小説『蜜蜂と遠雷』に私が最大級の賛辞を贈る理由

1月14日(土)6時5分 JBpress

『蜜蜂と遠雷』は「音」そのものと正面から向き合っている(写真はイメージ)

写真を拡大

 芸術とは一体なんなのであろう。今回は、今話題となっている一冊を読み解きながら芸術について考えてみたい。

 岡本太郎は「芸術=爆発」と定義した。確かにその答えには、当人のキャラクターも含めて有無を言わさぬ説得力がある。実際に「あなたの考える芸術とは何ですか?」というテスト問題があったとして、あなたなりに100点を狙うとしたらどのように解答するだろう。その答えに考えを巡らせることは、他の人が問いにどう答えるのかということも含めて、非常に興味深いことではないだろうか。


私が「音を楽しむ」ことを知るまで

 1980年代に小学校に通っていた私の思い出を語ると、主要4教科(国語、算数、理科、社会)以外の科目は、ずいぶん級友たちに軽んじられていたように思う。唯一の例外は体育。体育だけは「モテ」の要素があるから重きを置かれていた。足の速い子はそれだけで人気を集め、足が速くなくても得意な球技が1つでもあれば教室内の序列に影響した。ここで言う「軽んじられていた」は体育以外の、例えば図工だとか、道徳だとか、書写だとかの実用系の科目のことだ。学校のカリキュラムを決めた偉い人も、添え物のように考えていそうなこれらの科目。週の授業時間数が少ないこれらは「副教科」と呼ばれている。

 だが、中学に上がると、入試を推薦で迂回しようとする人からは「評定平均」で差をつける武器として、これら「副教科」は熱視線を向けられる。一方、大半の生徒にとっては、学生時代にこれらの科目が得意であってもあまり自慢にはならないから、ひそかに内なる自信を育み心の支えとするぐらいしか活用の方法はない。微妙な位置づけの科目として存在するそれら「副教科」のなかに「音楽」も含まれている。

「音楽」で思い出すのは中学校のことだ。小学校時分は、「音楽」と言うとピアニカ、たて笛、そして何も考えずに皆で一緒に歌を歌うぐらいだった。だが、内外に「合唱が盛んである」と喧伝する私の母校である中学に進学すると、音楽に対しての接し方は一変した。朝は軽く合唱で始まり、昼休みの終わりも合唱、1日の終わりのホームルームも合唱でしめるという「半オペラ」生活を強いられることになったのだ。合唱の合間、合間に授業をしていたと言っても過言ではない。そのうち歌いながら授業をする教師も出始めるのではないか、その笑い話があながち冗談に聞こえないぐらいの異様な「盛ん」であった。

 週に一度の全校集会においても、最後は必ず全校生徒による合唱である。存在感ありありの音楽教師によるマシマシな反復練習によって、全校集会の時間は度々延長された。いま振り返ると、他科目の教師はうんざりしていたのではないかと思う。登壇した音楽教師に注がれる、渋面の横顔を思い出す。

 朝から晩まで合唱ばかりを練習させられる日々。近隣住民から苦情は出なかったのが不思議なくらいだが、よく考えると周囲は古くからの住宅地であったから、奴らもOBの可能性が大だ。もしかしたら合唱を「盛ん」にした張本人だったかもしれない。

 問題はここからである。

 合唱が盛んであることを誇りにしているくらいだから、やはり音楽の授業も歌ってばかりで、座学は一切やらずであった。にもかかわらず、音楽の期末テストは歌ではなく、しっかりとペーパー試験が行われたのだ。教科書を開くこともなく、喉を開く練習以外は何も学んでいないのに、「以下の楽譜記号の読み方と意味を答えなさい」とか「これは何短調もしくは何長調ですか」とか、私にとっては暗号解読のほうがまだ易しいと思える問題が用紙に書かれていたりした。何たる理不尽。幼少期に音楽の習い事をしたこともなく、オタマジャクシといえばもっぱら捕まえるほうが専門の、私をはじめとした無骨な者たちは無力感に打ちひしがれたはずだ。しかし、テストが終われば何事もなかったかのように合唱生活は再び繰り返された。まるでカエルの輪唱のような「合唱」「合唱」の大合唱に、そのうち周囲の皆も私も考えることを放棄した。与えられたこと、求められたことをやっていればよい。歌えばいいんだろ、歌えば。

 結果、没思考とはこのうえなく楽なものだということを中学にして知った。その没思考の甘美な誘惑は根が深い。能動的に音楽に触れない習性を植えつけられた結果、私はいまだに楽譜が読めない。その頃の私にとって「音楽」といえば「合唱」で、与えられたものを何も考えずに歌うこと、それ以上でもそれ以下でもなかった。繰り返される練習によって、なんとなく経験の蓄積を図るという行為の繰り返しでしかない。

