『ジャガーXJR-12(1990年~1991年)』再びル・マン制した耐久専用車【忘れがたき銘車たち】

2024年11月27日(水)17時30分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1990〜1991年のル・マン24時間レースなどを戦ったグループCカーの『ジャガーXJR-12』です。


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 1982年から本格的にスタートしたスポーツプロトタイプカーカテゴリーのグループC。このグループCカーによる戦線へ1985年に名乗りを上げたのがジャガーだった。


 ジャガーは、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)に活動を託すかたちでグループCカーで争われていた世界選手権を1985年より戦い始めた。同年は目立った成績を残せなかったが、活動開始3年目の1987年には世界選手権を制覇。さらに翌1988年になるとル・マン24時間レースをも制してみせた。


 本格発足である1982年以降、“956”や“962C”といったマシンを投入していたポルシェが絶対王者として君臨していたグループC。そんなポルシェを破っての世界選手権王座獲得、ル・マン総合優勝は時代の流れを変える大きな出来事だった。


 1988年のル・マン制覇にジャガーは、XJR-9というマシンで戦っていた。このXJR-9は大排気量のV型12気筒NAエンジンを搭載していたことがアイコンのひとつともいえる車両だった。


 XJR-9のエンジンは熟成も進んでおり、信頼性も高かったものの、世界選手権の特に短距離で瞬発力を競うようなレースでは、エンジン自体の大きさと重さがデメリットともなっていた。そこで3.5リッターV6ターボへとエンジンをダウンサイジングしたXJR-11を新たに開発し、1989年から世界選手権などに投入された。


 しかし、このターボエンジンは、24時間レースなどの長距離耐久レースで使用するには、いささか信頼性の低いものであった。そのため、ジャガーは信頼性に優れる大排気量の自然吸気エンジンを積む『XJR-12』を生み出した。


 XJR-12は、XJR-9の発展型といえるマシンで、アメリカのデイトナ24時間レースとセブリング12時間レースでは6リッター、ル・マンでは7リッターという排気量のNAエンジンを搭載して、1990年からレースを戦った。


 アメリカのIMSAシリーズの1戦であったデイトナ24時間レースでは、見事ワン・ツーフィニッシュでレースを制した。そして、続くル・マン24時間レースでもワン・ツーフィニッシュを達成し、1988年以来、2年ぶりの総合優勝に輝いた。


 翌1991年、新しいグループCの規定が施行。そこでジャガーはその規定に沿ったニューマシン、XJR-14を開発。このXJR-14は、同年の世界選手権に投入され、驚異的なスピードを見せていたのだが、長距離耐久レースを戦うにはまだ耐久性に乏しかった。そのため、ル・マンでは再びXJR-12にお鉢が回ってくることになる。


 1991年のル・マンに向け、ジャガーはXJR-12に7リッターから7.4リッターへ排気量を拡大したエンジンを搭載。連覇を期するも、マツダに勝利を奪われてしまい、2年連続のル・マン優勝は果たせなかった。ただ、XJR-12は2〜4位までを占めており、信頼性およびポテンシャルの高さを示してもいた。


 その後、XJR-12は1992年にはアメリカのIMSAシリーズ、1993年にはデイトナ24時間レースを戦ったのち、一線を退いたのであった。

1991年のル・マン24時間レースを戦い、2位でチェッカーを受けたジャガーXJR-12の35号車。デイビー・ジョーンズ、ラウル・ボウゼル、ミシェル・フェルテがドライブした。
1991年のル・マン24時間レースを戦い、3位でフィニッシュしたジャガーXJR-12の34号車。ボブ・ウォレク、テオ・ファビ、ケネス・アチソンがドライブした。


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