【シーズン総括】最後までJ2残留を争った京都、2年連続で低迷した理由を探る

2018年12月26日(水)18時49分 サッカーキング

 2018年、京都サンガF.C.は19位でシーズンを終えた。序盤から低迷して一時は最下位にまで転落したチームは、監督交代や夏の大量補強、そして戦術変更など様々な手を尽くして、なんとかJ2残留を果たしている。

 シーズンの流れとしては昨年と共通するものがあった。最初はパスをつなぐスタイルを掲げながら、思うように機能せず低迷すると、長身FWを配置した前線へのロングボールを多用するキック&ラッシュへと戦い方を変えて、粘り強く勝ち点を積み上げていく。昨年と違ったのは、順位がより低かったことだ。

 今季、クラブは“J1昇格”を明確に打ち出していない。昨年と一昨年に精力的な選手補強を行った結果として2期連続の赤字を出しており、3期連続の赤字でクラブライセンスが不交付となることを避けるために、今季は緊縮財政を強いられた。日本人選手の即戦力補強は少なく、期限付き移籍に出していた若手選手を復帰させ、外国人選手もJリーグでは珍しいウルグアイから2選手を獲得。戦力的にも人数的にもミニマムな陣容でのスタートとなった。J1昇格を狙わないわけではないが、それよりも選手に経験を積ませ、チームの骨格を作りあげて、来季へつなげるという要素が大きかったはずだった。

 結果的に、この方針は半年で修正を余儀なくされる。J3降格が現実味を帯びてくる状況となり、布部陽功監督を解任。後任のボスコ・ジュロヴスキー監督は沖縄キャンプから取り組んでいたポゼッションスタイルに見切りをつけ、8月からロングボール中心の戦い方に切り替えた。さらに夏の移籍期間で7選手を補強するなど、なりふり構わず結果を追い求めた。J3降格という最悪の事態は回避できたが、当初の目標設定に及ばない結果だったことから目をそらしてはならない。

そもそも、なぜ布部氏を続投させたのか

 就任した2017年は監督としての経験値の少なさが露呈し、思うような結果は残せなかった。一方で仙頭啓矢ら若手選手の成長には手腕を発揮。シーズン終盤の10試合で勝ち点19を積み上げたことも、続投の後押しとなった。

 ところが蓋をあけてみれば、トレーニングで陣頭に立ったのは今季から加入したジュロヴスキーコーチ。チームを構築する段階で、布部前監督が関わる頻度は昨年より大きく低下していた。選手起用でも気になることがある。昨季終了後、布部前監督が「時間はかかったけれど、ようやくこのチームの戦い方が定まった」と話していたように、終盤戦の好調は吉野恭平(現・サンフレッチェ広島)をセンターバックに置いたことで最終ラインを高く保てるようになり、コンパクトな陣形から岩崎悠人や大野耀平やイ・ヨンジェ(現・ファジアーノ岡山)という運動量豊富なFWが2トップで前線からプレッシングをかけることができるようになっていた。今季もそれをベースに継続すると話していたのだが、開幕戦から吉野が抜けたセンターバックには田中マルクス闘莉王を起用。高さや強さに優れる反面、スピードに不安があるので最終ラインを押し上げにくく、昨季終盤とは違うチームバランスになっていた。

 その後、闘莉王は4−3−3のアンカー起用を経て、FWへ再コンバート。高いキープ力で前線の起点となる動きは秀逸だが、今季は4ゴールと昨年ほどの得点力は発揮できていない。運動量の少なさは如何ともし難く、そのしわ寄せは中盤や最終ラインの負担増につながっていた。かつてのW杯戦士も今年で37歳。年齢だけで判断すべきではないが、コンディションに苦しんだ一年だったことは本人の口からも語られており、メリットとデメリットが混在する闘莉王の起用法が、今季は後者となるゲームが多かった。

 指揮官も闘莉王の起用については熟考を重ねていた。苦しい時にリーダーシップを発揮できる選手が主力クラスに少ないことも、闘将の起用を後押ししている。そんな中、布部前監督は第11節の水戸ホーリーホック戦から闘莉王をリザーブに回した。第10節にホームで敗れて最下位に転落し、もう後がない状況でたどり着いた境地。水戸戦は“切り札・闘莉王”が機能して重廣卓也の2ゴールで勝利したが、5日後の第12節・栃木SC戦は敗退。北関東でのアウェー2連戦を乗り切れずに指揮官の任を解かれ、ホーム西京極へ戻ってくることはできなかった。

ジュロヴスキー監督に託されたJ2残留のミッション

 第13節のレノファ山口戦から指揮をとったジュロヴスキー監督は、守備の修正に尽力した。これまでもトレーニングの先頭に立ち、布部前監督と綿密なコミュニケーションを図って存在感を発揮していたが、名実共に監督となったことで自身のカラーを明確に打ち出していく。ゾーンよりは人に付くマンマーク傾向が強く、対戦相手の布陣にあわせて、こちらも通常の4バックから3バックに変えてマッチアップさせる、いわゆるミラーゲームに持ち込む試合もあった。攻撃では就任から数試合はパスをつなぐスタイルを継続したが、8月以降はシンプルなキック&ラッシュへ変更。27試合目にして初めて無失点で試合を終え、連勝も8月になってようやく達成するなど、後半戦の盛り返しもあってJ2残留をつかんだことは確かだ。しかし、ジュロヴスキー監督の戦い方には賛否両論があった。

