近鉄入団直後の野茂英雄 泥酔しトイレで寝て同僚の信頼獲得

12月19日(木)16時0分 NEWSポストセブン

 プロ野球界は現在オフシーズンだが、野球ファンにとって嬉しいニュースが、野茂英雄氏(45)の日米の殿堂入り候補者リストへの選出だ。独特なフォームで日本のみならず全米でも人気を博した彼の素顔は、一体どんな人物なのか? スポーツライターの永谷脩氏が綴る。


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 新ポスティング制度が日米間で妥結しないまま、越年の気配を見せている。楽天・田中将大の処遇も宙ぶらりんだ。そんな中、日米の野球殿堂入りの候補者に、日本人メジャー進出のパイオニア・野茂英雄の名前が挙がった。米国で殿堂入りの候補となるのは、メジャーで10年以上プレーし、引退後5年以上経った選手。“トルネード”の引退から5年も経ったのかと思う。


 野茂と田中には、関西出身ながら、地元の強豪校に進まなかったという共通点がある。特に野茂の場合、府立高校へ進学したことが、あの独特な「トルネード投法」を育てたといえる。強豪校なら、フォームを強制的に改造させられたことだろう。新日鐵堺を経てプロに入団してから、初のキャンプで、当時の仰木彬・近鉄監督がこう苦笑していたのを思い出す。


「都市対抗の予選の始まる6月には調子を上げるから、最初は少しぐらい打たれたからといって、フォームのことは言わないでほしいと言われちゃったよ」


 木訥で「我が道を行く」──まさに世間が抱く野茂のイメージ通りの話かもしれない。入団時、当時としては最高額である1億2000万円の契約金で入団し、メディアの前では多くを語らない新人は誤解されることも多かった。決して、温かい目ばかりが向けられたわけではなかった。


 しかし近鉄の同僚は違った。野茂のデビュー戦、藤井寺の西武戦の初回、無死満塁で清原和博を迎えた時も、投手全員が懸命に応援していた。野茂の実像が、仲間思いの熱い青年であることを知っていたからだ。



 1987年の都市対抗野球。野茂率いる新日鐵堺は、大阪・和歌山地区第三代表の座を賭け、潮崎哲也(現・西武二軍監督)を擁する松下電器と戦った。この時も初回、野茂はいきなり満塁のピンチを作るが、マウンドに集まったチームメートから、「お前の好きなようにやれ」と声をかけられる。「仲間が信頼してくれたのが嬉しかった」という野茂が、試合を勝利に導いた。この時のことについて、同じ新日鐵グループの先輩・山田久志に、こんな話を打ち明けている。


「同じ新日鐵といっても、堺はクラブチームなんです。いつも“都市対抗に出られなければ廃部”という状態にありました。僕たちはいつも、チームの存続を賭けて戦っていたんです」


 代表を決めた時、野茂はチームメートと酩酊するまで飲んだという。仲間を大切にする思いは翌年、1988年のソウル五輪メンバーに対しても同じだった。野茂はメジャーに行った後も、当時のメンバーが集まる「五輪の会」に、必ず顔を出していた。


 プロに入ってからも、仲間の輪には積極的に入っていった。初のキャンプ最終日、「バッテリー会」でしこたま飲んで酩酊し、便器を抱えたまま眠ってしまったことがある。この時、吉井理人、阿波野秀幸、小野和義らの投手陣からは、「なんだ、アイツいいヤツじゃん」という声が上がっていた。


 それが前述の応援に繋がったのである。野茂という野球人の本当の姿は社会人から近鉄1年目にかけてにあるように思えてならない。


※週刊ポスト2013年12月20・27日号

NEWSポストセブン

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