したらどうだい?」

 このアドバイスはうれしかったですね。翌朝から私は悔しさを土俵にぶつけ、弱い自分を吹っ切ることができたのです。

 1場所で十両に復帰した私は、2006年九州場所、念願の新入幕を果たします。気持ちが安定してきたこともあるのでしょう。体重は132㎏まで増えていました。

 2008年初場所(1月場所)では、初めて三賞に選ばれ、技能賞をいただくこともできました。けれども、白鵬関はその前年の名古屋場所(7月場所)、22歳で69代横綱に昇進。私も2008年に入ると幕内上位で安定してきて、毎場所のように白鵬関との対戦があったのですが、まったく勝てない状況が続きました。

 そうして数年が経ち、2012年春場所(3月場所)、「大関取り」がかかっていた私は、初めて勝った初場所に続いて白鵬関から白星を挙げ、12勝3敗で優勝決定戦に出場。優勝こそ逃してしまいましたが、場所後、大関昇進が決まりました。

 ところがこの時、大関はすでに5人いて、私が昇進したことで史上初の6大関時代へと突入。その次(横綱)を狙う……ということは、なかなか難しい状況になったのです。

 横綱昇進のチャンスが巡ってきたのは、2014年初場所。初日、平幕の隠岐の海に敗れたものの、その後に14連勝。ついに、翌場所での「綱取り」が視野に入ってきたのです。

 私は28歳になっていました。2012年には日馬富士関も横綱に昇進していましたし、白鵬関には大きく差を付けられてしまったけれど、このチャンスを逃すわけにはいきません。

 運命の春場所——。前の場所に続き、3日目に隠岐の海に敗れてしまいましたが、4日目から12連勝。14勝1敗で初優勝を果たし、横綱昇進を決めたのです。

 昇進を確実にした時、私は「うれしいです」と言ったのですが、実際は不安が先に立ち、「この先やっていけるのだろうか……」という気持ちのほうが強かったですね。

 実際、横綱になってみると、その立場の重さ、苦しさがよくわかりました。そして2015年春場所、私は左肩を負傷。2場所連続の休場に追い込まれます。致命的なケガをしてしまったショックや出場できない悔しさで、悶々とした日々が続きました。

 だから、なんとかケガを克服して、その年の秋場所(9月場所)で横綱として優勝できた時のうれしさは格別でしたね。「やっと使命を果たせた……」という安堵感のほうが強かったかもしれません。



ケガと戦いながら、横綱として奮闘を続ける鶴竜

 以来、私の土俵人生はケガとの戦いが続いています。2018年に入り、春場所、夏場所(5月場所)と優勝。5回の優勝を果たしたところで、今度はヒザやかかとの負傷。満を持して臨んだ先日の名古屋場所(7月場所)前には腰痛を発症……。

 でも、ちょうどその頃、女子レスリング世界選手権の代表選考プレーオフの試合があり、川井梨紗子選手が伊調馨選手を破るというシーンを、病院から帰る車の中で見たんです。

 勝った川井選手がインタビューで、「(今日は勝ちましたが)まだ、ここで終わりじゃない。目標がぶれないように、もっともっと練習をがんばりたい」と言っていたんですね。

 なるほど……こういう考え方もあるんだなぁ。(アスリートは)みんなこういうことを考えるんだなぁ。自分もそうだなぁ、と。自分自身がつらい時って、そういう言葉が心にスーッと入ってくるんですよね。

 私自身、スポーツの世界に身を置いていますが、この人を目標にするとか、尊敬しているとかはないんですよ。相撲の世界に入ってから、いろいろと勉強して、これからも自分で挑戦していくというか、日々成長していく……と思っています。ただ、16歳で日本にやってきて、34歳になる自分はまったく想像できなかったですね(笑)。

 さすがにこの年齢になると、5年先のことを想定するのは難しい。だから今思うのは、目の前の目標に向かって、ひとつひとつ集中してやっていく、というところでしょうか。

 最後になりましたが、9月16日、私が16歳から師匠と仰いできた井筒親方(元関脇・逆鉾)が天国に旅立たれました。葬儀が終わった今でも、親方は部屋のどこかにいるんじゃないか? と、信じられない気持ちでいます。

 私のことを期待してくれて、愛してくれた親方。井筒部屋はなくなりましたが、親方から教わったことを胸に、これからも相撲道に精進していきたいと思っています。

(おわり)

鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)
第71代横綱。本名:マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日生まれ。モンゴル出身。得意技は右四つ、下手投げ。華麗な技と穏やかな人柄で、年輩の好角家から若い女性ファンまで幅広い人気を誇る。

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