 音楽の本来的な意味、字のごとく「音を楽しむ」ことを知ったのは、大学受験に失敗してどん底にあった浪人中のことだ。音楽に救われる(気がする)という経験によってはじめて、私は音楽に出会ったのだと思う。しかし音を奏で、音を作る楽しさを追求する方向にベクトルが働くにはいささか遅かったのではと、いま振り返ると思うのだ。


言葉を尽くして音を表現

 私の例を出すまでもなく、きっと誰もが人生において音楽に出会う瞬間が存在するのだと思う。その時の感動を、毎度新鮮なまま何度も追体験できたとしたらどんなにいいだろう。もし覚えていない、思い出せないとお嘆きの方は、ぜひとも『蜜蜂と遠雷』(恩田陸著、幻冬舎)を読んでいただきたい。

「聴覚に働きかけることのできない活字が、音楽と出会った時の感動を思い起こさせるとはこれいかに?」

 その疑問はもっともだ。しかし、あえて言おう、そういうもっともな疑問を抱いた方にこそ本書を試していただきたい。きっと、著者の「言葉を尽くして音を表現する」という試みに導かれて、頭のなかに音があふれだすという新たな体験をすることだろう。

 実際に私は、初めて音楽に出会った時のことを、本書によって鮮明に思い出した。作中の登場人物が音楽と出会い、音楽を咀嚼し、音楽を自らの内に取り込み、そして音楽を表現する、あるいは表現しようとする様に何度も涙し、音楽と出会った当時を追体験するに至ったのだ。


ピアノコンクールに臨む4人の出場者

 物語の舞台は、日本で開催され近年とみに注目を集める「芳ヶ江国際ピアノコンクール」だ。世界にピアノコンクールはあまたあるが、通常の方法では取りこぼしている才能を積極的に発掘するという姿勢が評価され、本コンクールの価値は回を重ねるごとに高まっている。特に本選で優勝した者が、その後に名のあるコンクールでめざましい活躍をみせるということが続いたため、比例するように出場者のレベルも年々上がり続けている。
 オーディションから第1次予選、第2次予選、第3次予選、そして本選へと段階を踏みながら進んでゆく物語のなかで、コンクールに臨む4人の出場者と、大会に関わる他の数名の人々の視点を借りながら物語は描かれる。

 世界5カ所で開催されるオーディションのうち、パリで開催されたそれで異変は起こった。誰もが名を知るピアニストである故・ホフマンの弟子を名乗る「風間塵」という16歳の日本人が、すさまじくかつおぞましい超絶なピアノを演奏して審査員の目に留まったのだ。ピアノを奏でる者すべての憧れでありながら、その門を叩いても弟子を取らないことで有名だったホフマン。最高峰であるホフマンの生前の推薦状を携えた風間であったが、師匠であるホフマンとは似ても似つかない音色に審査員は混乱する。そんな未来を予見していたかのように、ホフマンは亡くなる直前に知人に対して次の言葉を遺していた。

「僕は爆弾をセットしておいたよ」

 それは、格式を重んじるピアノ業界の凝り固まった「常識」を打ち破る存在として、風間を意図的に送り込んだと宣言したも同然だった。

 そうなのだ。現状を打破する才能が世に出てくるときはいつだって異能扱いされる。ご多分に漏れず、風間の演奏に対しても拒否反応を示す「否定派」は多かった。ピアノ音楽に造詣が深い審査員ほど風間の演奏に対してアレルギー反応を起こしやすく、感情が先走ってしまうのだ。しかしそれはすなわち、彼の演奏技術とその音色が聴く者の心を激しく揺さぶっていることの証明に他ならない。風間は予選をギリギリで通過しながら、予選を経るごとに次第に理解者を獲得してゆく。

 そんな風間の音にもっとも影響を受けたのが、20歳の音大生「栄伝亜夜」である。ピアノ好きな母に手ほどきを受け幼くして天才少女と謳われ、二人三脚で内外のジュニアコンクールを制覇した彼女は、13歳のある日を境に表舞台から姿を消しまった過去を持つ。彼女の最初の指導者であり、彼女を守り、マネージャー的な役割もこなしていた母が急死してしまったのだ。死後、最初に行われる予定だったコンサートで、亜夜は母の不在を痛感し、演奏することができなくなってしまう。

 ショックのあまりステージから逃げ出した亜夜は、ピアノから離れて生活していたが、彼女が大学を受験する年にふらりと表れた、母の友人である浜崎から自分が学長を勤める音大の受験を強く勧められる。流されるままに音大の試験を受け、なし崩し的に入学した亜夜だったが、あらためて音楽に触れ、音楽を学びなおすことによって音楽そのものの面白さを再認識するかたちとなった。

