市原悦子さんが教えてくれた『まんが日本昔ばなし』のナレーションがあの「むかーし、むかし……」になった理由

1月12日(日)11時0分 文春オンライン

「あ、準備しなきゃな」市原悦子さんが75歳のちょっと前から断捨離を始めた理由 から続く


 ドラマ「家政婦は見た!」の主演やアニメ「まんが日本昔ばなし」の声優を長年にわたり務めたことでも知られた市原悦子さん。今年1月12日に惜しまれつつも亡くなった市原さんが生前に遺していた「ことば」をまとめた書籍『 いいことだけ考える 』が発売されました。今もなお多くの人の心に残る「まんが日本昔ばなし」への想いを公開します。


◆◆◆


「むかーし、むかし……」のナレーションで始まる『まんが日本昔ばなし』。1975年から20年間つづいた長寿番組だ。愉快な話も怖い話も、市原さんの味わい深い口調で語り出されると、現実世界から一瞬のうちに昔話の世界へ連れて行ってもらえた。


 ところが、あの独特の語り口も、実は生来のものではなかった。


「俳優座入団当時はね、東野英治郎(とうのえいじろう)さんや岸輝子さんといった大先輩相手にお稽古していたでしょう。そんなとき敬語の使い方を知らなくてよく叱られたの。場違いな発言で場の空気を凍らせてしまったこともあった。それで一言一言ことばを選びながら話すようにしたのが始まりね」



撮影:駒澤琛道


 1975年当時、民放で昔話のアニメ化は初の試みだった。時代は高度経済成長期の余韻が色濃く残っていた。


見てる人が居眠りするような番組にしましょう


 ディレクターたちは、昔話をどうしたら新鮮に聴いてもらえるかを検討した結果、役者に声を担当してもらおうということになり、そこへたまたまスケジュールの空いていた市原さんが抜擢されたのだという。


「あれは始まる前にね、常田(ときた)(富士男(ふじお))さんと『この番組、見てる人が30分居眠りするような番組にしましょうよ』って言って始めたの。のんびりした、束の間のオアシスのようにって。だってテレビで世の中、騒々しかったから」


 番組が始まった1975年は、市原さんの人生には珍しい冬眠の季節であった。1971年、芝居づくりのマンネリに耐えきれず、15年間舞台に立った俳優座を退団。同じ年に2度目の流産をして、役者の道か母になるかを迫られて子どもを諦めた。1974年に『トロイアの女』で白石加代子と共演し、やっと冬眠から目覚めようとしていた。『まんが日本昔ばなし』はそんな彼女に舞い込んだ、神様からのプレゼントのような仕事だった。



子ども向けの教育的な考えは一切なし


 当初の放送予定は3ヵ月間だったが、放送終了後、番組の継続を希望するハガキが一万通もテレビ局に寄せられ、レギュラー化が決定。翌76年一月から再開したという経緯がある。土曜の夜7時「坊や、よい子だ。ねんねしな」のテーマソングが聞ける週末は、ほっと一息つけた。


 初めての著作『ひとりごと』で、市原さんは、「ずっと、子どもは意識してやっていなかったですね。作る側の、わたしたち大人が興味のあること、やりたいことをやっていた。子どもにわかりやすくとか、子どもを相手にした教育的な考えも、20年間、一切ありませんでした」と語っている。


 番組の視聴者は大人が6割、子どもが4割だったというのもうなずける。最高視聴率は39.8%(ビデオリサーチ調べ 関西地区)を記録した。


「う、○、こも声にしますよ」


 番組の収録は毎週火曜日に行われた。台本だけ2日前に手渡される。


 当日、4時間の収録のうち最初の2時間は、プロデューサーと演出家と常田さんとのおしゃべりだった。


「昨日の殺人事件は何なの? とか、安保がどうしたとか。その会話から、それぞれの考えが垣間(かいま)見えるのね。そこでまた信頼ができるわけなのよ」



 市原さんと常田さんに、それぞれ一話あたり約10もの役が振り分けられるのはその後だ。


 リハーサルで一通り絵を見ると、すぐ本番だった。昔話には森羅万象、あらゆるものが登場する。


「何でもかんでも、動物、人間、鉱物、植物、そこらへんに転がっている石、小さい声で言えば、う、○、こ、それまで声にしますよ」


 どうしたらそんなに色んな声が使い分けられるのか、魔法のように思えて不思議がるわたしに、「『まんが日本昔ばなし』の絵ってすごく格調があって、一枚一枚の絵にすごくコクがあった。あれを見ていると触発されて、自然と声が出るのよ」と市原さんは言った。



心を寄せる。そういう遊び心が声になる


 最初わたしはこの説明がなかなか飲み込めなかった。TBSの安住紳一郎アナウンサーも『ぴったんこカン・カン』で同じ質問をしている。そのとき市原さんは目の前の年季の入った釜めし用のお釜を例にこう答えた。


「心を寄せるんですよね、モノとか人に。このお釜に、『おいしかったわ。ずいぶん長年使われて、よく磨かれているけど、もう何年お勤めしているの?』ってこちらの思いを寄せると、それに答えが返ってくる。そういう遊び心が声になるんです」


 人やモノへの思いが、身体(声帯)を動かすということなのだろう。


 市原さんは絵が好きだった。2018年の夏、亡くなった夫の塩見哲さんの蔵書の整理を手伝ったとき、手元に残す本を尋ねると、ベッドの上で「スーチンの画集がいいわ」と言った。若いころから役作りのときには、よく画集を開いた。


「絵の中には、その場の空気感とか、人物の不安に揺れている心、爆発した怒りや狂気を描いた絵があるの。自分の描けるイメージって限られている。だけど、立派な画家の絵によって、違う世界が自分の中へ入ってくる。絵からインスピレーションを受けるのね」


『まんが日本昔ばなし』を見ると、改めて絵のすばらしさに驚く。登場人物のユニークな描き方だけでなく、人々の日々の暮らしが、日本の原風景ともいえる豊かな自然の中で生き生きと描かれている。


「昔ばなしは、めでたし、めでたし、で終わる話ばかりじゃない」


 文化庁優秀映画作品賞やギャラクシー賞期間選奨など数々の賞を受けて、大人気だったこの番組が20年で終わってしまったのは、皮肉にもこの絵の制作費にスポンサーが財布のひもを締めたからだと聞いた。


 市原さんのこんなことばが耳に残っている。


「人間ってちっぽけだっていうことを、やるたびに思い知らされたわ。昔ばなしは、めでたし、めでたし、で終わる話ばかりじゃない。どんなに素直になってもいいことは起こらない。努力しても実らない。理不尽なことがどんどん起こる。それでもこつこつと生きていく、大きなもののなかで生かされていくのが人間なんだということをまた深く思い知らされる、そこが不思議な魅力よね」


 市原さんは宗教には無縁だったけれど、色んなヒトやモノたちと交感し、声でその存在をわたしたちに知らせてくれたんだなと今にして思う。




(沢部 ひとみ)

文春オンライン

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