マリア・デ・ビロタの遺族、マノーF1との法的争いを終了。死去から4年

2017年10月13日(金)12時11分 AUTOSPORT web

 2012年、F1テスト中の事故で重傷を負い、翌年、命を落としたマリア・デ・ビロタの遺族が、マノーF1チームとの話し合いのなかで合意に達し、法的争いが終了したことを発表した。


 デ・ビロタはマノーの前身マルシャでテストおよび開発ドライバーを務めていた。2012年7月にダックスフォード飛行場で直線テストを行っていたデ・ビロタは、チームのトラック後部に衝突し、右目を失う大けがを負った。


 安全衛生庁(HSE)は調査の結果、デ・ビロタはマシンの止め方について完全な指導を受けていなかったことを明らかにしたものの、チームに対する法的手続きを取らないことを決めた。


 デ・ビロタは事故の後遺症に苦しみながらも、車の運転を許可されるまで回復、モータースポーツの安全性向上につながる活動を行っていきたいと語っていた。


 しかし2013年10月、当時33歳のデ・ビロタがホテルの部屋で亡くなっているところが発見された。遺族は、死因は神経系の損傷によるものであると発表した。


 HSEがチームに対するアクションは取らないという決定を下した後も、デ・ビロタの遺族は次なる法的手続きを検討していくと述べていた。


 しかし今週、デ・ビロタ家の代理人が、マノーと合意に達し、法的争いが終了したことを発表した。


「マリア・デ・ビロタの家族は、2012年7月3日のマリアの事故に伴うマノーF1チームとの論争において合意に達したことを明らかにする」と代理人の声明には記されている。
  
「この事故はたくさんの理由によって起きたものの、そのうちのひとつはピットエリアにトラックがテールリフトが突出した状態で停められていたことで、それについてマリアに非はなかった」  


 マノーのスポークスパーソンは「痛ましい事故であり、チームと彼女を知る人々すべてがショックを受けた。彼女は皆に惜しまれている」とコメントしている。同チームは2017年初めに解散した。
     
 遺族は今後、“マリアズ・レガシー”という慈善団体の活動に注力していくということだ。 


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