 今回のコンクールへの出場は、学長である浜崎に対する恩返しの意味もあって気が進まないながらも出場を決めたが、コンサートから出奔して以来となる人前での演奏に憂鬱な気持ちは増すばかり。亜夜の心は重くふさいでいる。そんな状況下で耳にした風間塵の革新的な音によって、彼女の内に眠っていた才能がだんだんと覚醒してゆく。

 そんな彼女がピアノから遠ざかる前、天才少女と称されていた幼き日の亜夜と出会ったことにより音楽の世界へと導かれた1人の少年がいた。

 マサル・カルロス。日系人の母をもつ彼は幼少期を日本で過ごすが、日本の学校にはなじめなかった。そんな折、近所から聞こえてくるピアノの音に心を奪われていた彼は、そのピアノの鳴る家から出てきた黒髪の少女に、興味本位から声をかける。マサルと話すうちに彼に並々ならぬ音楽の才能があることに気づいた黒髪の少女こと亜夜は、自分の通うピアノレッスンにマサルも一緒に連れてゆくということを何度か繰り返した。亜夜と一緒に訪れるレッスンは互いにとってとても魅力的で、マサルのなかでそれは次第に喜びへと変わってゆく。

 学校以外の居場所を手に入れたマサルだったが、ある日、父の仕事の都合でフランスへと渡ることになる。別れの際に亜夜と交わした約束を守り、ピアノを習い始めるマサル。その感性と驚異的な上達の速さは周囲を驚嘆させるに十分だった。その後アメリカへと移住し、美青年に成長したマサルは、初恋の思い出を胸に日本で開催されるコンクールへと臨むために来日した。そして迎えた1次予選で、マサルは運命的に亜夜と再会するのだった。

 4人目のコンテスタントとして登場する人物、高島明石のキャラクターが出色であろう。ごく平均的なサラリーマンの家庭に育った彼は、亡き祖母の後押しによって音楽を奏で、つかず離れずより少しだけ音楽寄りの人生を歩み、音楽と繋がってきた。音大まで進んだものの頭角を現すまでに至らなかった明石は、音楽は一部の天才のためにあるものではないということを証明したい、生活者の音楽を世に問いたいとのポリシーを持ち、それを証明してやろうとひそかに闘志を燃やす。コンクールの出場者のなかで最高齢である28歳の明石は、楽器店で働きながら限られた時間でコンクールに備えてきたが、同時に自分の限界も感じており、今回の出場で結果が得られなければ音楽家としてのキャリアを終わらせようと考えているのだった。

 物語の中心となる彼らと彼らの音楽。楽譜が読めない、音楽の素養のない私であるが、4人の奏でるピアノが素晴らしいものであることに一片の疑いも持たない。著者は言葉を尽くし、だが言葉では書き表せない無形のものまでをも読者に届けようと筆を振るっているのだろうと思う。読む者は例外なく、この作品に込めた著者の情念の塊のようなものを、直接自分のなかにぶち込まれた気分になるだろう。


常識をぶっ壊した、これまでにない「音楽小説」

『ピアノの森』や『のだめカンタービレ』など、マンガで音を表現しようという試みはこれまでにもあった。これらの作品はマンガという特性を活かすことで「視覚」という補助があった。一方、これまで発表された少なくない「音楽小説」は、音楽そのものの凄さを表現することによって物語を転がしてゆくことが難しいため、謎解きの要素や、あるいは青春小説という補助的な魅力を必要とした。それらの中で『船に乗れ!』などは、今までに私が読んだ小説の中でも五指に数えるほど大好きな作品である。

 しかし、この『蜜蜂と遠雷』は明らかに前述した形態の音楽小説と一線を画している。偶然かはたまた必然か、ある1つの音楽コンクールを舞台として設定することにより、短期間のうちに登場人物の密度の濃い成長の様子を描かざるを得なかったことが、主たる要因として挙げられるだろう。そして、この設定こそが、純度の高い「音」そのものと正面から向き合い、登場人物たちの「音」そのものが、よりよく変化してゆく過程を描かなければ成立しえないという事態を呼んだ。著者は執筆の過程で、かなりの苦労を重ねたのではないかと推察する。結果、この小説は「音楽小説」というジャンルを新たなステージへと押し上げ、「音楽小説」自体の新たな可能性を大きく広げて見せた。

 皆の当たり前を変えること。岡本太郎の言う「爆発」とは、ほんのちょっと前までの過去の常識をぶっ壊すことだ。「芸術=爆発」ならば、常識をぶっ壊した『蜜蜂と遠雷』という作品自体が、もはや芸術の域に達しているといってよい。だから私はこの小説に最大級の賛辞を贈る。

 蛇足となるが、本稿を執筆中に『蜜蜂と遠雷』が第156回直木賞候補にノミネートされた。2017年1月19日に選考が行われるが、一ファンとして本作が受賞に至ることを願ってやまない次第である。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

筆者:松本 大介

JBpress

この記事が気に入ったらいいね!しよう

小説をもっと詳しく

BIGLOBE
トップへ