タカマツペアのリオ五輪金メダルが、バドミントン強国への道を拓いた

11月6日(金)10時50分 Sportiva

PLAYBACK! オリンピック名勝負ーー蘇る記憶 第40回  
スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。 
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2016年リオデジャネイロ五輪バドミントン女子ダブルス決勝を戦う高橋礼華(右)と松友美佐紀
 
日本バドミントン女子ダブルスは、複数ペアが世界ランキングトップ10に入り続け、2012年ロンドン五輪で藤井瑞希・垣岩令佳組が銀メダルを獲得。以降も、14年、15年の世界選手権で異なるペアが銅メダルを獲るなど活躍した。それでも、中国の厚い壁をずっと崩せずにいた。
 そうした中、16年リオデジャネイロ五輪は大きな期待が寄せられる大会になった。前年の世界選手権3位の福万尚子・與猶くるみ組は僅差で出場権を獲得できず2ペア出場はならなかったが、高橋礼華・松友美佐紀組が世界ランキング1位で臨むことになったからだ。
 小学生時代から全国タイトルを獲得し、その高い技術が注目されていた松友は、中学3年の06年に40日間の中国合宿を経験。それを機に中国選手に対する「怖さ」も感じなくなり、「絶対勝ちたい」と思うようになった。宮城県にある強豪校・聖ウルスラ学院英智高に入学後は、1年秋から1学年上の高橋とダブルスを組んだ。高橋は松友についてこう話した。
「松友はもともとパワーがあるほうではなく、一方、私はスマッシュをガンガン打つタイプだったから、しっくりしてローテーションもうまくできた。私にないものを松友が持っていて、松友にないものを私が持っている感じでした」

 ふたりのペアは高校2年、3年と連続で全日本総合選手権3位になり、ダブルスでナショナルチーム入り。10年には高橋が先に加入していた日本ユニシスに入った松友は、当初はシングルスも並行してやっていたが、2年目からは高橋とのダブルスに専念することを決めた。
 12年ロンドン五輪は世界ランキング21位、日本勢4番手で出場には届かなかったが、藤井と垣岩の銀メダル獲得を見て、刺激を受け意識が一気に変わったという。
 松友は「すごいと思った反面、自分たちも藤井さんと垣岩さんのペアといい勝負ができるようになっていたので悔しかった」と語り、高橋は「メダルのチャンスがあると教えられ、私たちも次は絶対に出たいという思いが明確になった」と述べた。
 12年9月のインドネシアオープングランプリゴールドで優勝すると、10月のデンマークオープンではロンドン五輪優勝の田卿・趙蕓蕾組に勝って準優勝するなど、世界ランキングを10位に上げた。
 さらに14年5月、女子国別対抗戦のユーバー杯で、第1ダブルスとして6試合全勝でチーム準優勝に貢献。これで自信をつけると、その後も着実に結果を出し続けて10月には世界ランキングを1位とし、15年5月からのリオ五輪出場権を争う戦いにはランキング1位で臨んだ。その後、12月には一時4位まで落としたが、翌16年3月には再び1位に上げて第1シードでリオに挑むことになった。

 ふたりはプレッシャーを過度に感じることもなく、初めての五輪の舞台を存分に楽しんだ。五輪前最後のスーパーシリーズプレミアの大会となった6月上旬のインドネシアオープンで優勝し、ひと息つけたこともあったからだ。
 松友は「世界ランキング1位の時、『勝たなければいけない』というプレッシャーで結果を出せない時期が続いた。ランキング1位はもちろんうれしいし、大事にしなければいけないけれど、それよりも自分たちが試合の中でどれだけ、今までやってきたことを出せるかということを考えるようになった。それで五輪では1位の重圧はなかったのだと思います」と話した。
 高橋も「五輪が決まってから『世界ランキング1位だから金メダル』と言われました。それから2、3カ月はプレッシャーを感じていましたけど、五輪合宿に入ってからはいつもと変わらない感じで、どちらかといえばリラックスしていました」と明るく語った。
 その言葉どおり、予選リーグの3試合はのびのびとした戦いぶりで全ゲームで相手の得点を15点以内に抑えてストレート勝ち。準々決勝のマレーシア戦では第2ゲームを取られて並ばれたが、ファイナルゲームを引くことなく戦って21対9で取り、勝利した。
 準決勝は、5月のユーバー杯で敗れていた韓国の鄭景銀・申昇瓚組が相手でヤマとみられていた。「(5月に)負けた時は、相手はあまりプレッシャーがない状況だった。大舞台で互いにプレッシャーを背負う場面だったら、自分たちのほうが強いと思っていた」と高橋が話したように、中盤から突き放して21対16、21対15のストレート勝ち。あっさりと決勝に進出し、金メダルに王手をかけた。

