家族と音信不通状態の人はおかしい? 「親の死に目に会えない」と言われても……
2018年1月6日(土)10時0分 キャリコネニュース
年が明けた。筆者の周りでも正月は帰省する人が多かったが、年末年始は地元で家族と過ごすということは、当たり前のことなのかもしれない。
しかし、中には正月どころか、家族が誕生日だろうと、病気だろうと一切連絡しないなんて人も少ないながらもいるものだ。
こういう人って、もちろん少し変わってるんだろうけども、良い言い方をすれば親離れできているというか、家族と自分とをしっかりと区別できているようにも思える。それに、家族と連絡を取らないというのはそれなりの理由が各々ごとにあるはずなので、それを他人がどうこう言ってもしょうがない気がしてしまう。(文:松本ミゾレ)
仲のいい家族ばかりじゃない! 無理して連絡すると消耗するケースだってある先日2ちゃんねるで「家族と一切連絡取らないもしくは拒否してる人居る?」というスレッドが立っていた。本文には「親の死に目にあえなくてもいいの?」とある。なんだか、随分出会い頭に極論を書く人だなぁと思えてしまう。
別に家族と連絡をする頻度が低い人って、全員が親の死に目にあえなくてもいいと思っているわけではない。様々な事情が存在しているわけで、そこに他人に介在する余地なんてのはない。
僕も帰省するペースなんてせいぜい数年に一度。冠婚葬祭の報せが来るまでは、実家に戻ろうという気にもならない。家族の誕生日は認識しているけど、だからといって別にお祝いをする気力も沸かない。
家族とは言え別々に暮らしているし、価値観だって異なることが分かっているのだから、お互いに無理をして迎合する必要はないと思って生きている。だから非常に気楽だ。
そうやって生きている人は、僕の周りにも何人かはいる。僕も含め、こういう人々に「親の死に目に〜」みたいなことを言っても、全く響かない。
よほど重篤ならばさすがに帰省するだろうけど、大抵家族……特に年寄りなんてのは死ぬときはさっさと死ぬため、死に目に間に合わないことは多い。だからそんなことを気にしているのは無駄なのだ。
というか、そんなことを気にしているような奴は、ずっと地元にこもってジャスコで買い物していれば良いだけの話なのである。
「同じ市内にいるけど10年以上会ってないな」という人ももちろん、僕の考え方が少数派の範疇であることは分かっている。分かってはいるが、少数派の意見だからといって取り下げる気にもならない。そこでこのスレッドに寄せられているコメントの中から、同じようなことを考えている人々の意見を拾ってみよう。
「一人っ子で父を亡くして母親しかいないけど10年連絡取ってない」
「同じ市内にいるけど10年以上会ってないな」
「弟とはこの15年で2時間も喋ってないかもしれん。でも仲が悪いわけではないので近くに住んでたら一緒にゲームやったりはするだろう。アラフォーだけど」
「10年以上連絡をしていない」という声と「10年以上会っていない」という意見があるが、これは似ているようで全く違うものに感じられる。
僕としては連絡だけはいつでもできるようにしてあるが、その理由は万が一家族に何かあったときを考えてのことである。人生なにが起きるか一寸先は闇なので、一応連絡ぐらいはつくようにしてあるものの、めんどくさくてわざわざ仕事の合間を縫ってまで会わないというだけのことだ。
だけど、10年もの間連絡すらしていないという場合は、きっと深刻な事情があるのだろう。親とそもそも仲が悪いとか、金銭面でいざこざがあるから避けているとか。こういう場合は、無理に関係修復なんか考えずに、そのまま放置で僕は良いと思う。
家族とはいえど所詮は他人という考え方もある。僕も親父が借金をして蒸発した後で散々苦労した身なので、10年連絡すらしたくない家族がいる人の気持ちも分かる。大体今の時代、そこまで仲良くもない家族同士が集まっても、特にプラスになることもないし、世間体にも影響しない。
無理に一緒にいてイライラするよりは、何年だろうと離れて暮らしていれば良いのだ。便りがないのは元気な証拠という奴である。