特異なサウンドにキャッチーなメロディをのせた稀有なバンドDIE IN CRIES、ヴィジュアル系レジェンドとしての功績

2025年1月29日(水)6時0分 JBpress

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回紹介するDIE IN CRIESは、L’Arc〜en〜Cielのドラマー、yukihiroが在籍していたバンドでも知られているが、彼らがどんな音楽を奏でていたのか? 知る人ぞ知る近未来サウンドの全貌を紐解く。(JBpress)


ギターシンセ+5弦フレットレスベース+打ち込みのようなドラム

 今井寿(BUCK-TICK)、潤(PIERROT)、Shun(FANATIC◇CRISIS)……これまで触れてきたバンドのギタリストの話の中で、たびたび登場するのがギターシンセサイザーである。そのアバンギャルドな音色は90年代ヴィジュアル系サウンドを象徴するもののひとつ。今回触れるDIE INE CRIESの室姫深もまた、ギターシンセの名手として欠くことのできないギタリストだ。

 ギターシンセを簡単に説明するのなら、弦振動をデジタル信号に換える装置であり、ギターを弾いているのにアンプからはピアノやバイオリン、はたまた鐘や鈴といった、ありとあらゆる音を出すことができる。

 元を辿れば、BOØWYの布袋寅泰が1本のギターで楽曲に彩りを与えるために様々な音色を作るエフェクターを多用したことが大きい。ジャパメタからニューウェイヴに流行が移っていく中で、ギタープレイも速弾きからトリッキーなことをやる、誰も出したことのないようなサウンドを出すことに重きを置くギタリストが増えていったのである。そういったギタリストは俗に“エフェクタリスト”などと呼ばれた。

 そこで注目を浴びた究極のツールがギターシンセである。ギターシンセはキング・クリムゾンの再結成に参加したギタリスト、エイドリアン・ブリューがギターで象の鳴き声を真似するという突飛なプレイで一気に注目を浴びた。日本では1990年にブリューがギターで動物の鳴き声や独りでオーケストラを奏でるダイキンのCMが放送され、話題になった。

 前置きが長くなったが、そうしたギターシンセと、当時はまだロックバンドでは珍しかった5弦ベース、さらにフレットレスベース、そして要塞のようなセットで人力とは思えぬ無機質で複雑なドラム……という近未来的なサウンドを奏でていたバンドがDIE IN CRIESである。

 リアルタイム世代において非常に熱狂度の高いファンが多く存在し、現在でも、L’Arc〜en〜Cielのドラマー、yukihiro(以下本稿では当時の大文字表記“YUKIHIRO”で統一する)が在籍していたバンドとして名は知られているものの、各音楽ストリーミング配信やYouTubeでの公式映像もないためにその魅力がいまいち伝わりづらいこのレジェンドバンドについて、あえてこの2025年、令和の世に綴っていきたい。


特異すぎるサウンドとアレンジメント

 DIE IN CRIESは、もともとD‘ERLANGER解散後にボーカル、KYOが1991年に始めたソロプロジェクトであった。第1弾作品『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』に、YUKIHIROと室姫深のユニット、OPTIC NERVEが参加。そこにTHE ACEのベーシスト、TAKASHIが加わり、DIE IN CRIESはバンド編成になった。

 ちなみにOPTIC NERVEとは、ZI:KILLを脱退したYUKIHIROが、THE MAD CAPSULE MARKET’Sを脱退した室姫と組んだユニットであり、インダストリアルミュージックやテクノ、EBM(エレクトロ・ボディ・ミュージック)といった前衛的なサウンドを武器としたユニットである。

 DIE IN CRIES、メジャー1stアルバム『VISAGE』(1992年3月リリース)の衝撃。退廃的な雰囲気を醸し、無機的なサウンドが差配する。D’ERLANGERやZi:KILLが確立した黒服直系の美学。UKゴシックロックからの流れを汲みながらも先鋭的で実験的な音が飛び交う。4人で初めて作られた楽曲「RAPTURE THING」は、フレットレスベースのぬめりあるフレーズとエッジの効いたカッティングギターが絡み合うインダストリアルな曲だ。

