広島菊池を変えた大学時代 最強二塁手の誕生に大きな影響を与えた4年間

10月15日(月)13時53分 フルカウント

独占インタビューで激白「大学の4年は応用ばっかりやってきました」

 球団史上初となるセ・リーグ3連覇の偉業を果たした広島カープ。菊池涼介内野手は二塁手として両リーグトップの守備率.995を記録し、華麗な守備で栄冠に貢献した。17日からは、マツダスタジアムで行われる巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージに挑む。

 5年連続でゴールデングラブ賞を受賞した名手はメジャーリーガー顔負けの華麗な守備でスタジアムを沸かせている。圧倒的な守備範囲とトリッキーで高度な技術は一体どうやって培ったのだろうか。菊池はFull-countの単独インタビューで、最強二塁手誕生に大きな影響を与えた大学4年間について語ってくれた。

——菊池選手の守備については、日本の野球ファンなら誰もが知るところです。WBCでは海外メディアでも「忍者守備」と称賛されました。学生時代からの練習の賜物だったのでしょうか?

「高校時代(武蔵工業大学第二高校)はひたすら基礎練習でした。しこたまノックを受けましたし、ランニングスローなんてやったことはありませんでした。その後、進学した大学(中京学院大)がすごく自由で。大学時代にノックを受けた回数は滅茶滅茶少ないです。その代わり、自分でどうすれば効率よくアウトを取れるのか。高校の3年間が基礎だとすると、大学の4年は応用ばっかりやってきました。ランニングスローとか、グラブトスとか……。格好付けていただけかもしれませんが、この4年間でやってきたことが今、生きているのかもしれませんね」

——高校時代の3年間に徹底した基礎がベースとなった(大学の)4年間の応用の日々なんですね。菊池選手は中京学院大の自由な雰囲気と守備の応用編へのレベルアップを求めて、進学を決めたのでしょうか?

「実はそうではないんですよ(笑)。最初は行きたい学校もあって親に相談したんですけども、お金がかかるって言われたんで。(学資を)払えないということで断念した時に、中京学院大が選択肢に出てきました。ここの監督が決まったから相談したらどうだ、と言われて。そこで電話してみたんですよ。まあ、練習参加に行った時は驚きました。『何だこれは』というぐらい、草野球のような印象でした。『オレはこんなところでやるのか』と実は心の中で思ったんですけど(笑)。いざ入ってみたら楽しく野球をすること、みんなでバッティング練習に行ったりするのが、今までない新鮮さで。すごく楽しかったですね。

 違う野球をやれると言うか、失敗したらすごく怒られるとか、高校時代の部活ではそういう部分を過ごしてきた反動もあったからかもしれません。だからみんなで負けた後も、『じゃあ次、次!』っていう感じで切り替えられるところを見て、こういう野球もあるんだっていういい意味で衝撃を受けました。自由の中に厳しさもありました。大学の野球部の出会いが自分のキャリアにとっては大きかったですね」

大学日本代表の選考会で受けた衝撃「目が覚めました」

——単にのびのびと練習をしていたわけではない。自分自身にはどのような厳しさを課していたのでしょうか?

「僕自身は大学時代はショートでした。うちの大学は強豪校から来ている選手もいましたが、高校時代は3番手、4番手の選手でした。やっぱり『練習はいいや。今日は帰ろう』とか言い出すメンバーもいました。でも、その中でも今日はこの練習をやりたい、ここを伸ばしたいと、明確な目標を持っている子はたくさんいました。自分が課題を見つけられる選手は伸びると思います。そういう人たちは目の前でダラダラするわけではなく、成長したと思います。僕自身は1年生の頃は実はダラダラに漬かってました。大学2年生の時に選考合宿(大学日本代表候補合宿)っていうのがあって、そこに呼ばれたんです。選考会に行ったら『レベルが違うぞ』と目が覚めました。そういういいきっかけもありましたね」

——現在では侍ジャパンの正二塁手ですが、第4回世界大学野球選手権大会日本代表の選考会ではどんな衝撃が待っていたのでしょうか。

「ハードル高いなと思いました。当時のジャパンには斎藤佑樹さん(日ハム)がいたし、大石(達也投手、西武)さんとか澤村(拓一投手、巨人)さん、野村(祐輔投手、広島)もいましたし、伊藤隼太(外野手、阪神)もいたと思います。オリックスの安達(了一内野手、オリックス)さんもいました。彼らを見ていたら挫折というか、『こんなんじゃだめだ』と気付かされるポイントには確かになりましたね」
 
——菊池選手はその2年後の大学4年時に第5回世界大学野球選手権大会日本代表のメンバー選考合宿に召集されました。そこではまた違う感覚はあったのでしょうか。

「大学4年生の時に選考会に呼ばれた時、『あ、自分は追いついている』と実感した記憶があります。まだまだバッティングでは荒削りな部分はあったと思います。東都の一流ピッチャーを打っていたわけではないので、『打てなくても仕方ないかな』と割り切っていたんですけども。守備ってなった時は、すごく自信を持って合宿に行っていましたね。合宿では選ばれなかったですが、周囲との差が縮まっていたことを確認できたのは嬉しかったです。自分のやっていることは間違いじゃないと。すごく自信になりましたね」(Full-Count編集部)

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