炎鵬の小さな身体を支える“大きな愛”、母が語る「地元に育てられた」わが息子

1月24日(金)17時40分 週刊女性PRIME



 2020年元旦に発表された「西武そごう」の新聞一面広告でも話題を呼び、今や“国民的人気力士”と呼んでさしつかえない存在となった幕内・炎鵬(25)。168センチ、99キロの幕内いち小さな身体を自らハンデととらえず、大きな関取たちへ果敢に向かっていく炎鵬は、この時代にあるべくして登場した人なんだと、あの広告で改めて思わされた。

 多くの人が希望を抱きづらい時代に、胸の中に小さく灯(とも)る希望を炎鵬に託す。やがてその炎が大きく燃え上がることを祈って——そういう、時代が呼んだスターなんだと思う。

■“遠藤先生”への恩返し



 そんな大きな期待を小さな身体に背負わせては申し訳ないが、しかし、炎鵬はプレッシャーとは無縁に(見えて)、初場所も生き生きとしたおもしろい相撲で、勝っても負けても楽しませてくれた。特に19日の対・遠藤戦には感動。相撲を見て感動することは相撲ファンならよくあることだけれど、これには特筆して心底揺さぶられた。

 炎鵬自身、「何も覚えてない」と後から語っていたそうだが、ゾーンに入ったような、ひたすらがむしゃらに、あきらめない無心の相撲に、炎鵬すごい! とテレビに向かって叫んでしまった。

 しかしこの取組には、ここに至るまでの同郷(石川県出身で同じ中学、高校出身)の2人の、浅からぬ縁があった。

「炎鵬関が遠藤関に勝ったのには感動しました。遠藤関が大学4年のとき、金沢学院高校に教育実習に来たんです。“遠藤先生”は2週間みっちり、石川県のインターハイ予選を目指す当時の中村友哉君、今の炎鵬関を指導しました。結果、個人優勝したんです。そして角界入りし、初対戦で勝って『恩返し』したんですね。相撲の世界では、かつての恩師や先輩に勝つことを、そう言います。中村君が県大会で優勝したとき、周りの子たちみんなが『遠藤先生に電話しろ!』と叫んでいたのを思い出します。遠藤先生は中村君をどう迎えていいのか、困惑したのかもしれませんね」

 そう教えてくれたのは、炎鵬を幼いころから趣味のカメラを片手に見守る、地元・金沢在住の松本庄朗さん。実は松本さんのみならず、地元の多くの人に見守られて育ってきたと、炎鵬のお母さん、中村由美子さんは言う。

「私が常々言っているのは、友哉はみんなに育ててもらっているということです。親も含めて、誰だっていい時期ばかりじゃありません。父親が単身赴任でいないときもありました。いつも、ほかの子のお父さんがカブトムシ捕りとか魚釣りに連れて行ってくれたり、『友哉、貸して〜』って言われて、一緒に遊びに連れて行ってもらったこともたくさんあります。

 子どもたちが相撲を続けてこれたのも、周りの人たちのおかげです。最初、地元の神社の相撲大会に友哉の2歳上のお兄ちゃんの文哉が出たときに、友哉みたいな身体の小さな子が泣きながら大きな相手に向かっているのを、お母さんも周りの人たちも『頑張れ!』と応援している光景に、グッとくるものがありました。

 その後、相撲道場の当時の先生に『練習したら強くなれるぞ』と言われ、まず文哉が相撲を始めて、それにくっついて行った友哉も始めたんです。すぐに辞めてしまう子もいますが、通っていた『押野相撲道場』では、うちの子たちをみなさんが可愛がってくれ、私自身にもいろいろな出会いがあって、交流が生まれたことも大きかった。相撲をする子どもたちがいて、それを取り巻く家族の形がみんなそれぞれにあって、それに助けられたんです」



 その話にうんうんうなずいていたのが、炎鵬とは金沢学院大学で同学年、ともに相撲部で戦った古澤大樹さんのお母さんの道子さん。炎鵬のお母さんと一緒に国技館に応援に来ていた。

