平均寿命100歳に潜むウソと罠——老人が乗り越えられない“試練”とは?

1月16日(木)6時0分 文春オンライン

 バラエティ番組『ホンマでっか!?TV』などでも活躍する生物学者・池田清彦氏が、『 本当のことを言ってはいけない 』(角川新書)でアルツハイマー病、がんなどの病気について本音で解説する。



老人の病気は自然選択の枠外


 50歳代までは、不治の病気になるのも、交通事故に遭うのも、本人にとっては青天の霹靂みたいなもので、本人でない多くの人は自分でなくてよかったと思い、親しい人は首尾よく回復してくれればよいのにと思い、中にはザマア見ろと思う人もいるかと思うが、どのみち稀な出来事であることは確かである。それが60歳を過ぎる頃から、がんになるのも、痴呆になるのも、脳梗塞になるのも、むしろ当たり前の出来事になってくる。


 しかしこの頃から体や頭の具合の良し悪しは個人差が大きくなり、特に痴呆に関しては70歳頃にはすっかり呆けてしまう人もいれば、90歳や100歳になってもしっかりしている人もいる。認知症の割合は、65歳から69歳までは約3パーセントだったものが、年齢が5歳増すごとにほぼ2倍ずつ増加して、85歳から89歳までは40パーセント、90歳から94歳までは60パーセント、95歳以上は80パーセントになる。不思議なことに、痴呆率は80歳代までは女性の方が多少高いくらいであるが、90歳代になると、女性の方が圧倒的に高くなり、男性の痴呆率は90歳代を通してほぼ50パーセントなのに対し、女性は90歳から94歳まで65パーセント強、95歳以上は84パーセントに激増する。



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 なぜ女性の方が痴呆率が高いのか不思議な気がするが、男性は90歳を過ぎて認知症になるとすぐに死んでしまうが、女性は痴呆になってもしぶとく生きているのかもしれない。平均寿命と健康寿命の差すなわち死ぬまでの要介護の年数は2016年の統計で男性が8・84年なのに対し、女性は12・35年ということも関係しているのであろう。団塊の世代がすべて75歳以上になる2025年には、65歳以上の高齢者の19パーセントが痴呆になるとの推計もある。


 高齢になるほど認知症の割合が増えるので、当然、超高齢化社会の日本の全人口に対する認知症の割合はOECD加盟国一で、2017年の統計では2・33パーセントであった。年金の財政が破綻することが分かっている政府は、平均寿命が100歳になるとウソをついて、高齢者を働かせようとしているけれど、認知症の人を働かせるのは難しい。



有効な治療法もなければ、有効な予防法もない


 認知症のなかで一番多いアルツハイマー病は、有効な治療法もなければ、有効な予防法もない。90歳過ぎてもアルツハイマー病にならないで、生き続けられるのは、余程の僥倖である。生物としての人間の繁殖可能年齢は大体50歳なので、50歳を過ぎてから子孫を残すことはまずない。繁殖期が終わるまでに身心の具合が悪くなる遺伝的な性質は、直接的な遺伝病でなくとも、特定の病気にかかりやすい性質といったものも含めて、自然選択による淘汰圧がかかり、人類の集団から除去されてきたと考えられる。


 しかし、繁殖期を過ぎて発症する多少とも遺伝子が関与している疾患は、自然選択による淘汰圧がかからず(遺伝子はすでに子供に伝わっているので)、人類の個体群から除かれないのだ。別言すれば、自然選択は老人の病気を減らすことに何の味方もしなかったので、老人になって、あちこち体や頭の具合が悪くなることは仕方がないのである。遺伝的な組み合わせがたまたまいい人だけが、致命的な疾患にならずに長生きができるのである。



 誰でも努力をすれば、世界一長生きしたジャンヌ・カルマンさんのように122歳5か月まで生きられるということはあり得ない。105歳まで生きた日野原重明さんの睡眠時間は4時間半ということだが、日野原さんの真似をしても100歳を過ぎてから1時間もの講演ができるものでもない。普通の人は90歳を過ぎて4時間半しか眠らせてもらえなかったら死んでしまうと思う。私は毎日8時間くらい眠らないと具合が悪い。


歳をとれば、がんが発症するのは仕方がない


 歳をとったらうまいものを食って今日明日の楽しみだけを考えて、適当に生きているのが一番幸せで、死病になったら諦めるほかはないと思う。そうは言っても煩悩に支配された凡人はなかなかそうもいかないことは、私も凡人の一人としてよく分かっているが、歳をとれば、がんが発症するのは仕方がないのだ。毎年、律義にがん検診を受けて、がんが発見されると医者の言いなりに治療を受けても、生き延びられるとは限らない。私はもう20年以上、がん検診を受けたことはない。


 近藤誠の言うように何もせずに放置しておいた方が長生きできる場合も多いと思う。前立腺がんの治療を受けた後の5年生存率は98パーセントを超えるという。30年程前まではこの率は50〜60パーセントくらいだった。早期発見、早期治療で予後が良くなったと思われるかもしれないが、その間、同様に早期発見、早期治療が進んだ大腸がんの5年生存率はほとんど変わらない。前立腺がんの場合は、放っておいても死なないがんもどきを見つけて無理に治療をしているのだ。それで見かけ上の5年生存率が上がったわけだ。欧米では前立腺がんは無理に発見しようとしないで、発見してしまった場合も無治療で様子を見るのが一般的だ。日本のように無理やり治療に誘導するのは医者の利権である。



乗り越えられない試練もある


 年寄りになってからの全身麻酔を必要とする手術は、痴呆を加速させることが多い。体は元気になりましたが頭は呆けました、というのが一番始末が悪い。完全に呆けてしまえば、本人は苦しくないかもしれないが、介護する家族は大変である。それで、元気なうちに老人ホームに入居しようかということになるのだろう。


 完全に呆けてしまえば、無敵になってしまうのかもしれないが、呆け始めたことを本人が自覚していると、かなり恐ろしいらしい。特に、若年性アルツハイマーの発症期は、本人にとっては相当な恐怖であるようだ。つい最近まで、何気なく出来たことが、どうも上手く出来ない。近くのスーパーから自宅への帰り道が分からなくなった。今日が何曜日かよく分からない。こうなると、頭が真っ白になって、気が狂いそうになるというのはよく分かる。最近も、呆けてしまった妻の呆け始めた頃の手帳を見たら、子供の名前や孫の名前を毎日毎日書いていたという話を聞いた。少しでも呆けを遅らせようと涙ぐましい努力をしていたのだと思うと切なくなる。



 しかし、残念ながら努力をしてもアルツハイマー病の進行を止めるのは難しい。白血病を発症した若い水泳の選手が「神様は乗り越えられない試練は与えない」との聖書の言葉を引用して話題になっている。この選手はまだ若く、恐らく治癒すると思うし、治癒してほしいと思う気持ちに偽りはないが、乗り越えられない試練もあるのだ。特に歳をとってからの試練は、はっきり言って十中八九は乗り越えられない。


 この世で乗り越えられない試練でも、神や仏を信じて、あの世に行けば乗り越えられると思って、心の平穏を得る人は幸せで羨ましい限りであるが、神も仏もあの世も信じていない私にも死期は刻々と近づいてくる。さてどうしたものか。とりあえず酒でも飲むか。




(池田 清彦)

文春オンライン

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