身長156cm 金田正一氏も一目置いたプロ野球史上最小兵選手

12月5日(木)11時0分 NEWSポストセブン

浜崎真二の弟の忠治も156cmのプロ野球選手だった(写真/共同通信社)

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 5尺2寸(156cm)の小さな体で、巨漢のベーブ・ルースに立ち向かっていった──。昭和9年の日米野球では32歳ながら、17歳の沢村栄治を凌ぐチーム最多の7試合に登板。無尽蔵のスタミナを見せて観衆を驚かせたのが、プロ野球史上“最小兵選手”浜崎真二だった。


「緩急をつけたり、相手打者との間を外したりするなどして、いかにボールを速く見せるかを考える頭脳派で、バネを生かした躍動感溢れる投球フォームだったそうです」(巨人時代に指導を受けた中村稔氏)


 明治34年、広島県生まれの浜崎は大正11年の第8回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)で準優勝投手になる。その後慶應大学に進学し、大正14年の復活早慶戦で先発するなど主戦を張った。卒業後、日本の租借地である大連に渡り、大連満州倶楽部に入った。


「満州では、3人の若手選手が住む家を見つけられるまで自宅に下宿させていました。チームの選手たちを大勢呼んでバーベキューをするなど面倒見のいい人でした」(次女の貞子さん)


 終戦後の昭和22年、日本へ引き揚げた浜崎は45歳で阪急に選手兼総監督として、プロ野球史上最年長の入団を果たす。この年には、同じ身長だった弟の忠治も中部日本でプレーしている。


 浜崎の出場試合や勝利投手の最年長記録は5年前に山本昌(中日)に抜かれたが、現在も48歳9か月での安打、48歳4か月での打点、45歳10か月での盗塁などの最年長記録は保持している。


◆カネやんも一目置いた


 昭和28年、167cmで立命館大1年の吉田義男が阪神に入団。昭和25年に現役を引退した後も、阪急の監督を務めていた浜崎が高校時代の吉田を「こまいヤツはいらん」と獲得を見送ったと言われていたが、のちに吉田自身が「自分から、小柄なので自信がないと断わった」と否定。そんな噂がまかり通ったのは、浜崎が毒舌で鳴らしていたことも無縁ではなかった。


 昭和35年、巨人の投手コーチに就任した際には、オーナーの正力松太郎から麻雀禁止令を出されると、「正力に会わせろ」と言い放ったという逸話まである。


「実際は物腰の柔らかい人で、選手から“おじいちゃん”と慕われていました。ナイターのある日の午前中、水原茂監督とおじいちゃん、堀本(律雄)でよく麻雀をしました(笑い)」(中村氏)


 日本人男性の平均寿命が67.21歳だった昭和38年、61歳で国鉄の監督に就任。主軸を任されていた徳武定祐氏が語る。


「あの金田正一さんも一目を置いていました。おしゃれで品が良く、威厳のある人。試合後、風呂で一緒になると、タオルで股間を隠さずに堂々と歩いていたことをよく覚えています」


 この年限りで指導者としても身を引いた浜崎は昭和40年代後半、銀座で宝石商に従事する。その頃、戦後生まれの小兵が球界を賑わせる。“小さな大打者”と呼ばれた168cmの若松勉(ヤクルト)は2年目の昭和47年に首位打者を獲得。浜崎が野球殿堂入りを果たした昭和53年にはチームを初の日本一に導き、MVPに輝いた。169cmの福本豊(阪急)は昭和45年から13年連続盗塁王に。その記録をストップしたのは、浜崎が逝去した昭和56年に入団した166cmの大石大二郎(近鉄)だった。


 どの時代も小兵はプロ野球を盛り上げてきた。しかし、浜崎を超える鉄人は今後も現われそうにない。


※週刊ポスト2019年12月13日号

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