102歳の現役画家は手塚治虫の先輩 引退を考えたことはない

1月15日(月)16時0分 NEWSポストセブン

アトリエでは必ずベレー帽をかぶる

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「人生100年時代」とは、単にその年齢まで命を永らえさせることではない。大事なのは、100歳まで、そして100歳を超えたその後をどう生きるかだ。


 奈良県生駒市、娘が営む喫茶店の2階のアトリエ。ベレー帽を被った藤田剛士さん(102)は、自らが生み出した様々な作品に囲まれペンを動かす。


「歳は関係ないですね、僕の場合は。知らん間に100歳超えとったもんね」


 藤田さんは、漫画家、写真家を経て画家になった。傍にあるのは、縦1.45メートル、横1.12メートルの大きなキャンバス。カモメが飛ぶ鮮やかな青色の空を背景に悲しげな顔をした女性が白い布を体に巻いた姿を描いた油絵だ。インタビューの1か月前に完成したばかりの作品だという。


「題名は『去りゆく想い出』。若い時に撮った写真をネタにしてな。娘に尻叩かれながら書き上げた(笑い)。こんな歳とってる人がこんだけ好きなものを描くんだから、若い人たちも好きなことをやりなはれ、と思う」


 終戦直後には関西児童漫画協会を結成し、故・手塚治虫さんとの交友もあったという。「漫画の神様」は藤田さんの後輩だったのだ。


「協会を作った途端、みんな忙しくなって、手塚はスケッチ旅行に1回参加しただけだった。単行本を出版したこともあるけど、僕は漫画で独り立ちできんかったから、紙芝居の原画を描いたり、新聞のイラスト画や4コマ漫画、喫茶店のメニューなど、なんでも描いた。


 40歳くらいで漫画を辞め、それから写真を20年くらい。写真では金銭的に相当苦労したよ。機材に金かかるし。嫁はんに頼んでカメラを買ってもらってね。でも苦労もあってかぎょうさん賞を貰いましてね。その縁で1982年には入江泰吉(仏像写真家。故人)らと一緒に奈良の東大寺大仏殿の撮影をしましたよ」


 60歳にして絵に転じ、62歳で昭和美術会で入選。100歳を超えてからは毎年特別賞を受賞している。昨年5月には弟子で粘土工芸作家の登羽華貴さんと「二人展」を開いた。


「先生と出会ったのは、先生が80歳の時。でも若くて70歳ぐらいにしか見えなかった」と登羽さんが言うと、藤田さんは「できるだけ歳は忘れているからね」と高らかに笑い飛ばす。今も2人は共にアトリエで創作に励む。


「朝は6時に起きて、9時半頃にはアトリエに来るかな。描く時は夢中になってメシも食わないで描く。その代わり、2〜3日何もしないこともあるね。描かへん時は、弟子には悪いけど、アイデアを考えながらあっち向いてホイで寝とります(笑い)。夕方4時半頃に帰って、夜8時には床に入る。今はタバコもやらんし、酒は昔から飲めへん」


 目がかすんだり、手が震えたりすることもあるが、今でもその時その時に描きたいタッチで作品を描いている。タッチを変えて描くことも楽しみのひとつだと言う。「何でも描ける」ことが藤田さんの強みだ。


「最近は漫画のタッチが多くなってきています。元は漫画家さんですからね。先生の集大成なんじゃないでしょうか」(登羽さん)


 という弟子の言葉も、藤田さんは笑って受け流す。


「ははは、集大成ねぇ。引退しようと思ったこと? ないな。筆持ちながら死にますわ」


※週刊ポスト2018年1月26日号

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