「相撲は個人競技だと思われていますが、違います。うちの子もそうでしたが、周りのサポートがないと戦えません。先輩も後輩も親も含めて、みんながチームです。誰ひとりが欠けてもダメなチームワークが必要です。選手で出てる子らは意外とずぼらで、脱いだら脱ぎっぱなし、自分のモードに入っちゃって誰とも口をきかない、というのがよくあること。それを当たらず触らず見守り支えてくれる人たちがいて、初めて戦えるんですよ」

■「幸せな親だと思います」



 炎鵬がかつて所属した金沢学院大学相撲部は当初、申し訳ないが弱いチームだったそうだ。でも「今は2部(1部と2部がある)やけど、大会で2部優勝して1部に昇格して、西日本に優勝する」と宣言して切磋琢磨(せっさたくま)。中村(炎鵬)と古澤、今は幕下にいる田辺らが4年生のときに宣言どおりに西日本で団体優勝し、中村は個人優勝も果たした。お母さんたちはほとんどの大会に帯同して支えていた。

「もともと、友哉は負けず嫌いでギャラリーが多いと燃えるタイプだから(笑)。でも、本当にいい風景というか、そういうところを見せてくれ、一緒にお母さんたちみんなで応援できて、幸せな親だと思います」(中村さん)

「でもね、私たちは炎鵬を応援するのはもちろんだけど、炎鵬を支えるお母さんの由美ちゃんを応援してる、という気持ちが大きいんですよ」

 そう言うのは、お母さんたちと一緒に国技館に応援に来ていた長井るみさんと、板野幸恵さんだ。ふたりとも、お子さんが炎鵬と同じ小学校、同学年だった。



「子どもたちが通っていた大徳小学校では当時、“育友会”という保護者の会が盛んで、炎鵬のお母さんの中村由美子さんも私たちも同じスタッフでした。家の蔵からタンスやらひな人形やらトラックで運びだして大規模なバザーを開いて地域の人たちに大人気だったり、“育友会”は金沢ではちょっとした有名なPTAだったんです。由美ちゃんはそうした活動をしながらパートでも働き、友哉たち息子2人を車で『押野相撲道場』まで送り迎えしていて。そういう姿をずっと見てきたから、角界に入ったと聞いて、育友会の流れのままに友哉も由美ちゃんも応援しています」(長井さん)



 育友会からの延長で、大徳小学校では今、長井さんらが「炎鵬ボード」を作って、生徒たちとみんなで応援している。「子どもたちは小柄な炎鵬が勝つことにやっぱり励まされる」んだそう。「それ、炎鵬は知ってるんですか?」と聞いたら、「去年、テレビの取材で大徳小学校を訪ねてくれ、炎鵬ボードも見てもらえました」という。そこに飾る写真などは、現在は東京在住の板野さんがあちこちに出向いて撮ったりもする。

■みんなで見守り、みんなで応援





「子どもたちが小学生のころ、地域は新興住宅地でした。もともと住んでいた家、転勤族、新たに家を建てて移り住んできた人たち。うちは転勤族でしたが、そういう人たちが親も子どもたちもみんな仲よくやっていました。ちょうど大阪の池田小学校の事件があって、防犯パトロールを私たち育友会でやっていて、みんなの子どもを一緒に見守って。炎鵬だけじゃなく、子どもたちが成長してからも、あの子はこうした、ああしたって連絡をとりあってきました。炎鵬が角界入りしたときに、育友会だったメンバーで『炎鵬晃と由美ちゃんを応援する会』というLINEグループを始めたんですよ。だから炎鵬は『地域の子』という気持ちが強いんです。みんなで見守り、応援しています」(板野さん)

 おすもうさんは地元の人が応援してくれることは多いが、なるほど、こんな気持ちがこもっているのか。小さいころから炎鵬を見守り続けてきたお母さんたちは連携し、相撲道に並んで走ってきた。身体の小さな炎鵬は土俵の上でひとりで戦うけれど、決してひとりきりじゃない。その後ろには大勢の人がいて、背中を押しているのだ。

 それにしても、子どものころの炎鵬はどんなだったんだろう? 一緒に応援に来ていた、炎鵬が大徳小学校6年生のときの担任の先生だった、指江柚三子さんにうかがった。

「クラスではにぎやかで元気、ムードメーカー的な子でしたね。モテたか? まだ小学6年生でしたからねぇ。それより、みんなの人気者という感じでした。場を盛り上げるのが上手で、言葉にセンスがある。今と同じです。

