八重樫幸雄が指摘。キャッチングは「古田より谷繁をマネたほうがいい」

12月5日(木)6時10分 Sportiva






連載第10回(第9回はこちら>>)

【左足を下げる、古田独自のキャッチング】

——前回は「ルーキー・古田敦也入団」の話題にさしかかったところで終了となりました。今回はその続きからお願いします。古田さんは1990(平成2)年の入団です。この時、八重樫さんは39歳、プロ21年目でした。古田さんの第一印象は?

八重樫 最初に感じたのは「大人しいヤツだな」って印象だったな。1990年のユマキャンプで初めて一緒に練習したけど、何を言っても、「ハイッ、ハイッ!」て、素直に返事をしていたことをよく覚えています。


古田敦也を1年目からレギュラーで起用した野村克也監督 photo by Sankei Visual

——のちに大選手になる片鱗はすでにあったのですか?

八重樫 ありましたね。バッティングはパッとしなかったけど、スローイングとキャッチングはすでに光るものを持っていたからね。

——具体的にどんな点が光っていたのですか?

八重樫 彼は手首が柔らかいのが特徴で、入団当初から実にしなやかなキャッチングができたんだよね。プロのピッチャーのストレートに力負けすることなく、スーッ、スーッとボールがミットに吸い込まれていくようなキャッチングは最初からできていた。

——以前、古田さんにインタビューした時に、「僕は関節が柔らかいんです」と言って、指を曲げたり、手首をひねったりして見せてくれたことがありました。天性の手首の柔らかさは一流のキャッチャーになる素養でもあるんですね。

八重樫 そうだね。でも、子どもたちには「古田のマネをしなさい」とは言えないな。もし言うなら、「谷繁(元信・元中日など)のマネをしなさい」って伝えるよ。

——それはどうしてですか?

八重樫 古田はキャッチングの時に左足を後ろに下げて捕球するんです。右利きの場合、普通ならば右足を後ろに下げるでしょ? でも、古田の場合は左足を下げる。だから、「おいフル、どうして左足を下げるんだ? ランナーが出たらどうするんだ?」って聞いたことがあるんです。そうしたら、「ランナーが出たら元に戻します」って言うから、「それなら、最初から右足を下げた方がいいんじゃないの?」ってさらに聞いたんだよね。

——そうしたら、古田さんは何て?

八重樫 彼の場合、ももの付け根から膝までが長いんですよ。それに股関節が柔らかいから、ケツを深く落とすことができる。そうすると、左ピッチャーが右バッターのインサイドにスライダーを投げると、肘と膝がぶつかるんだって。「それで左足を下げている」とのことだったんで、「じゃあケツをもう少し高く上げればいいんじゃない?」ってアドバイスしたんです。

——で、どうなったんですか?

八重樫 ケツを上げると、確かに肘はぶつからなくなったんだけど、大学、社会人とずっとそうやって捕っていなかったから直すことができなかった。でも、古田の影響なのか、最近では左足を下げているキャッチャーもチラホラ見かけるけどね。

【プロ2年目で早くも打撃開眼】

——のちに古田さんは通算2097安打を放って名球会入りを果たしますが、入団当初のバッティングはいかがでしたか?

八重樫 バッティングに関しては「ちょっと厳しいな」と思ったよ。打撃練習をしても、なかなかケージの外に打球が飛ばなかったから。バッピ(バッティングピッチャー)の球でそれだけ苦労していたら、「これは実戦では厳しいな」って思うのも仕方ないよね。


当時を振り返る八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi

——当時、先輩として古田さんに何かアドバイスはしたんですか?

八重樫 この時、僕はバッテリーコーチも兼任していたから、守りについてはアドバイスをしたけど、バッティングに関しては特にアドバイスはしなかったかな。でも、さっきも言ったように、プロのキャッチャーとして捕るのも投げるのも問題なかったから、「一軍には残れるだろう」とは思っていた。ただ、「打撃フォームを直せば打てるようになるのにな」とは思っていたな。

——でも、プロ2年目の1991年には早くも首位打者を獲得します。古田さんは一気に打撃開眼したのでしょうか?

