舞の海、炎鵬、鷲羽山など大相撲界で奮闘した小兵力士列伝

12月6日(金)7時0分 NEWSポストセブン

令和を代表する小兵の炎鵬は九州場所を大いに盛り上げた(時事通信フォト)

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 チャールズ・ダーウィンが適者生存を説いたように、大相撲界で小兵力士は熾烈な生き残りを賭けた闘いを続けてきた。


“ちびっこギャング”と呼ばれた鷲羽山は昭和42年、当時の新弟子検査の合格最低基準である身長173cmしかなかった。人間は起きている間に1、2cm縮むと聞いたため、計測の順番待ちの時間は寝ていたという。


 6年で辿り着いた新入幕の場所で敢闘賞を受賞。昭和50年九州場所で横綱・北の湖から金星を挙げ、昭和51、52年の2年で技能賞を5度獲得。約34年間NHK大相撲中継の実況を務め、現在も本場所に足を運ぶ杉山邦博氏(89)が振り返る。


「前に出ることを信条としながら、多彩な技を駆使して抜群の存在感を示しました。土俵際での播磨投げなど、最後まであきらめない我慢強い力士でした」


 小兵ゆえのケガに悩んだ鷲羽山が3年ぶりに休場なしの1年を送った昭和55年、のちに“南海のハブ”と恐れられる旭道山は新弟子検査の前日に大量の餅を頬張り、当日は水をガブ飲みして、合格最低ラインの70kgをクリア。約9年後の平成元年初場所、99kgで幕内へ昇進。一門外にもかかわらず、「休場明けの横綱が大きく見えるように」と北勝海の土俵入りで露払いに抜擢されたほどの小兵だった。


「正攻法にぶつかっていくからこそ、時折見せる立ち合いの変化が生きた。闘志満々の相撲で国技館を沸かせました」(杉山氏)


 平成5年春場所、立ち合いの張り手一発で久島海を倒した一番は今も語り継がれている。

◆いなし技のデメリット


 同じ頃、身長171cm、体重96.5kgの舞の海は、猫騙し、八艘跳び、三所攻めなど“技のデパート”の異名を取り、決まり手33は平成11年の引退当時、1位・栃錦(38手)、2位・3代目若乃花(35手)という横綱に次いで歴代3位。押し出しはわずか3番だった(いずれも幕内在位の記録)。平成2年夏場所で、舞の海に角界初黒星を付けた元前頭の大至伸行氏(51)が語る。


「稽古場で相手をじっと見て、研究していた姿が印象に残っています。何をしてくるか予想できないタイプなので、対戦相手から恐れられていました」


 この頃、200kg超えの小錦や曙、武蔵丸が幕内に名を連ね、舞の海が小結に昇進した平成6年秋場所には幕内平均体重が153kgに。鷲羽山が活躍した昭和50年代前半と比べて約20kgも増加していた。平成8年の名古屋場所で舞の海が小錦との一番で左ヒザ靭帯を損傷したように、力士の大型化は小兵にとってケガと隣り合わせだった。


 幕内42人中26人が160kg以上という超大型化が起こり、平均163.0kgまで増えた令和元年夏場所、168cm、99kgの炎鵬が新入幕を果たす。翌場所には技能賞を獲得した。一方、関西学院大学時代から“アクロバット相撲”と評され、期待の高かった175cmの宇良は2年足らずで入幕を果たすもケガに泣かされ、現在は序二段だ。


「小兵は相手の力を利用しながら、自分の体勢に持っていく傾向が強い。そのため、引き付けてからのいなし技に失敗すると、突進する相手をまともに受けて危険な状態に陥る。しかし炎鵬は正攻法でぶつかっていくので、ケガの可能性が少ない」(大至氏)


 巨漢にも怯まない真っ向勝負で挑む炎鵬は、激しい生存競争に勝ち抜き、新たな歴史にその名を刻むことができるだろうか。


※週刊ポスト2019年12月13日号

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