長嶋茂雄氏と王貞治氏 更改時に白紙置かれる特別待遇だった

11月26日(火)16時0分 NEWSポストセブン

「ミスター」のお金事情は?(時事通信フォト)

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 プロ野球の世界では契約更改の季節がやってきた。1年の評価が金額で示されるとあって禍根を残すこともしばしば。グラウンドの外にはドロ臭い「年俸交渉」の球史がある。(文中敬称略)


 1960年代には長嶋茂雄王貞治という国民的大スターが誕生し、1970年代まで2人が球界最高年俸の座を占めた。


 野村克也は、「王と長嶋は契約更改も特別だった」と語っている。


「聞いた話だけど、2人の契約更改では、球団から金額提示しないんだって。白紙を彼らの前に置いて“好きな額を書け”って。王に聞くと、“ノムさん、あれはいい手だよ。非常識な金額書けない”って言うんだよ。人間性を試されるって(笑い)。確かにそうだ。人間には“銭ゲバと思われたくない”という理性があって、それが邪魔してね。思いきって書けないって」


 この“特別待遇”は、ON以上にチームメートを悩ませたという。


「球団の提示に不満を持った選手がいても、“ONがこの額なんだから、お前はこれでももらいすぎだ”と言われたら反論できない。巨人時代の松井秀喜も一発サインで有名で、“松井さんが渋らないと俺たちは文句を言いにくい”とこぼす選手もいたようです」(スポーツ紙編集委員)


 1967年にドラフト10位で巨人に入団し、1971年に新人王を獲得した関本四十四(しとし)も「ONは別格だった」と振り返る。


「当時の給料は、茶封筒に入れて手渡しで支払われていた。事務のヨボヨボのおじいさんが、西銀座にある球団事務所から高級風呂敷に包んで運び、ロッカールームで配られる。


 ONはこの茶封筒が立つほど厚みがあるんですよ。森(祇晶)さんがその半分ぐらいで、ホリさん(堀内恒夫)がさらに半分。僕の封筒はペラペラで情けなかった(苦笑)」


 契約更改の待遇も大違いだったという。


「二軍の選手は、全員でバスを借りて球団事務所まで向かいました。すると、クビになった選手も一緒にバスに乗って帰らないといけない。来年も残れる選手は契約書の控えが入った茶封筒を持ち、残れない選手は手ぶら。残酷でした。


 一軍になれば個々に球団事務所に行って、契約書にハンコをついた。ですが、スーツにネクタイを結ぶ慣れない服装だけで緊張するし、豪華な交渉部屋の雰囲気に飲まれ、何も言えずにハンコをつく選手ばかりでした。年1回の機会なので、待遇や環境のことも要求しようと気負って乗り込むんですが、話したいことの10分の1も言えずに帰りましたね」(関本)


※週刊ポスト2019年12月6日号

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