日本を「糖尿病」から救った男! インスリン研究の知られざる天才・福屋三郎と大日本帝国軍の闇

1月9日(水)7時30分 tocana

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■世界一の高貴薬

 インスリンが量産されるようになるまで、糖尿病には有効な治療法がありませんでした。発売当時のインスリンは最高価な薬の一つでした。

 昔の日本で糖尿病が「金持病」と呼ばれたのは、贅沢三昧している金持がかかる病気という意味ではなく、毎日、高い薬を死ぬまで打ち続けなければならないので金持しか治療できない、金持しか生き残れない病気だったことに由来します。実際に当時の新聞はインスリンのことを「世界一の高貴薬」と表現しているのです。

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■インスリン治療の始まり

 インスリンが発見され量産が始まって広まるまでの時間は、当時としてはかなり早く、イーライリリー社からインスリンが発売されたのが大正11年末、ベクトン・ディッキンソン社から1目盛が1単位になっているインスリン専用注射器セットが発売されたのが大正13年です。

 日本でも大正13年3月に現代之医学社から平川公行著「糖尿病のインスリン療法」という治療マニュアルが発売され、アメリカからのインスリン輸入も始まっています。書籍の巻末に輸入インスリンの広告がありますが、50単位4円50銭、100単位8円とかなり高価な薬でした。1日30単位必要な患者なら毎月72円かかる計算になります。

 大卒初任給50円の時代に毎月72円です。その他に注射代や血糖測定検査に医者の診察料なども必要ですから、医療費だけで毎月、死ぬまで何十年も、庶民の月収の3倍以上を食いつぶすわけで、年間医療費は軽く千円を超えたでしょう。つまり、まともな医療を受けられたのは平均所得の10倍以上の年収がある人間のみということになります。今で言えば糖尿病患者は年収三千万円以上無いと死ぬ病気だったと言うことで、「金持病」とか「世界一の高貴薬」と呼ばれたのも納得です。

 当時インスリンを生産できる国はアメリカ一国のみで、アメリカから運ぶ輸送費は高く、円がドルに対して弱く、1ドル=2円強だった当時の為替相場ではどうしても高価になってしまいました。

 そこで、国産化の取り組みが始まりました。帝国臓器から昭和10年に国産初のインスリン製剤が発売されますが、ウシやブタの膵臓から抽出精製した物だったので、非常に高価で生産量も少なく、輸入品と比べても安くはなかったため、他社は輸入した方が安いと思い国産化しませんでした。

■大日本帝国軍の闇

 昭和13年、外交関係の悪化によりインスリンをはじめ医薬品の輸入が完全に停止します。これによって日本国内は深刻なインスリン不足に陥りました。

 この直後、政府によって「全国医薬品原料配給統制会」が設立されて医薬品は統制下に置かれ、配給品に指定されました。その中にはインスリンも含まれており、インスリンを販売していた帝国臓器、武田薬品、鳥居薬品、友田製薬に対して、なぜかインスリンを軍に優先的に納入するように命令が下ったのです。

 この当時、国内で生産していたのは帝国臓器一社だけで、他の三社は輸入販売専門だったので、すぐに在庫は枯渇しました。

 要するに、当時の日本軍には多数のインスリンを常用しなければならない糖尿病患者の将兵がいたことになりますが、そのことに、とんでもない矛盾があります。

 軍人の欠格条項に「糖尿病であるもの又はその疑いがあるもの」とあり、糖尿病患者は軍人になれず、軍人が糖尿病になれば病気除隊させられます。糖尿病の軍人は存在しないはずなので、軍はインスリンを必要としないはずなのでは?

 秋山好古大将が酒の飲みすぎで糖尿病だったことは知られていますが、偉すぎて歩けなくなるまで辞めさせられなかっただけで、最後は名誉職にすぎない例外的な存在だったのでは? 昭和13年ごろの現役将兵にも糖尿病患者がけっこういたのだろうか? 彼らはナゼ除隊させられず、糖尿病のまま軍の医療費でインスリンを打ち続けながら軍人を続けたのか?

 おそらく、軍人を辞めてしまったら無料で薬が手に入らなくなるので、軍籍にしがみついていた可能性が考えられます。金持病を無料で治療してくれる軍を辞めることは、死を意味していたからです。

 年間千円に達する医療費を自費でまかなえたのは最低ギリギリでも大尉の年収1860円か、少佐の年収2640円より上の階級で恩給がもらえる年限13年以上勤めた人間でないと無理と推測できます。年功序列式だったので、士官学校を出て13年軍人をやっていれば最低でも大尉にはなれたはずです。

 またもう一つ考えられる事情として、昭和12年から日中戦争に突入して将校が不足していたことがあります。極度の人手不足で、糖尿病でも辞めさせるわけにいかなかったのかもしれません。

 ちなみに、当時の陸軍の資料によると、インスリンの使用目的は「精神分裂病の治療」「毒ガス対策」となっています。いや、精神分裂病の治療が必要な軍人も居ちゃだめだろとか、どうやったらインスリンで毒ガスを防げたのかツッコミどころしかないんですけど……。

