日本の競走馬が世界的に劇的に強くなった歴史を振り返る

10月13日(日)7時0分 NEWSポストセブン

昨年JCを驚異のレコードで勝ったアーモンドアイ

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 平成19(2007)年、日本は国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の格付けで世界で16番目の「パートI」国となり、競馬一流国と認められた。「国際化」の象徴ともいわれる出来事だったが、それで何が変わったのか。競馬歴40年のライター・東田和美氏が、競馬の国際化についてつづる。


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 それまでは日本でGIレースを勝っても、海外では「GI馬」とは認められず、海外のセリ名簿に実績として記すことができなかった。


 競馬の開催日数や出走頭数、馬券売上や賞金は世界トップレベルでも、出走馬に制限があり、世界の馬に広く門戸を開いていないというのがその理由。かつてはクラシックをはじめ、外国馬が出られないレースが多かったのだ。JRAは馬産地関係者などと粘り強く折衝を重ね、徐々に出走制限を緩和させていくことで、「国際化」を推し進めていった。


 いまでは多くのレースが国際レースとなり、外国調教馬(以下「外国馬」と表記)が出走できるようになった。


 ジャパンカップ(JC)はまさに国際化を目指す第一歩として昭和56(1981)年に創設され、第2回などは外国馬10頭に対し日本馬が5頭だけと、国際レースにふさわしいものだった。平成9(1997)年までにJCに出走した外国馬は140頭以上、17回のうち12回は外国馬が優勝と、その強さを見せつけられるばかりだった。


 ところが後にヨーロッパに遠征して凱旋門賞で2着にはいるエルコンドルパサーが勝った平成10(1998)年あたりから、日本馬が優勢になり、その後の21回で外国馬の優勝はわずかに2回。招待レースであるにもかかわらず、出走馬も徐々に減っていった。2000年には1着賞金がそれまでの倍近い2億5000万円に、さらに27(2015)年からは3億円になったが、外国馬は掲示板に載ることすらなくなってしまった。


 しかしJCが果たした役割は大きい。世界最高峰のレースといわれる凱旋門賞には、今年も日本馬が3頭出走。今では日本馬が挑戦するレースとなっているが、JCにはこれまで8頭の凱旋門賞勝ち馬が出走してきている。


 その後の世界の競馬を考えると、最も「大物」だったのは平成5(1993)年の牝馬アーバンシー。3歳で凱旋門賞を制覇(ちなみにこのときの2着はホワイトマズル)。JCでは10番人気8着に終わったが、引退後、母親になってからの成績が凄まじい。英愛ダービーを勝ったガリレオ、凱旋門賞馬シーザスターズを筆頭に、GI馬を4頭も世に送り出す。


 ガリレオは種牡馬として初年度からGI馬を輩出、9年連続で英愛リーディングサイヤーになっており、その子14戦14勝のフランケルや、エネイブルの父ナサニエルなども種牡馬として成功を収めている。


 そんな名馬でもJCで勝つことができなかったが、世界の一流馬が日本の競馬場で走る姿は、ファンにとってはたまらない魅力だし、世界の競馬状況をも知らしめてくれた。来日した凱旋門賞馬のうち4頭は日本で種牡馬となり、日本競馬の発展に大いに貢献した。


 マイルやスプリントGIでは、一時香港馬などが狙いを定めて来日し、結果を出していたが、近年はやはり日本馬だけの争いとなっている。


 凱旋門賞をはじめ、日本馬の海外遠征は当たり前になり、海外GI勝利も意外ではなくなった。さらに、海外競馬の馬券も買えるようになった。しかし、国内のレースを見る限り日本競馬の「国際化」はまだまだこれからといわざるを得ない。


●ひがしだ・かずみ/今年還暦。伝説の競馬雑誌「プーサン」などで数々のレポートを発表していた競馬歴40年、一口馬主歴30年、地方馬主歴20年のライター。


※週刊ポスト2019年10月18・25日号

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