 決勝の相手は、ヨーロッパの強豪国デンマークのクリスティナ・ペデルセンとカミラ・リターユヒルのペア。高橋と松友の最大のライバルと目されていた世界ランキング2位の於洋・唐淵渟組(中国)に競り勝ったペアだった。ペデルセンとリターユヒルはそれぞれ30歳と32歳のベテラン。身長178㎝と183㎝の長身を活かした強打に高橋と松友は苦戦し、第1ゲームは18対21で取られてしまった。松友はこう振り返る。
「第1ゲームは私がひどかった。相手は強打をどんどん打って勢いに乗ると、めちゃくちゃ強い。決勝で彼女たちと当たるのは初めてだし、向こうの本気を感じて最初は少し硬くなってしまった。でも、うまく高い球を使って相手を走らせ、穴を作っていくことができれば崩せる。そういう試合を何回もやってきていたので、2ゲーム目以降はその展開にもっていけた」
 第2ゲームは序盤からポイントを連取して21対9で取った。だが、ファイナルゲームは序盤から競り合う展開に。そして中盤からは、ペデルセンとリターユヒルが執念ともいえるネットインでのポイントをもぎ取り、19対16と、あと一歩で勝利が決まるところまで高橋と松友を追い込んだ。
 しかし、そこから高橋と松友は、奇跡的な逆転劇を起こした。
「正直、負けるかなと思いました。だからとりあえず1本は、相手に『おぉ』と思わせるような球を打ってやろう、と。それで前向きになれたと思います」(松友)
「本当に一瞬だけ、『ここで負けちゃうのかな』と思ったけど、前日にレスリングの伊調馨選手が逆転勝ちした試合を思い出して気持ちを切り替えました。ファイナルで相手のネットインが3回もあった時は、あっちに流れが行っていると諦めかけましたが、負けたくない気持ちが強かったので最後に流れを引き寄せられました」(高橋)

 こう話すふたりは、土壇場からデンマークペアに迫った。その粘りに相手も焦り始めて凡ミスが出るようになり、20対19と逆転。そして、最後は高橋のスマッシュのリターンを相手がネットにかけて連続5ポイント奪取となり、21対19で勝利した。
 日本バドミントン史上初めてとなる五輪金メダルを決めたのだ。
 高橋は言った。
「相手の勝ちに来る姿勢がすごく伝わってきた。いつもの試合とは違い、自分のドロップにも最後まで食らいついてくる気迫があった。そういう相手の姿を見て、五輪の決勝は普段の大会とはまったく違うんだと思った」
 そして、松友は試合について、「あの接戦の場面で、(デンマークペアが)あんな球を打てるなんてすごく上手だな、と純粋に思いながら戦っていました。彼女たちと戦っているのが本当に楽しかったし、特に最後の2、3点は無心でやっていました」と笑顔で語り、勝因を尋ねられるとこう話した。
「『やってきたことを出せば大丈夫だ』というくらいに準備をしたし、いろんなことを経験してきた。私たちは世界ランキング1位を目指しているのではなく、今まで勝てなかった相手に勝ちたいとか、楽しいと思えるバドミントンをしたいと、純粋にやってきたからだと思います」

 04年に招聘(しょうへい)された朴柱泰氏がヘッドコーチに就任して以来、着実に力を付け、結果を出し始めてきた日本バドミントンにとって、リオ五輪の金メダルはひとつの到達点だった。
 だが結果的にそれは、ひとつの通過点になった。17年世界選手権女子シングルスでは、リオ五輪銅メダルの奥原希望が優勝。ダブルスは、女子が銀と銅で、男子は銅メダルを獲得した。さらに18年世界選手権は男子シングルスの桃田賢斗と女子ダブルスの松本麻佑・永原和可那組が初優勝を果たし、19年は彼らの連覇に加えて奥原も準優勝。日本は「複数メダル獲得が当たり前」のバドミントン強国へと進化を遂げたのだ。
 高橋、松友のふたりの金メダル獲得は、日本バドミントンの歴史を作っただけではなく、後に続く選手たちに世界一への意欲と勇気を与える契機となった。

Sportiva

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