 その一つが日々の練習量についてだ。ジュロヴスキー監督は疲労を残さずに試合当日を迎えられるようコンディションを重視していた。試合2日前はリフレッシュの要素の強いサッカーバレーだけで終わることもあり、サポーターからは「練習量が少ないのではないか?」という声もあった。本人は「GPSの数値でも適切な負荷がかかっている」と否定。たしかに練習時間は短かかったが、その中でハードなメニューが行われている日もあった。ベテラン選手も少なくないチーム編成を考えれば、それも一つのやり方であり、実際に筋肉系のケガで離脱する選手はほとんどいなかった。

 一方で公式戦で出番のない若手選手には厳しい環境だった。適切なフィジカルの負荷がかかるメニューと、技術や戦術の向上が高く期待できるメニューは必ずしもイコールではない。例えばドリブル、パス、シュートなど特定の項目に課題を抱える選手がそれに取り組もうとしても、やれることはミニゲームの中で、そのシチュエーションが訪れた際に意識して実行するなど、やれることは限られていた。居残り練習は禁止。ルーティーンとしてグラウンドを軽く走ろうとした選手にまで「必要な練習量はやっているだろう」とクラブハウスに戻らせていた。紅白戦や戦術練習でも選手がケガをするリスクを避けるためか、実戦さながらの激しさを感じることは少なく、サブ組の選手が激しいデュエルを見せた際に褒めるのではなく、あまり強く行かないように声をかける場面もあった。練習試合も多いとはいえず、サブ組の選手たちからは、どこでどうやってアピールすればいいのか苦しんでいる様子がうかがえた。ある程度プレーヤーとして完成している選手はともかく、発展途上の若手には異なるアプローチを与えてもいいのではないか。個人的にそう感じることは二度や三度ではなかった。

 だからといってジュロヴスキー監督の方針を否定はできない。監督就任時に彼に託されたミッションはJ2残留。結果を出すことだ。それと平行して選手育成もできるにこしたことはないが、あれもこれもやった末に結果を逃してしまうことだけは避けなければならない。監督というのは自身の判断一つで、とても大きなものが動く。心情的にも、金銭的にも。そうした重圧は、その立場になったものにしかわからないことも心に留めておきたい。

来季は新体制の下で再生を図る

 最後に選手についても触れておきたい。ゾーンを採用したセットプレーの守備が機能せずに失点を重ねた前半戦で自信を失い、一時はルーキーの若原智哉に正GKの座を奪われていた清水圭介は終盤戦に復調。牟田雄祐が定位置を確保したことで、最終ラインが下がりすぎる問題に歯止めがかかった。攻撃の組み立てが困難だった中盤には庄司と金久保順が加わってクオリティが向上し、仙頭や小屋松知哉、ジュニーニョも攻守に消耗の激しい役割を精力的にこなして戦術を支えた。前線では、前半戦はボックス内での得点力を発揮したレンゾ・ロペス、後半戦は岡山戦の約40mのロングシュートなどいつくかの貴重なゴールを挙げたカイオの働きも目立っている。J2残留は、これら個々の献身なくしてありえなかった。

 なかでも庄司の存在は大きかった。高精度のキックで攻撃の起点となれる選手だが、戦術変更後は彼の頭上をボールが飛んでいくことも珍しくなかった。それでも「自分は一度(2012年のFC町田ゼルビア在籍時に)チームを落としているんです」と降格する苦しさや下部カテゴリーから這い上がる厳しさを身をもって経験している男は、チームを残留させるために得意分野ではないハードワークや球際の攻防で身体を張り、中盤の底を支え続けた。

 そして田村亮介。飛躍が期待されながら出場機会は少なく、先に述べたようなボスコ体制で苦しんだ選手の一人だったが、持ち前のキャラクターでチームの雰囲気をなんとか良くしようと苦心した。人一倍トレーニングから声を張り上げていたエスクデロ競飛王が蔚山現代(韓国)へと移籍した夏以降のトレーニングは、ピッチから聞こえてくる声がコーチ陣ばかりという日もある中、時に盛り上げ、時に道化を演じながら状況を変えようとした。「本当はプレーで貢献したかった。でも、それが難しい状況で自分に何ができるのか。ユースからお世話になったクラブを何としても降格させたくなかった」。そう語ったスピードスターは、今季限りで契約満了となりクラブを去る。

 2年前に石丸清隆元監督の下でJ1昇格プレーオフまで進みながら、その体制を一新してまで取り組んだプロジェクトは、残念ながら失敗に終った。この2年間で失われたものは多い。チーム力は低下し、来季の昇格候補に京都を上げる人はほとんどいないだろう。周囲からはアカデミーからいい選手を輩出する育成型クラブと言われているが、トップチームに昇格させた選手や高卒選手を育てきれずに、今年も現時点で5名の20代前半の生え抜き選手がクラブを去る。いま一度、京都の良さは何なのか、どのような方針の下に強くなっていくのかを構築していかなければならない。来季はFC伊勢志摩の監督や総監督を務めていた中田一三を新監督に迎え、コーチには2002年に関西勢として初タイトルを京都もたらしたゲルト・エンゲルスが復帰する。さらにガンバ大阪U−23を率いた實好礼忠もコーチとして加わる。フロントも小島卓強化部長が退任し、山中大輔氏が退く社長にはメインスポンサーから伊藤雅章氏が就任。クラブ全体として、新体制の下で再生を図る。

文=雨堤俊祐

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