「1、2、5、6、9、0」中日の背番号1桁台が激変!その意図は?

2022年12月1日(木)16時28分 ココカラネクスト

(C)Getty Images

 中日は12月1日、9選手の背番号変更と新人10選手の背番号を発表。3年目の石川昂弥外野手の背番号が「2」から「25」に変更されることになった。5月に走塁中に左膝前十字靱帯を痛め、再建手術を受けて戦列を離脱したものの、将来を期待されている。わずか3年で1桁から2桁の数字に前向きにシフトするのは珍しいケースだ。

 新たな背番号となる「25」は近年では長距離砲がつけることが多い。大リーグでは本塁打王4度のマーク・マグワイア(カージナルスなど)が背負い、日本でもDeNA時代の筒香嘉智、巨人の岡本和真らの名が挙がる。

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「中日には和製大砲がいない。石川昂弥には長打を打てる選手になってもらいたいという球団からの期待の表れではないか」と球団関係者は指摘する。中日の背番号史においては激変のオフを迎えた。「9」をつけた福留孝介が現役を引退し、「6」の平田良介が戦力外通告を受けて退団することに。そのほか「1」の京田陽太がDeNAに、「5」の阿部寿樹が楽天にそれぞれトレードされた。この日の発表では「0」をつけていた高松渡が「51」となり、1桁台では6つの数字が改変となる。

 新人では2人が1桁台の背番号を手にした。ドラフト2位の村松開人内野手(明大)が「5」、同6位の田中幹也内野手が「2」となり、現時点で空き番状態は「0」「1」「6」「9」。背番号が変わらなかったのは「3」の高橋周平、「4」の鵜飼航丞、「7」の根尾昂、「8」の大島洋平と4人だ。

 球団関係者は「2004年にも1桁台が5人も入れ替わった。その年は落合博満氏が中日の監督にして1年目のシーズンだった」とする。04年は見事にリーグ優勝を果たし、07年には日本一に輝くなど11年まで4度のリーグVを成し遂げ、黄金時代の元年にもなっている。

 指揮を執る立浪和義監督が師と仰ぐ故星野仙一氏は中日の監督に就任して2年目の1988年に1桁台を大きくいじっている。球団として初めて「0」を採用するなど5人が新たな1桁台の数字をまとった。その年にPL学園高からドラフト1位で入団したのが立浪監督。1年目から「3」を与えられ、いきなりレギュラーとして活躍した。

 そのシーズンは巨人に12ゲームの大差をつけてリーグ優勝を成し遂げている。今季リーグ最下位だった立浪監督も先人にならって背番号1桁台にメスを入れたのかもしれない。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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