『べらぼう』現代とは大きく違う江戸時代の出版界や本屋の仕組み、書物問屋と地本問屋、本屋仲間、出版取締令の内容
2025年2月3日(月)6時0分 JBpress
(鷹橋忍:ライター)
大河ドラマ『べらぼう』では、主人公・蔦屋重三郎が江戸の出版界に足を踏み入れ、悪戦苦闘している。江戸の出版界や本屋は、現代とは大きく違う部分もあり、聞き慣れない用語も出てくるため、少しややこしく感じるかもしれない。そこで今回は、用語も踏まえて、江戸の出版界や本屋の仕組みを紹介する。
江戸時代の本屋
出版と卸売(取次)と小売は基本的に別である現代と違い、江戸時代の本屋は、一般的に版元(出版社)を兼ねていた(小売専業の本屋もあり)。
本屋では、貸本業を営むことも、古書を販売することも、さらに本の修理も、普通に行なわれていた。
薬屋や文房具店など、他業種との兼業も当たり前だった。
なお、当時は本に定価はなかったという(以上、鈴木俊幸『本の江戸文化講義 蔦屋重三郎と本屋の時代』)
書物問屋と地本問屋
江戸の版元は享保年間(1761〜1736)に、取り扱う出版物の内容によって、「書物問屋(しょもつどいや)」と、「地本問屋(じほんどいや)」に二分されたという(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。
書物問屋は、歴史書、儒学書、医学書、仏教経典など堅い内容の本を扱う。
書物問屋の代表的人物は、江戸一の大書商と称される須原屋茂兵衛(すはらや もへえ)で、里見浩太朗が演じる須原屋市兵衛は、茂兵衛の分家である。
対して地本問屋は、草双紙(絵入りの娯楽本)、浄瑠璃本、錦絵(浮世絵)など、書物問屋に比べて、娯楽性の強い出版物を扱う。
これらは江戸で出版されており、江戸生まれの「地物」ということで、「地本」と称された。
蔦屋重三郎も、片岡愛之助が演じる鱗形屋孫兵衛も地本問屋である。
ちなみに、「問屋」は「卸売商人」の呼称だ(佐々木克朗『江戸時代中後期における富裕商人の活動に関する研究 株仲間と酒田本間家』)。
書物問屋は全国的な流通組織を誇っていたが、地本問屋は地本がいわゆる地産地消(生産された地域内で消費すること)であるため、流通網は江戸限定の狭いものであった。
地本問屋が出版物を他国で売り出すためには、書物問屋仲間を通じて、「売弘め」を願い出たうえで、さらにその地の売弘め許可を取る必要があったという(鈴木俊幸『蔦屋重三郎』)。
蔦屋重三郎は寛政3年(1791)、数えで42歳の時、後述する「書物問屋仲間」に加入するが、江戸外への広域的な流通網を欲したのも、加入の理由の一つだと考えられている。
書物問屋と地本問屋は次に述べる「仲間」と呼ばれる組織も、基本的に別個である。
仲間と株仲間
本屋を含む各業種の問屋商人が、営業権の独占など自分たちの利益を守るため、自主的につくった同業者組合を、「仲間」という(佐々木克朗『江戸時代中後期における富裕商人の活動に関する研究 株仲間と酒田本間家』)。
加入にあたり多額の入会金をとったり、店を借りようとする者の妨害をしたり、流通経路を独占し、「買占め」や「売惜しみ」をし、経済が不安定になったことなどにより(鈴木敏夫『江戸の本屋(下)』)、当初、幕府は仲間組織の結成を認めていなかった。
ところが、八代将軍・徳川吉宗の時代、物価統制策の一環として、仲間組織結成を解禁する(橋口侯之介『続和本入門 江戸の本屋と本作り』)。
冥加金(みょうがきん)・運上(うんじょう)という事実上の営業税の上納を条件に、商人や職人の仲間組織結成を公認し、営業の独占を認めはじめた。
認められた営業の独占権を「株」、その仲間を「株仲間」という(以上、『詳説 日本史研究』)。
後に渡辺謙が演じる田沼意次は、株仲間の促進策をとり、冥加金・運上の対象を拡大し、幕府財政の増収を図っている。
本屋仲間
町奉行所から仲間結成を命じられ、享保6年(1721)8月、江
江戸だけではなく、京都書林(本屋)仲間は享保元年(1716)、大坂本屋仲間は享保8年(1723)に、それぞれ公認されている(以上、今田洋三『江戸の本屋さん』)
仲間への加入により、「本屋仲間株」が取得できた。
株は売買や譲渡のみならず、抵当権の設定、質入れも可能であったという。
本屋仲間は仲間株の他にも、現在の版権にあたる「板株(はんかぶ)」も、もっていた。
なお、享保の段階では、地本問屋は仲間結成を命じられていない。
江戸の地本問屋側の仲間が幕府に公認されるのは、寛政2年(1790)になってからである(以上、橋口侯之介『続和本入門 江戸の本屋と本作り』)。
栄える地本の出版
江戸書物問屋仲間が公認された翌年の享保7年11月(一説に12月16日)、江戸出版史上において最も重要とされる出版取締令が出された。
①新刊の書物にみだりに異説などを取り混ぜない。
②既刊の好色本は、内容を改めるか、だんだんと絶版にする。
③人の家筋や先祖の事を、書物に記すのを禁じる。
④今後、出版されるすべての書物の奥書に、作者・版元を実名で記すこと。
⑤以後、権現様(徳川家康)はもちろん、徳川家に関する書物の出版を禁じる。もし、どうしてもというのであれば、奉行所の許可を受けること。
以後、新刊本を出版するか否かは、幕末までこれを基本法令として、判断された。
判断は幕府ではなく、その業務を委託された江戸書物問屋仲間が下している。
だが、仲間結成を命じられていない地本問屋が扱う出版物は、ノーチェック状態であったようだ。
地本の出版はますます栄え(以上、安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)、やがて、江戸出版界は「メディア王」蔦屋重三郎を迎えることになる。
筆者:鷹橋 忍