オリックスOBのイチロー氏が26年ぶり日本一を祝福 今も貫く「球団愛」「神戸愛」

2022年10月31日(月)17時0分 ココカラネクスト

(C)Getty Images

 オリックスが30日、神宮球場で行われたヤクルトとの日本シリーズ第7戦を勝利し、4勝2敗1分けで日本一に輝いた。日本シリーズを制覇したのは1996年以来、26年ぶり。試合後には、その時の優勝メンバーだった球団OBで現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏が球団を通じて祝福のコメントを寄せた。

 「オリックス・バファローズの皆様、日本一おめでとうございます。ファンの方々の想いと期待に、リーグ2連覇と日本一という最高の結果で応えたこと、見事でした。26年前、『がんばろう KOBE』を合言葉にファンの方々と共に闘った熱い気持ちを、僕の中にも呼び起こしてくれました。当時を共に闘った中嶋監督のもと、若い選手達が新たな歴史を刻んでいってくれることを期待しています」

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 1995年1月に阪神・阪神大震災が発生。当時のオリックスは旧近鉄と合併する前で神戸市のグリーンスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)を本拠地としていた。

 震災で甚大な被害を受けたのが神戸市だった。球団側も被災者支援を続けながらペナントレースを闘い、「がんばろう KOBE」を合言葉に見事にその年のリーグ優勝を達成。ヤクルトとの日本シリーズには惜しくも敗れたものの、リーグ連覇を果たした翌96年には巨人との日本シリーズを制し、見事に日本一に輝いた。

 イチロー氏もマリナーズに移籍した後はシーズンオフを神戸市で過ごすことがほとんどで、同市西区に存在していたオリックスの球団寮「青濤館」の室内練習場で球団選手の練習時間の合間に自主トレを実施。オリックスに在籍していた清原和博氏とも合同トレをしたこともあった。合宿所の若手選手にとって大選手の練習や調整法を目の当たりするこができる生きた学習の場でもあった。

 イチロー氏は大リーグでワールドシリーズを経験することができなかった。地区優勝はマリナーズ入団1年目の2001年と、ヤンキース移籍1年目の12年の2度だけ。メジャーで首位打者2回、盗塁王1回、2004年にシーズン歴代最多安打となる262安打をマークするなど数々の個人タイトルや記録を樹立してきたが、チームタイトルとは縁が薄かった。

 引退後も神戸を拠点に置く草野球チーム「KOBE CHIBEN」を結成。11月3日には東京ドームで高校野球女子選抜チームとエキシビションマッチを行う。今も変わらぬ神戸愛を貫くイチロー氏にとってオリックスでの成功体験が自身の原動力でもある。球団本拠地こそ大阪に移ったものの、神戸は今も準本拠地。26年ぶりの日本一は球団ファンと同様に心に響いたことだろう。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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