 当時、大徳小は英語特区ということで英語の授業をやっていたんですが、ある日、友哉が『Japanって日本のことやったんやー!』と大きな声で突然、驚いたように言って、みんなで『そんなことも知らんかったんか!』と大爆笑したことがあります。

 相撲をやっていたのはみんな知っていて、実は私、腕相撲が強くてあまり負けたことがなかったんですが、友哉とやったら負けてしまいました。組んだ瞬間、あ、強いな、とわかりました。当時から運動は何でもできましたね。ただ給食はあまり食べなかった。それも今と同じなんでしょうか? 周囲に『もっと食べや』と言われていました。私はもう退職していますが、友哉は自慢の教え子で、友哉のいたクラスはとても雰囲気がよくて今でもよく覚えているんですよ」

 へぇ、そうなんですか! と、当時の可愛い友哉少年の姿を思い浮かべる。さらにお母さんにうかがうと、

「いろんなことに興味津々で好奇心の塊みたいな子でした。遊ぶのが上手で、おもちゃがなくてもスーパーのビニール袋をお尻の下に敷いて芝生をすべりおりたり、アルミホイルをボールにしたり、身近なもので工夫して遊びを作っていました。手先が器用で、今も自分で眉毛を整えたり、兄の文哉のもみあげをカットしてあげたりしてて、将来は美容師に? と考えていたこともあるみたい」と意外なことを教えてくれた。



 また、息子が炎鵬と同級生の長井さんは「うちの子と一緒に運動会のリレー選手に選ばれていたんですが、友哉は『絶対に負けんぞ』という顔つきで、すごく印象に残っています。放課後になると近所の用水路でじゃぶじゃぶ遊んでいましたね。由美ちゃんいわく『すっぽんぽんで帰ってきたわー』って」と、ワンパクで元気溌剌(はつらつ)、明るくすくすく育ってきた炎鵬が見えてくる。そして、やっぱり、そんな炎鵬を見守る、みなさんの優しい目を感じる。

■炎鵬のお兄ちゃんだからできること



 炎鵬自身は、こうしたみなさんの応援、知ってるのかな?

「小さいころはすべてが当たり前だと思っていてわからなかったけど、友哉がプロに入ってから僕自身も恵まれた環境や、力になってくれる人がこんなにもいるのか、と改めてわかりました。もちろん、友哉もわかっていますよ」

 断言してくれたのは、やはり国技館に応援に来た、炎鵬の兄・文哉さん。もともと、炎鵬より先に相撲を始めた文哉さんはいま、地元で働きながら弟の活躍を見守る。



「友哉とは相撲の型が似ていて、自分も左差しで顔が左に出るクセとか、右の使い方も全部同じなんで、見ていると状況とか気持ちがわかります。なので、ちょっとでも力になればいいなと思って、気づいたことは言ってあげるようにしています。

 調子が悪くて負けがこんだりしてくると、内容が消極的になってる! とかキレたメールをあえて送ります。先場所の千代丸関にしょうもなく負けたときには『三役になりますとかテレビで言ってるけど、口だけカッコいいこと言ってんな』って送ったら、内容も変わったんで。まぁ、単にうぜぇ兄貴だなと思ってると思いますけど(と、ここでお母さんが『そうそう、思っとるわ』とチャチャを入れてきた。笑)。でも15日間終わってから、ああしておけばよかったなんてのはしょうもない話なので、ちょっとでもできることはやろうって」

 金沢の応援団、最強の応援監督はお兄ちゃんってわけだ。

「プロに入って別人のように身体つきとか変わって、一戦一戦必死こいてやってる姿を見てると、ああ、自分らも頑張らんなんなぁ(頑張らないとなぁ)って思います。僕の同級生も友哉を応援してくれてて、『やるときはやらんな(やるときはやる)』って言って、みんなで刺激をもらってますから」

 小さいときから、ず〜っと応援して見守ってくれている家族と地域の人たち。それにひたすら相撲で応える炎鵬。この流れがずっとずっと続くことを祈りたい。お母さんの由美子さんは「少しでも長く相撲を取っていてほしい。そしていろいろなところで仲間を、チームを、自分でも作っていって」と願っている。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。

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