『ニッサンR88C』大きな転換点へのプロローグとなった最後の“マーチ”【忘れがたき銘車たち】

2023年11月21日(火)10時30分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)やル・マン24時間レースを戦ったグループCカーの『ニッサンR88C』です。


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 1983年、日本の耐久シリーズに世界のグループCカーのベンチマークである『ポルシェ956』が参戦してきたのと時を同じくして始まり、徐々に本格化していったニッサンのグループCカー活動。


 ニッサンは一部例外もあったが主にイギリスのマーチエンジニアリング製のシャシーを使ってCカーレースを戦っていたが、1989年にローラへとスイッチ。さらに、それをベースにニッサンの内製率を高めていって、オリジナルCカーを製作するに至るのだが、『R88C』とはそんなニッサンのCカー活動においてマーチ時代、最後のマシンだった。


 『R88C』は基本的には前年車であるマーチ87Gというシャシーをベースにした『ニッサンR87E』のアップデート版であったが、搭載されるエンジンが前年車とは大きく異なっていた。


 ニッサンは1987年、純レーシングエンジンであるVEJ30型を生み出して『R87E』に搭載していたが、このエンジンでは思ったような戦績を残せずにいた。


 そこで、林義正氏にVEJ30型の改良を担当させ、旧態依然としていた設計をできる限り変更。その結果、エンジンの小型、軽量化のほか耐久性と出力の大きな向上に成功したVRH30型が生まれ、R88Cに採用された(1988年のシーズン途中に3.4リッター版も登場している)。このVRH30ではのちにチャンピオンエンジンとなる名機、VRH35Zにも通ずるアイデアも投じられていた。


 またシャシーもモノコックやサスペンションなどは『R87E』を流用していたものの、リヤヘビーな重量配分を改善すべくホイールベースを延長し、さらに新デザインのカーボン製カウルも装着。このカウルはニッサンの宇宙航空部門の技術を使い、ドラッグを大幅に低減させたものだった。


 こうして誕生した『R88C』は1988年2月にシェイクダウンを行うと、同年のJSPC開幕戦全日本富士500kmでデビューを果たす。するとその初戦こそリタイアに終わったが、第2戦の鈴鹿500km、第3戦の富士1000kmでは完走を果たす。そして第4戦富士500マイル、第5戦鈴鹿1000kmではポルシェ962C勢に続く3位表彰台を獲得した。


 同年のル・マン24時間レースや富士スピードウェイを舞台にした世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)の1戦でもあったWEC in JAPANではリタイアに終わっているものの、改良の効果が現れ始めていた。


 翌1989年、『R89C』がデビューするまでにこの年も戦いを続けた『R88C』は、鈴鹿サーキットが舞台となった世界スポーツプロトタイプカー選手権の開幕戦に参戦すると、ジャガーなどを上回る4位という好結果を残す。


 さらにJSPCの第2戦全日本富士1000kmレースでは、予選で最前列を独占。決勝でも3位表彰台を獲得し前年に見せた好調を維持し続けた。


 『R88C』はこのレースをもって一線を退き、ブランニューマシンである『R89C』へと主力の座を譲ることになる。そしてニッサンはグループCカーレースにおいて、さらに力を強めていくことになるのだった。

1988年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権第4戦富士500マイルを戦ったカルソニックニッサンR88C。星野一義高橋健二がステアリングを握った。

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