「水晶の瞬間~to immortality....」のイントロや、「仮面の下の表情」において聴けるTAKASHIの浮遊感と不可思議さが備わったフレットレスベースは、これまでの日本のロックバンドでは聴くことのなかったサウンドであり、KYOの色気あるボーカルと溶け合っている。当時は5弦ベースもフレットレスベースも、ロックバンドで使用されることはほぼなかった。そしてピック弾きが主流の中で、指弾きのスタイルも珍しかった。

 YUKIHIROは無数のシンバルとキャノンタムという胴が長く口径の小さいタムを数多く備えた要塞セットに、ピッチの高いスネアを駆使し、打ち込みかと思うほどの無機質で緻密なプレイを聴かせている。「仮面の下の表情」といった楽曲でのキャノンタムを使ったパーカッシヴなドラミングは聴きどころだ。

 そして、室姫のギターシンセである。このシーンでのギターシンセの使われ方はピアノやストリングスの音を出す、といった飛び道具としての使い方が主流であるが、室姫の使い方は音の拡がりを重視したエフェクター的な使い方が多い。

 冒頭で挙げたギタリストは、わかりやすくギターシンセサウンドを奏でていたが、室姫はギター本来の音とギターシンセの音を同時に発音させ、ミックスさせるという当時は誰もやっていない使い方をしている。

 正直、どれがギターシンセサウンドなのか、ギター弾きであってもじっくり聴かなければわからないだろう。異国の琴のような響きがする「FUNERAL PROCESSION」のイントロや「L.O.V.「 」・・・」のアルペジオフレーズといった、空間系エフェクトの延長線上にあるようなものが多い。

 DIE IN CRIESはこうした器材やサウンド面だけでなく、そのアレンジメントにも特異性が現れている。メジャーデビューシングル「MELODIES」(1992年2月)は、D’ERLANGER「DARLIN’」にも通ずる、硬派でダークさを醸しながらもキャッチーなビートロックナンバーであるものの、平歌のバッキングギターをあえて1コードで引っ張り、Bメロからサビへの起爆力を高めていくという手法が取られている。ギターが動かず、ベースが動きまくることでコードとアンサンブルのうねりを出し、サビで一気に拡がりを出して爆発させることは、ラストシングルとなった「種」(1995年5月リリース)に至るまで、DIE IN CRIESの得意とするものであった。


刹那さと気品に溢れたキャッチーなメロディ

 さらにDIE IN CRIESの特筆すべきところは、サウンド面では誰もやってこなかったマニアライクなことを詰め込んでいるにもかかわらず、キャッチーに振り切った歌モノバンドであることだ。楽器好きの人間を震え上がらせる存在であったと同時に、刹那さと高貴さが醸す気品に溢れたメロディの美しさは、マニアではない音楽好きにも「良い」と思わせる訴求力を持っている。

 室姫の類稀なるメロディメイカーとしての才、KYOのボーカリストとしてのカリスマ性は活動していくなかで爆発していく。「言葉にならない‥‥」、「LOVE ME」(ともに『NODE』(1992年9月リリース)収録)、「to you」(1993年1月リリースシングル)、そして誰もが認める超名曲「LOVE SONG」(1993年11月リリースシングル)など、数多く珠玉の名曲を生み出した。

 また他のバンドには見られない複雑で緻密なアレンジメントも深化。メジャーデビューから2年待たずして、1993年12月には既存曲のリアレンジ再録を主としたセルフカヴァーアルバム『Classique Ave. の飛べない鳩』をリリースするほどであった。

 しかしこうしたバンドの急速な進化はメンバー間のベクトルの差異を生むことになり、1994年にバンドは活動休止。この年は、KYOがボーカリストとしてのポピュラリティを追求するようにソロ作品(シングル2枚、アルバム1枚)をリリース。片や室姫は海外でのオルタナティヴロックの隆盛に呼応するように、ソロプロジェクトとしてBLOODY IMITATION SOCIETYを結成、始動させている。

 そして翌1995年に活動を再開させるも、7月2日の東京ベイNKホール公演にて解散する。解散決定後に制作されたラストアルバム『Seeds』(1995年6月リリース)は、実に興味深い作風になっている。

