パ新人王の有原航平 活躍の原点となった大学時代の意外な出来事とは?

11月26日(木)15時2分 フルカウント

早大での下級生時代に思うような結果を残せなかった右腕がドラフトの目玉になれた理由は?

 25日に開催されたNPBアワードでパ・リーグ新人王に輝いたのは日本ハム・有原航平投手だ。

 昨秋のドラフトで最多4球団が1位競合した目玉右腕は、大学時代から抱える肘の故障の影響で1軍初登板は5月中旬と出遅れた。しかし、1か月以上のハンデがありながら、パ新人最多の8勝(6敗)をマーク。新人王獲得は、他のルーキーが故障などで思ったほどの結果を残せずに恵まれたという面もあるが、それでも9月5日のオリックス戦でプロ初完投初完封を果たすなど、有原が高い能力を持っていることに疑う余地はない。

 セ・リーグで受賞したDeNA・山崎康晃投手が亜大時代、東浜巨(ソフトバンク)、九里亜蓮(広島)という後にプロ入りする先輩との「出会い」をきっかけに成長したように、有原もプロで活躍する原点となる出来事が大学時代にあった。それが「怪我の功名」である。

 有原は広陵高時代からドラフト1位候補と騒がれながら、プロ志望届の提出は見送り、東京六大学の名門・早大に進学。斎藤佑樹(現日本ハム)、大石達也(現西武)、福井優也(現広島)のドラ1トリオと入れ替わりで入学し、大きな期待を集めたが、下級生時代は思うような結果を残せなかった。

力投派から技巧派への転機

 当時は150キロ超の直球で押す「力投派」だったが、力を生かそうと力みすぎる余りに制球が乱れ、痛打されることが目立った。2年生までは同級生の高梨雄平、1学年下の吉永健太朗の陰で一歩、後れを取っていた。

 転機となったのは、3年夏だった。オープン戦で自己最速の156キロをマークし、絶好調だった最中、打席に立った際に左足に死球を受けて小指を骨折。リーグ開幕間近だったこともあり、全力で投げられない状態となったが、このときに思わぬ発見があったという。

「今までは10割の力で投げていたけど、怪我をして7、8割の力で投げてみてもキレのいいボールがいくんだと思ったんです」

 この「脱力投法」が、力投派から技巧派への転機となり、今も続く投球スタイルが形作られることになった。

 直球だけに頼りすぎず、スライダー、カーブ、チェンジアップ、カットボール、ツーシームと多彩な変化球を駆使。秋には大学時代のベストピッチといわれる慶大戦の1安打(バントヒット)完封勝ちを挙げるなど、最優秀防御率を獲得し、早大のエースに君臨。一躍、ドラフトの目玉候補となり、翌年、4球団競合の末、北の大地へと渡った。

日本ハムとの相性の良さも追い風に

 新人王の追い風になったことが、もう一つあるとするなら、球団との相性だ。有原は4年秋に右肘を痛め、春季キャンプは2軍調整となった。それでも、球団は「急がば回れ」の方針で決して焦らせることなく、じっくり調整させていた。

 有原も高3夏に右肘を痛めた過去があり、2度目の故障で慎重になっていた。即戦力投手として期待される中で、患部に完全に不安がなくなるまでに回復できたことが、1軍デビュー後の活躍につながっていった。

 とはいえ、防御率4.79という数字が表すように、好不調の波があり、いくつかの課題を残したことも事実だ。

「まさか、ボクが選ばれるとは思っていなかった。来年はイニング数を増やして、規定投球回を投げきれるようにしたい」

 表彰式では来年に向け、さらなる飛躍を力強く誓った有原。「怪我」の影響なくスタートできる2年目こそ、真価を発揮するときだ。<終わり>

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