『機動戦士ガンダムZZ』はなぜ評価されてない? 子ども向けテイストと古臭いMSデザインが要因か
2019年1月13日(日)9時0分 キャリコネニュース
日本には、数多くのロボットアニメが存在しているが、その中でも依然圧倒的な人気を誇るガンダム。ただ、脈々と続くガンダムシリーズの歴史に中には、あまり評価されていない不遇なタイトルもある。
たとえば1986年に放送がスタートした『機動戦士ガンダムZZ』なんかは、その代表例といえるだろう。(文:松本ミゾレ)
敵MSは前作で登場したガザCの発展系だったりで、子どもが見ても地味なイメージ
『ZZ』の不人気ぶりについてはこれまでも散々議論されてきた。たとえば前作の『機動戦士Zガンダム』とは正反対の、明るくて子ども向け(というか子どもに媚びすぎて、子どもにすら「ガキっぽい」と思われる作風)のテイストがウケなかったとかだ。
ほかにも、主役機のZZガンダムにスマートさがなくて、ガンプラとして魅力を感じにくかったとか、いきなりグレミーの反乱によってネオ・ジオンが分裂するのが、どうにも理解できない、といった点が指摘されている。
加えて、いちオタクとして付け加えるならば、登場するMSに新鮮味がないのも、この時期のガンダムの特徴である。特にネオ・ジオン側のMSは、前作で登場してきたガザCの発展系という、どうにも古臭いイメージのマシンが多い。
しかも搭乗するのは、ファーストの時代から変わらないジオンのノーマルスーツを着用したパイロットも多く、ロートル感が半端なかった。
僕が小学生の頃、模型店に行くとバンダイが発行しているガンプラの冊子が貰えた。この冊子を読んでると、『ZZ』時代のMSってどうにも地味で、魅力が感じられない気分になったことを覚えている。
ラスボスがハマーンの乗るキュベレイというのも微妙では
僕自身としても『ZZ』という作品に、あまりパッとした印象を持っていない。その理由は、前作の『Z』から色んなものを引きずり過ぎている点にあると感じる。
アクシズの首魁であるハマーン・カーンは未だに多くのファンを抱える人気キャラクターだが、だからと言って前作の中盤から登場した彼女をラスボスに据えるのは食傷気味になる。
しかも愛機はキュベレイのままだし、取り立てて変わった点と言えばハマーンのノーマルスーツの有無ぐらいしかない。劇的な進化を遂げたとされるこの時期のMS群にあって、キュベレイはもはやロートルの域であり、量産すらされているシロモノだ。
そうした点も、子ども心につまらないと感じた。(ベクトルは違うが、『ゴジラ対メカゴジラ』の続編が『メカゴジラの逆襲』でなんかガッカリした気分に相通ずる)。オタクは子どもの延長線上にある生き物だ。そして子どもは、同じような敵を連続で見ると飽きるのだ。さらに気にかかったのが、前年放映の『Z』と同じ劇伴が流れまくることである。
『Z』にBGMって、『Z』で流れるから印象的なのに、序盤のアイキャッチ含めてかなり広い範囲で流用されていることが、個人的には『ZZ』色を薄めたように思えてならない。
もちろん『ZZ』で初めて使われるBGMもあるにはあるが、『Z』時代の音源と比べると前時代的と言うか、なんかダサさを感じるナンバーが多い。作風に合っているという擁護の声もあるかもしれないが、だったら『Z』の音源は世界観の統一を妨げる混乱の元になるため、流用すべきでなかったと感じるほかない。
『ZZ』という作品には、どうにも子どもっぽさ、MSのトンデモさ、それから子どもに最終決戦を任せてしまうシナリオなど、気になる部分が多い。それも含めての良さなのかもしれないが、今日においてもあまり再評価されるチャンスが巡ってこない理由としては、これらがかなり影響していることは間違いないだろう。