八重樫 1年目の秋のキャンプで、ものすごい量の打ち込みをしていたけど、翌年の春のキャンプで見たら打つべきポイントをしっかりと掴んでいた。左右にもきちんと打ち分けられていたし、アウトサイドのボールもバチッと叩いていたから、「これなら打つだろうな」と思っていたよ。そうしたら2年目に首位打者だから、「大したものだな」って驚いたよね。

【古田の要求に応えられる若き名投手たち】

——当時のヤクルトはルーキーの古田さんのほかに、関根潤三監督時代にレギュラーだった秦真司さん、のちにセンターにコンバートされる飯田哲也さん、それにベテランの八重樫さんらがキャッチャーとして在籍していました。野村克也監督は最初から「古田をレギュラーに」と考えていたのでしょうか。

八重樫 まず、そもそも飯田はキャッチャー向きの性格じゃなかったんですよ(笑)。僕も関根さんに「飯田の身体能力を生かすなら外野にコンバートしたほうがいい」って言っていたけど、聞く耳を持ってもらえなかった。でも、野村さんは飯田の性格を考え、身体能力も評価してセカンド、センターにコンバートしたんだよね。飯田は「試合に出られればどこでもいい」と考えるタイプだったから、コンバートもスムーズに受け入れられたんだと思います。

——じゃあ、秦さんの場合は?

八重樫 たぶん、野村さんの構想の中では「レギュラーは秦だ」と考えていたんじゃないかな。実際に1990年の開幕当初は秦がマスクをかぶっていましたからね。でも、秦は親指が短くて、ボールを握る時にうまく折ることができない。だから、強く投げると変な方向に飛んじゃうんだよね。だけど、バッティングはすごくいい。そうしたことを考慮して外野にコンバートしたんだと思いますよ。

——ちなみに、当時の八重樫さんはすでに「代打の切り札」という位置づけでしたけど、野村さんは「キャッチャー八重樫」をどう見ていたんですか?

八重樫 何も見ていなかったと思いますよ。だって、ノムさんに「おいハチ、お前キャッチャーだったんだな」って言われたことがあったからね。あの時は「この人、まさか本気で言ってないよな」って心配になったから(笑)。

——こうした経緯を経て、総合的に判断をした上で、日本を代表する「キャッチャー古田」が誕生したんですね。

八重樫 キャッチングとスローイングを見たらそう判断するでしょうね。バッティングは期待できないかもしれないけど、リードは教えれば何とかなる。でも、あんなにいいバッターになるとは誰も思っていなかったんじゃないかな。

——古田さんがレギュラーとなった1990年代は、同時にヤクルトの黄金時代となりました。古田さんがレギュラーになったことで、何が変わったのでしょうか?

八重樫 古田がレギュラーになってピッチャーとキャッチャーがよく話をするようになったと思います。若い投手が多かったし、古田とも年齢が近かったから、試合後にも自発的にミーティングをするようになっていたね。それまでは”一方通行”だったけど、その点は大きく変わったと思いますよ。

——実際に当時のヤクルト投手陣に話を聞いてみても、「古田さんとはよく話し合った」という発言をしばしば耳にします。

八重樫 そうでしょうね。各投手の細かいクセや性格などの情報が増えてくるにつれて、具体的なアドバイスをするようになったんだと思います。古田は高いレベルを要求するからピッチャーは大変だったと思うけど、当時は川崎憲次郎、岡林洋一、西村龍次、伊藤智仁など、要求に応えられるピッチャーも多かったからね。

——1990年代はドラフトで好投手を次々と獲得し、古田さんがさらに実力を引き出す。その好循環があればこその黄金時代だったんですね。

八重樫 そうだろうね。古田の存在はとても大きかったですから。古田の高い要求に、しっかり応える好投手たち。野村監督時代はバッテリーを中心にしっかりとした野球をしていた。そんな印象がありますね。

(第11回につづく)

Sportiva

「連載」をもっと詳しく

「連載」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