かつての過ちを乗り越えるために... 千葉・東金市に佇む謎の石碑に、込められた思い
2022年1月4日(火)20時0分 Jタウンネット
カラフルな輪っかのイラストに「HOOP RETURNS 2010」の文字——これは一体、何を表しているのだろうか。
この石碑を発見したのは偶然であった。
2021年12月17日、筆者はJR東金駅(千葉県)近くにある商業施設「サンピア」を訪れていた。
用事を済ませて、喫煙所がどこかにないか探そうと道路の向かい側にあった東金中央公園に入ったとき、変わった色合いの石碑が目に入ったのだ。
それが「HOOP RETURNS 2010」と書かれた石碑である。
表面にイラストと「HOOP RETURNS 2010」の文字があるだけで説明書きが何もない。埼玉・白岡から、生まれて初めて東金にやってきた筆者には横縦1メートルほどの石碑の正体がさっぱりわからない。
そこで、日を改めて12月22日、東金商工会議所のまちづくり観光委員会の担当者にその正体を聞いた。
石碑の正体は「フープ塚」、なぜ東金に......
担当者によると、東金中央公園にある石碑は
「フープ塚」
という、フラフープに関する石碑らしい。
フラフープと東金——いったい何の縁があるのか。
1958年、日本ではアメリカの大ブームを受けて販売が始まったフラフープが大流行していた。
しかし、健康被害をもとたらすという根拠のない風評であっという間にブームは終焉。これに東金が大きく関係していたのだ。
歴史を逆手に「町おこし」も
東金市商工観光課が運営するウェブサイト「東金観光うきうき情報」には、その顛末がまとめられている。
「話は日本でフラフープが大ブームになった昭和33(※編注:1958)年にさかのぼります。
この年、アメリカで大人気となったフラフープが日本に上陸したのは10月中旬のこと。大手デパートが販売を開始したことで話題となり、正規輸入品は予約がなければ買えないほどの人気となりました。構造が簡単なだけにコピー商品もすぐに出回り、日本のあちこちで大流行となったわけですが、なぜか黒いウワサがついて回りました。『フラフープで遊びすぎて腸ねん転になった』とか『胃に穴があいた』とか。ついには『回しすぎて死んでしまった少年がいる』というウワサが出回り、ここでいち早く反応したのが東金市立東金小学校(当時)でした」
58年11月23日、同校は「フラフープ禁止令」を全国に先駆けて発表。校内での使用を禁止し、家庭での使用自粛も求めたのだ。
このことは同日の朝日新聞でも報道され、「フラフープは体に悪い」という噂が広がった。その結果、東金小学校と同様にフラフープを禁止する小学校が相次ぎ、フラフープブームはわずか2か月ほどで終焉を迎えたのだという。市の担当者は言う。
「当時言われていた腸捻転の原因になるという話は全くの誤解でしたが、全国に禁止令が広がってしまった。そのときの謝罪の意味とフラフープブームが再び盛り上がってほしいとの思いからフープ塚を設置しました」
こうしてブーム失速の原因となった東金小学校の跡地である東金中央公園にフープ塚が誕生した。
なぜ、ブームが下火になってから40年ほど経った2010年にフープ塚ができたのかを聞くと、
「町おこしの意味もありまして」
と担当者。東金市ではフラフープブームを失速させてしまった歴史を逆手にとり、「EGフープバトル世界選手権」と題したフラフープの競技会を開催するといった、町おこしを行っている。商工観光課のウェブサイトによると「フラフープへの謝罪と鎮魂(?)の意味も込めて」提案されたもので、EGとは「東金」を直訳した「East Gold」の略だという。
2010年以降もフラフープが日本中を巻き込む熱狂的なムーブメントになっているとは言い難いが、フープ塚に込められた願いは、いつか伝わる日がくるかもしれない。