【駅ぶら01】2020年令和二年 お正月スペシャル02

1月2日(木)11時0分 鉄道チャンネル

トップ画像は、裏参道(住民の生活道路)からの相模湾と富士山。残念ながらスッキリした空気ではありません。

元旦は辺津宮(へつみや)を後紹介しました。実はエスカーというエスカレーターで順番に辺津宮、中津宮、頂上の奥津宮を巡って、赤い大鳥居まで戻った後、自力で階段を登ってもう一度辺津宮にお参りしたのです。お賽銭は1回ですけど。(笑)

赤い大鳥居の横にエスカー乗り場があります。

大人は一番上まで、3段回乗って360円です。

ふつうのエスカレーターですが、下りが無くて上りダケなのでエスカレーターの前半だけでエスカーだそうです。

1回目は途中で方向を変えてもう一段上ります。踊り場にあった巨大なポスター。

ご覧の様にごくふつーのエスカレーターです。1959年(昭和34年)に江ノ島鎌倉観光(後の江ノ島電鉄)が建設しました。筆者は学生時代に何度か一人で(基本的にいつも一人です)江の島にフラフラと来ていますが、その時もエスカーに乗っています。料金は忘れましたが、今よりも物価に比べて高かった印象があります。1970年代後半の話です。

エスカーを降りると辺津宮の境内、隣には銭洗白龍王の湧水、手前に寛永2年(1749年)に江戸麻布の藤屋半七という人が奉納した嗽水盥があります。正面には大弁財天と彫ってあります。

旧神楽殿跡に1970年(昭和45年)に建てられた弁天堂(奉安殿)。法隆寺の国宝夢殿を模した八角堂です。江島神社の宝物を収蔵しています。有料なのは良いのですが、堂内撮影禁止なので撮影に来ている今回は入りません。

八坂神社。江島神社の末社。建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀っています。

ちょうどその前にむすびの樹というのがあって霊験あらたかなイチョウの周囲にピンク色の「縁結び絵馬」がたくさん下がっています。

むすびの樹の横に懐かしいコインを入れる望遠鏡があるのです。つまり眺めが良いというコトです。望遠レンズで見ると江の島弁天橋が見えました。

八坂神社の並びに「江島霊迹建寺の碑」、源実朝の命で宋に渡った鶴岡八幡宮の良真が慶仁禅師から授けられた石板、大日本国江島霊迹建寺之記と篆刻(てんこく)されていたそうですが彫られた文字はもはや判読できません。元禄時代に雨避けが寄進されています。

辺津宮から弁天堂、八坂神社を経て中津宮の方に進みます。この左手がむすびの樹。先の階段上に辺津宮青銅鳥居があります。

辺津宮青銅鳥居。奥に辺津宮があります。

「猿田彦大神」石碑。なんで弁天様の境内に? 幕末の儒学者の筆だそうです。

さて正面の階段を登れば中津宮です。膝の痛む筆者は右のエスカーに乗ります。

エスカーを降りたら狛犬。右の口を開いた阿形(あぎょう)。阿吽(あうん)の呼吸などの慣用句で使う言葉ですが、元はサンスクリット語の最初の文字「阿」と最後の「吽」で、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉です。

左の口を閉じている吽形(うんぎょう)。狛犬は宝暦13年(1763年)に作られたもので「江戸尾立」という形だそうです。

中津宮。仁寿3年(853年)慈覚大師円仁が弁財天のお告げを受けて創建しました。祭神は、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。元禄2年(1689年)の再建。1996年(平成8年)傷みが甚だしいことで基礎部分、彫刻などの補修が行われ典雅な極彩色の社殿になっています。

手前の一対の石灯籠は安永6年(1777年)歌舞伎の市村座の寄進。写真を拡大すると正面下部に市村座と彫られています。

さらに手前、中津宮への階段が終わった場所に立つ石灯籠は、同じく歌舞伎の中村座が天明2年(1782年)に寄進したもの。

石灯籠の横には、1999年(平成11年)音羽屋・尾上菊五郎さんが手植えしたしだれ梅の木が、柵だけ残っていました。

尾上菊五郎さんは人間国宝の歌舞伎役者。奥さんが緋牡丹のお竜、女優の藤純子、現・富司純子さん、娘が寺島しのぶさんです。

さて、明日は奥津宮を御案内します。

【駅ぶら01】2020年令和二年 お正月スペシャル03 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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