■天才現れて革命始まる

 昭和14年3月28日、静岡県清水市で魚の食品加工を営んでいた清水食品に1人の男が入社しました。彼の名は「福屋三郎」。水産講習所を卒業したばかりの新卒であった。入社後すぐに清水食品インスリン研究室室長に任命され、3人の助手と共に研究を始めました。

 清水食品が扱っていた魚をインスリンの原料としたことは、哺乳類の家畜より大きな利点がありました。哺乳類のランゲルハンス島が臓器の中に分布した細胞片であるのに対して、魚類のそれは密集して独立した臓器です。コリコリとしてつまみやすく、コツさえ掴めば非熟練の女子工員でも簡単に魚のハラワタからランゲルハンス島を分離することができました。また、タラ一匹から20単位のインスリンが抽出できたので極めて効率の高い素材でもありました。

 ちなみに、当時のインスリン20単位の値段は魚屋で売っているタラ一匹の40〜50倍です。

 福屋は廃棄される魚のハラワタから、ピクリン酸とアセトンを使ってランゲルハンス島からインスリンを抽出する方法を編み出しました。大規模な工場も高価な設備もいらず、戦時下の日本で入手困難な原材料も大量のマンパワーも必要無い完璧な抽出法でした。

 昭和16年5月14日に清水食品と武田薬品と三菱財閥から資本金19万円の出資を受けて清水食品製薬部は独立し、魚を原料にした純国産インスリンを製造するため社員14人の小さな会社「清水製薬」を設立しました。
 
 設立後、すぐに生産ラインが稼動を始め、昭和16年7月には出荷を開始しました。インスリンは武田薬品の流通網によって全国販売されました。

 魚から抽出されたインスリンは当時の漁獲高から計算して、当時の日本の必要量年間730万単位の66倍ものインスリンが生産できることになります。しかも、小さな工場で安価に大量生産が可能で、庶民にも手の届く完璧な薬でした。ついに糖尿病は「金持病」ではなくなったのです。

 昭和16年7月〜昭和17年5月までの営業報告によれば、50単位で77銭、出荷数13,999本、100単位で1円28銭、出荷数7,050本とのことです。大正13年の8円から一気に1円28銭にまで値下げに成功しています。この当時のインフレ率の高さから考えれば、実質10分の1以下にまで値下げされたといえます。そして、インスリンの生産量は伸び続け、頂点となる昭和19年には1社2工場で国内需要の57%にもなる420万単位を供給するまでになりました。

 まさに、戦火の中で清水製薬のインスリンは糖尿病患者の命綱となったのです。

■異世界転生者疑惑?

 なんか、福屋三郎さんがチートすぎるんですけど。

 入社日が4月1日ではなく3月28日なのは、清水食品の社長がその腕前にほれ込んで「1日も早く来てくれ」と頼んで卒業式の翌日から入社させてしまったせいだと社史に書かれています。

 福屋さんが在学していた当時の水産講習所は、4年制の専門学校という位置づけで大学に準ずる教育機関でした。後の東京水産大学(現・東京海洋大学)の前身でもあり、当時としては難関校の一つです。

 水産学を専攻した20代前半の青年が入社後にいきなり研究室長に抜擢されて、2人の女子従業員と1人の助手だけで、小さな建物一つの研究所でろくな設備も予算もなしに一年半で完璧な薬を完成させて、その半年後には、大手製薬会社と財閥を口説いて大量生産の工場作らせて日本中に行き渡るようにしたとか……それも戦時中にですよ。

 研究始めたのが昭和14年で、昭和16年7月には製品を出荷して、論文発表が昭和16年8月って、すごいハイペースなんですけど。しかも、論文の発表日よりも製品を出荷している日の方が早いんですけど。時系列おかしくないですか?

 当時の新聞でも福屋三郎の功績を取り上げていますが、学位を持っていなかったため「福屋三郎技師」と書かれています。

 確かに金持が大量に欲しがる薬がタダみたいな原価で安い設備の工場で大量生産できたら、儲かって笑いが止まらないから大手製薬会社と財閥が乗ったっていうのはわかるんですけど……。水産化学という分野は、魚類を食品以外の医薬品などに利用する研究を行う学問ですけど……。

 福屋さん異世界転生者かなにかですか? 現代の研究者は福屋三郎さんを見習って研究費がない、人手がない、時間がない、とか文句いったら甘えですか?

 国産インスリンの最大の功労者である福屋さんは、昭和19年6月1日付で中部第三十六部隊に召集され、一等兵となりました。その後、中部第三十六部隊は満州へ送られ、終戦を迎えるとソ連軍の捕虜となり、シベリアに送られたとの記録があります。シベリアから帰国できたとの記録は無く、福屋三郎一等兵が何時どこで死んだのかも記録はありません。

 大日本帝国陸軍は若き天才科学者を、無知にも兵士として戦地に送ってしまったのです。

 福屋さんは役目を終えて異世界から元の世界に帰ったのでしょうか。きっとそうだと信じたいです。

(文=亜留間次郎)

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