 先述のDIE IN CRIESらしいキャッチーな最新ナンバー「種」然り、KYOのソロプロジェクトだった時代の楽曲「NERVOUS」の最新アレンジ、そして初期の雰囲気を持ちながらもどこか明るい響きに変化したKYOの声色が聴ける「太陽をまちながら」、良い意味でも悪い意味でも4人の不協和音が響く「輪舞〜ロンド」といった、クオリティは高いが物議を醸す楽曲が揃い踏みであった。

 前衛的で無機的な音楽性とサウンドを武器としていた彼らが、活動を重ねていく中でよりバンドらしくなっていった。だが、『Seeds』は本来バラバラの素養を持っていた4人がそれぞれのやりたいことを持ち寄っており、いい意味でのファンへの感謝といった懐古的なものは一切ない。音楽探究の結果というべきものだ。逆にいえば彼らの公約数の限界がここにあったのかもしれない。。


衝撃のラストライブ

 そんな個性的な4人が最後のぶつかり合いとして残された作品が『LAST LIVE「1995.7.2」』である。タイトル通り先述の東京ベイNKホールでのラストライブを収録したものだ。音源と映像作品がリリースされているが、音源はCD2枚組で全曲が収録されている。4人の演奏者としてのスキルの高さ、バンドアンサンブルの高度なせめぎ合いを存分に堪能できる作品だ。

 DIE IN CRIESは音源を聴いているだけでは、ライブでどう演奏するのかまったく想像のできないバンドであるが、ライブ音源を聴いても映像を見てもどうやって演奏しているのかよくわからない。YUKIHIROの千手観音のようなドラム捌き、TAKASHIの5弦をフル活用したあり得ないフレージング、室姫の鮮やかで奇抜なサウンドながらも絶対に歌を邪魔することなくも耳に残るフレージング。そしてありったけの声量で咆哮するKYO、という紛れもなく、レジェンドバンドの姿がここにある。

 私の著書『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』(2022年 星海社新書)で詳しく触れているのだが、この『LAST LIVE「1995.7.2」』映像には衝撃的なラストシーンが収められている。

 最後の楽曲、2度目の「NERVOUS」を演奏し終わると、室姫が愛器でありトレードマークであった“♂♀”ペイントの自身のシグネチャーギター、フェルナンデスのMT-DCを客席に放り投げてしまうのである。

 90年代シーンを象徴するペイントされたシグネチャーモデルを手放す行為は、彼にとっての“脱ヴィジュアル系宣言”であると同時に、洋楽オルタナティヴロックへの傾向の情勢を表したもの、ヴィジュアル系黎明期の耽美な黒服系からミクスチャーロックへ移り変わっていくシーンを象徴する場面でもあった。実際、DIE IN CRIES解散後、室姫は“児島実”と名を改め、オーセンティックなギターを手にしてBLOODY IMITATION SOCIETYを本格始動させた。


ヴィジュアル系のレジェンドとしての功績

 音楽性としてのDIE IN CRIESに触れてきたが、ヴィジュアル系アイコンとしての彼らの存在も大きい。ミュージックビデオを中心に映像作品を多くリリースしたバンドである。蝋燭に囲まれた中で淡々と演奏する「MELODIES」、スチームパンクの世界観を体現した「Nocturne」、さらには「Funeral Procession」の海辺や「to you」の樹海といったアポカリプスの退廃美を演出するなど、いわゆる“ヴィジュアル系バンドのミュージックビデオ”のパブリックイメージを作ったバンドといっていい。

 逆毛や横に流すヘアスタイルが主流の中で、KYOのサラサラヘアや、YUKIHIROの襟足の短い短髪も珍しかったし、室姫の軍服姿もヴィジュアル系ファッションに大きな影響を与えた。加えて、そうしたビジュアルや世界観を徹底的に作り込んでいたにもかかわらず、ノーメイク&私服姿も多く見せていたバンドであった。ライブでのオフショットやレコーディング、はたまた取材風景など、飾らない姿をためらうことなく見せていた。

 1995年7月、その人気も実力も絶頂の中で解散したレジェンドバンド、DIE IN CRIESであるが、2001年秋、ソロ活動をしていたkyoと室姫が再び交わることになるのだが、それはまた別の機会にでも。

筆者:冬将軍

JBpress

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