本職は介護業。異色の非エリート選手が都市対抗出場でプロ入りを狙う

11月26日(木)6時25分 Sportiva

 デイサービスリゾートハナマウイを運営する江東ケアフルが母体となり、選手たちの多くが介護施設で働くハナマウイ硬式野球部。異色かつ創部2年目の新鋭が今秋、Hondaや日本通運という大企業とともに南関東地区予選を突破し都市対抗初出場を成し遂げた。

 メンバー表を見ても決してエリートと呼べる選手はいない。それでも全国制覇の経験もある桐蔭横浜大やプロ輩出もある流通経済大、東日本国際大、関東学院大、青森大、日南学園高と強豪校出身者が目立つ。

◆華やかに踊るベイスターズの美女チアリーダーたち

 しかし、そのなかにひときわ目立つのが「高崎経済大」の文字。3番を打つ大友潤は地方公立大出身の選手で、在籍時のほとんどを関甲新学生野球3部リーグで過ごした。そんな彼がいかにして社会人野球最高峰の舞台に立つまでになったのか。


人生初の全国大会に挑むハナマウイの大友潤
 北海道札幌市で育ち野球チームに入ったのは柏中学の軟式野球部から。

小学生時代はサッカーや柔道をしており、野球は「両親は共働きで(試合や遠征の手伝いなどが)無理だったので」と公園で遊ぶ程度だった。

 札幌市大会優勝などはあったが、大友はそこまで目立った選手ではなく、「打撃が好きだったので打撃のいいチームに」と進んだ札幌第一高校もスポーツ推薦ではなく一般入学だった。

 だが得意の打撃も、練習ではよくても試合に出るとさっぱり。「高校時代はびくびくプレーしていました」と振り返るようにミスを恐れて力を発揮できず、公式戦は3年間ベンチ外。最後の夏に敗れても涙も出ないほど不完全燃焼に終わった。
 
 転機となったのは近所の散歩だった。一浪後に高崎経済大に入学。高校最後の公式戦を終えてから野球を一切続ける気はなく、浪人中も予備校での受験勉強一色の生活でトレーニングすらしていなかった。

 北海道から群馬にやってきて普通の大学生活を送ろうと大学近くの部屋を借りた。かと言って特にすることもなく、近くの河川敷を歩くことにした。そこで大友の目に飛び込んできたのは、楽しそうに野球をする青年たちの姿だった。それが高崎経済大硬式野球部の練習だと知ると、その輪に加わるまで時間は要さなかった。

「高校では野球を楽しめず、試合に出るのが怖かったですし、グラウンドに行くのも心臓がバクバクするほどでした。だから大学で楽しんで野球を終えようと思いました」

 最初は「楽しもう」と再開した野球だったが、谷口弘典監督は「基礎体力や身体能力が高かったので」と早くから大友を起用した。すると、大友の心境も大きく変化した。

「試合に出ると両親も喜ぶし、監督も信頼して使ってくれている。高校時代の経験で試合に出られない人の気持ちも知っていたので、試合に出るからには中途半端にはできないと取り組み方が変わりました」

 チームの全体練習だけでなく、ひとり暮らしの部屋でもYouTubeを見てトレーニング法を調べるなどして地道に取り組んでいくと、どんどんと体つきが変わっていった。

 また、高崎経済大OBで卒業後はアメリカ独立リーグでプレー、ロッテやBCリーグ群馬でもブルペン捕手やマネージャーを務めた谷口監督の指導方針もハマった。

 谷口監督はあいさつや全力疾走を怠った時は厳しかったが、ミスに関しては「ミスして当たり前。10失敗して1成功して1、2年後に勝っていればいいんです」と積極的な失敗ならば怒ることはなかった。

 高校時代にミスを恐れてビクビクしながらプレーしていたかつての大友の姿は、自然と消えていった。授業、野球部の練習、個人トレーニング、居酒屋のアルバイトと充実した時間を過ごした。

 体格や筋力の変化により特にパワーは格段に上がっていった。ある時球速を測ってみると145キロを計測したほどだった。当然打撃にも反映されるようになり、もうひとつの大きな転機が訪れる。

 3年秋の3部リーグ戦。普段は各大学のグラウンドなどが主会場の中、その日の会場はプロ野球公式戦も開催されるHARD OFF ECOスタジアム新潟。1部リーグの新潟医療福祉大対山梨学院大の前座として3部リーグの対信州大戦が組まれた。この幸運を大友は見事に掴む。

 谷口監督が「これまでなかなか見たことがない」と言うほど、ど迫力の打球をバックスクリーンに叩き込んだ。これを次の試合の新潟医療福祉大・漆原大晟(現・オリックス)を視察に来ていたNPB球団スカウトが絶賛。それを伝え聞いた大友は大学卒業後も高いレベルで野球を続けることを決意。親には「1年間だけ」と懇願して仕送りを増やしてもらい、アルバイトを辞め野球に集中することにした。

 とはいえ、3部リーグの日の目を見ない環境。いくつかの企業チームの練習に参加したり、プロ志望届を提出するなど、必死にアピールした。

 そんななかで手を差し伸べてくれたのが創部したばかりのハナマウイだった。もともと大友と仲のよかった長野大OBの引木拓己がおり、谷口監督とハナマウイ・本西厚博監督がロッテで一緒だった縁もあった。

 時期にもよるが多い時期は週4日、都内の介護施設で朝からデイサービスの送迎車を運転し、体操指導や昼食の準備、事務作業などをこなす。また週2日は千葉県富里市のグラウンドで練習があり、週1回のオフもそれぞれ自主練習に励んでいるという。

 そして、「どこよりも選手同士の仲がいい」と話す結束力。打線のつながりや粘り強い守備を武器に都市対抗予選で快進撃を続け、2013年の日本選手権を制した日本製鉄かずさマジックや谷沢健一氏が総監督を務めるクラブチームの雄・YBC柏を破り都市対抗初出場を掴み取った。

 それでも大友は夢のスタートラインに立ったにすぎない。社会人2年目となる来年はNPBのドラフト指名を目指している。大学入学時の自分を振り返り「まさかこんなことになるとは......」と笑い、「あきらめずに続けることは大事ですね」と感慨深く語る。

 そして、今はかつての自分と同じような環境にいる選手たちにも「どうせ無理と思っているかもしれないけど、頑張ればいいことがあると思ってもらえるようなきっかけになれれば」と希望の星にもなっていきたいと考えている。

 月並みな表現だが「人生、何が起きるかわからない」。それを体現する大友の下剋上物語は、この都市対抗からさらにそのスピードを上げていく。人生初の全国舞台は26日の四国銀行戦。ひと振りでまたその運命を大きく変えていくつもりだ。

Sportiva

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