野村氏「女性関係は悔いだらけ」田原氏「朝生中に逝きたい」

1月1日(火)7時0分 NEWSポストセブン

45年連れ添った“サッチー”こと沙知代夫人を突如失って1年が過ぎたばかりの野村克也氏

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“生涯の伴侶”を失った時に、男は残りの人生をどう生きればいいのか。2004年に、6年近いがん闘病の末に節子夫人を亡くした田原総一朗氏(84)と、45年連れ添った“サッチー”こと沙知代夫人を突如失って1年が過ぎたばかりの野村克也氏(83)が、「男おひとりさまの老後」を語り合った。


田原:奥さんのことを思い出すことは?


野村:毎日ですよ。リビングの遺影がいつも目に入るんだけど、それが悪いのかな。どこかに隠さないといけないかもしれないね。話し相手がいないから、ポツンとテレビばかり見ている。『朝まで生テレビ!』は最後まで見ていますよ。


田原:ありがとうございます。だったらぜひ出演してくださいよ(笑い)。


野村:そういう意味では田原さんは凄いよね。84歳になっても引っ張りだこ。


田原:僕の場合、喪失感から逃れる術は仕事しかなかったんです。


野村:俺も同じでしたね。事務所から「スケジュールをキャンセルしましょうか」って聞かれたけど、キャンセルはしなかった。取材なら人と話をする機会があるからね。サッチーが生きている間は「男の値打ちは仕事で決まるのよ!」と尻を叩かれ、死んでからは悲しみを忘れるために仕事をする。この歳になってもこうしてボケないで仕事をやらせてもらえるのは、サッチーのお陰です。



田原:僕はゴルフも麻雀もしない。趣味というものがまったくないが、仕事でもいいし、ボランティア、孫の世話でもいいから、何か夢中になれることを見つけることでしょうね。


野村:俺も無趣味だからね。


田原:老いらくの恋をするというのもいいかもしれないね。年1回、高校時代の同窓会に顔を出しますが、同じ世代、かつ同郷だから「あの時」「あの場所」というだけで言葉が通じるし、自由に話をすることができる。歳をとると、自分の悩みや弱みをさらけ出せる相手がそばにいることが、大切だと思いますよ。


野村:う〜ん。俺はそういう場には行かないね。前に立たされて何か話をさせられるのがイヤなの。


田原:有名過ぎるからね。でも集まりに行くと、つい見栄をはるし、若くありたいと思って努力もする。同窓会は老後の元気の源になっていると思います。


野村:自分が歳とったなぁと思うことはありますか?


田原:ないですね。


野村:羨ましいね。俺はしょっちゅう感じていますよ。



田原:最近は、妻に先立たれた高齢者が再婚するという話も聞くけど、さすがにそこまでの自信はない。


野村:同感だね。こんな爺さんのところに嫁いだら、女性が可哀そうじゃない。


田原:だっていつ死ぬかわからないんだから……。


野村:待つのは死だけでしょう。「再婚しよう」とは言えないよ。まあ、女性関係については「わが人生悔いだらけ」だね。


田原:うわっ、いい奥さんだったじゃないですか。


野村:それはどうですかね。どこかにいい女性はいないものか……。でもサッチーに怒られそうだからやめとくわ。「何やってんのよ」って枕元に出てきそうだよ。俺の骨を墓に入れてもらえなくなると困るしな(苦笑)。


 サッチーが死んでから、明日は我が身と考えるようにもなりました。とはいえ、私淑する川上哲治さんが亡くなった93歳を目標にしたいとは思っています。


田原:僕はもう、今年でも来年でもいいと思っている。理想の最期は「『朝生』の生放送中に田原が静かになったと思ったら死んでいた」というように、仕事場でポックリ逝くことです。



野村:野球解説をしながら、「ノムさんがボヤかなくなったと思ったら死んでいた」みたいなね。それは俺も理想です。自宅で野球中継を見て、ボヤきながら死んでいた、というのもいい。


田原:野村さんは、やっぱりボヤき続けるしかなさそうですね(笑い)。


【PROFILE】

のむら・かつや/1935年、京都府生まれ。1954年に南海に入団し、強打の捕手として活躍した。1965年に三冠王。南海ではプレーイングマネジャーを務め、現役引退後はヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任した


たはら・そういちろう/1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学を卒業後、映画制作会社勤務を経て、1964年に東京12チャンネル(テレビ東京)入社。ドキュメンタリー番組を手がけ、1977年の退社後はフリージャーナリストとして活動している


撮影■北村崇


※週刊ポスト2019年1月1・4日号

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