小野、高原、本山と同時期の引退決断 黄金世代の“守護神”南雄太の壮絶な生きざま

2023年11月28日(火)13時46分 サッカーキング

今季で現役を引退する南雄太 [写真]=J.LEAGUE

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 小野伸二高原直泰、本山雅志ら40代プレーヤーが続々と現役引退を決断した2023年。彼らと同じ1979年生まれの“黄金世代”の守護神である南雄太が26年間のプロキャリアに終止符を打った。

 11月27日の引退会見には、1997 FIFAワールドユース選手権で静岡学園高校の3年生だった彼を抜擢した山本昌邦監督(現JFAナショナルチームダイレクター)がサプライズ登場し、花束を贈呈。静学の恩師である井田勝通総監督も姿を見せて激励するなど、44歳のGKの偉大な足跡が色濃く窺えるものとなった。

 南雄太の存在が広く知られたのは、1996年正月の全国高校サッカー選手権大会。1年生ながら鹿児島実業との両校優勝に貢献。「高校サッカー界ナンバーワンGK」の称号を得て、1998年に柏レイソル入りした。

 勢いは凄まじく、すぐさま土肥洋一から定位置を奪取。西野朗監督から信頼を得て、プロ1年目からコンスタントに出場した。当時は川口能活、楢崎正剛という20歳前半からレギュラーとして活躍するGKがいたから、南が18歳で柏の正GKになったことに疑問を持つ人も少なかった。が、今から考えれば特筆すべきこと。それだけポテンシャルが高く評価されていたのだ。

 1999年のFIFAワールドユース選手権に2大会連続出場し、準優勝という快挙を果たしたことも追い風となった。この時点では、「近い将来、川口や楢崎と日本代表GKの座を争う日も近い」とさえ言われており、本人も野心満々だったに違いない。

 ところが、同年から同い年のライバルである曽ヶ端準が急成長。2000年のシドニーオリンピック、2002年のFIFA日韓ワールドカップでは曽ヶ端がメンバー入りを勝ち取った。南も柏で試合には出続けていたが、日の丸は縁遠い存在になっていく。

 さらに2004年5月のサンフレッチェ広島戦では自ら自陣ゴールにボールを投げ込んでしまうという伝説のオウンゴールを記録。各方面から批判を浴びた。2005年には残留争いに巻き込まれ、ヴァンフォーレ甲府との入替戦に敗れてJ2降格が決定。南は大きな挫折を経験することになった。

 それでも2006年、彼はチームを去った明神智和に代わってキャプテンに就任。苦境に直面したチームを力強く鼓舞し、1年でのJ1復帰へと導くことに成功。2007年には再昇格したJ1で8位に躍進するなど、再び自信を取り戻しつつあった。

 そんな南の前に立ちはだかったのが、横浜FCから加入した菅野孝憲だった。

「18歳から試合にずっと出させてもらっていて、自分自身、大きく勘違いしていた時期がありました。正直、柏の時はそれがずっと続いていました。そんな時に菅野が移籍してきて、柏を契約満了になる前の2年間(2008、2009年)にポジションを取られ、自分が出ていく形になったんですけど、最初はなかなか受け入れらなかった。自分と菅野のプレースタイルの違いや監督の好みのせいにしていたけど、どの監督も彼を使った。そこで初めて自分自身に矢印が向きました。『俺、何か足りないんだな』と思えて、そこからはすごく人の話も聞くようになったし、もっとうまくなりたいと純粋に思えたんです」

 菅野は今季、北海道コンサドーレ札幌でJリーグ通算600試合出場を達成したが、666試合に出場した南はそのニュースを誰よりも喜んだ。彼との出会いによってその後の30代から40代に新たな意欲を持てたことを心から感謝したのである。

 12年間在籍した柏を退団するという人生最大の転機を経て、ロアッソ熊本、横浜FCへ赴いた南。横浜FC時代の2019年にはJ2で2位となり、10年ぶりのJ1でのプレー機会をつかんだ。同年途中からワールドユース時代からの先輩でもある中村俊輔も移籍してきて、懐かしい共演も実現した。「サッカー人生は何が起きるか分からない」と本人も痛感したことだろう。

 さらに2021年7月に大宮アルディージャにレンタル移籍。しかし、完全移籍後の2022年5月に右アキレス腱断裂という人生最大の大けがを負ってしまう。その時点で42歳。普通に考えれば、そのまま引退を決断してもおかしくなかった。が、本人は周囲の励ましや大宮の契約延長という恩に報いるために復帰を決意。今年6月17日のV・ファーレン長崎戦で公式戦に戻ってきた。そのタフなメンタリティは多くの人々を感動させたはず。

「夏くらいに感覚が戻ってきて、原(博実=フットボール本部長)さんに『来季もやらせていただけるんだったらやりたい』と伝えていました。でも9月24日の徳島(ヴォルティス)戦直前に笠原(昂史)選手が出られなくなり、(原崎政人)監督から『次は志村(滉)を使いたい』と言われた時にショックを受けた。チョイスされない自分は何かが足りていないと感じたし、周りの評価と自己評価のギャップが生じていると。それだけ自分のレベルが下がっていることを痛感したんです」

 本人はこうして引退へと傾いていったことを明かしたが、それでもアキレス腱断裂という大きなアクシデントを乗り越えたという事実は大きい。43歳の復活劇は先々も語り継がれるに違いない。

 そうやって頑張り続けられたのも、「黄金世代の意地とプライド」がどこかにあったのではないか。奇しくも小野、高原、本山と同じタイミングで引退することになったが、79年組は「オリジナルの生き様」を追い求める個性的な集団だった。その1人である南もボロボロになりながら26年間を走り切ったのだ。

 この男がJリーグにいたことを決して忘れてはいけない。今一度、南のキャリアに思いを馳せ、心から「ご苦労様」という言葉を送りたい。そして新たな人生を力強く踏み出してほしい。

取材・文=元川悦子

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