<国を閉ざして昭和の価値観で運営してきた>から日本は衰退した?経営コンサル「犯罪率も失業率も異例に低い日本。一方、グローバル経済をやってきた欧米はといえば…」

2025年2月6日(木)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

SNSやメディア上で、日々多くの言い合いや論争が繰り広げられる現代。「自分と異なる意見を持つ相手を『敵』と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。大事なのは『立場を超えて協力しあう視点をいかに共有するか?』という<メタ正義感覚>だ」と語るのは、経営コンサルタント・思想家の倉本圭造さんです。今回は、倉本さんの著書『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』より一部引用、再編集してお届けします。

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日本経済はなぜダメになった?


経営コンサルタントの仕事をしていると言うと、プライベートで出会った人などから少し挑戦的に(あるいは好意的な雑談の一環として)、

「日本経済ってなんでこんなにダメになっちゃったんですか?」

……と聞かれることが結構あります。

そんな複雑な問題を、天気の話をするかのように聞かれても困りますよという気持ちにはなりますが、ざっくり述べると、

〈昭和の価値観・社会の運営方法のまま、ずっと変えられずにここまで来てしまったことが大きいのではないか〉

……という話をすることが多いです。

とはいえ、では2000年代初頭のタイミングで日本社会が「もっと“カイカク”が必要だ!」という掛け声の嵐の中に飛び込んでいけていたら良かったのか? というとそうでもないと思っていて、「これからの飛躍」のためには「これまでの停滞」も必要だったのだ、というように理解するべきだと考えています。

どういうことでしょうか?

菊陽町やニセコが「世界の普通」


半導体投資で沸く熊本県菊陽町や、ウィンターリゾートとして活況を呈している北海道のニセコの話を、ニュースなどでお聞きになった方もいるかと思います。

豊富な再エネと安定した原発の稼働による安価な電力や、水源の豊かさなどが注目され、世界的半導体企業であるTSMCをはじめとし、ソニーグループなどの関連工場も次々進出する熊本県菊陽町。

恵まれた雪質と、新千歳空港からのアクセスが注目され、国際的なスキーリゾートとして開発が進んできたニセコ。なかには清掃業などの仕事でも時給2000円を超える例があるようです。東京以上の高額時給ですね。

これは非常に特殊な例のように見えますが、グローバルな経済の流れに自然に乗っかっていくと、ある程度こういう感じにはなるものだと私は感じています。

ここ20年、日本は言葉の壁もあって世界経済の流れとは遠いところで自分たちだけで引きこもり気味に経済を運営してきましたが、例えば英語圏の国などは問答無用にこういう流れに呑み込まれ、そこら中に菊陽町やニセコのような存在があると考えてみましょう。

それらの国と経済発展の度合いを数字で比べれば、日本が劣後するのはまあ当然といえそうですね。

では、過去20年の日本の不調は、過去の延長にこだわって国を閉ざし内向きにグダグダと惰性の運営をしてきた“昭和の殿さま”たちが100%悪い! ということになるのでしょうか?

その問いに対する本記事の答えは「NO」です。そういう片方だけからの発想では日本に横たわる本当の課題を解決することはできません。

グローバル経済に開かれるとは格差が拡大し社会が病むことでもある


「普通にグローバル経済やってました」というような欧米の国と比べると、日本社会はなにより安定しています。

犯罪率はとにかく低いですし、失業率も異例に低い。欧米(特にアメリカ)でよくあるような、都市の中心部で薬物中毒者が徘徊しているということもほとんどありません。

まだまだ製造業が頑張っている土地も多く、一握りのインテリに限らず幅広いタイプの職業人の自己効力感が生きており、アメリカのラストベルト(錆びついた地域)と呼ばれるエリアのように、地域全体が無力感と恨みをため込んで、巨大な政治的不安定さの原因になってしまっているということもない。

経済が世界一レベルだった全盛期に比べれば、全体として緩やかに衰退しているのは明らかですが、過去20年のグローバル経済に裸で飛び込んでしまった国が抱え込んでいるような解決不能の問題からは距離を置くことができているでしょう。

そういう意味で、「過去の日本をぶっ壊せ!」と言うだけでその先のビジョンは特になく、「アメリカみたいになんでできないの?」と言うだけでその先を具体的に考えなかった平成時代の「もっと“カイカク”が必要だ」という論調をシャットアウトしてきた意味もまた、あったのだという捉え方が必要なのです。

ネオリベ政策


とはいえ、このような現状認識に反論がある方もいるかもしれません。

目先のカネのことだけを考えて自分たちの紐帯をグローバル資本に売り渡した売国自民党政権によるネオリベ政策で破壊され尽くしてしまったのが今なのでは? と考えている人も一部にはいるでしょう。

ちなみに「ネオリベ」というのは、シカゴ大学の学者グループなどを中心とする経済学の一つの学派としての新自由主義(ネオリベラリズム)がもとになっている言葉ですが、今では新自由主義経済学を離れて「庶民の敵」「“売国奴たち”」を表すざっくりとした悪口言葉になってしまっていますので、本記事では“そういう意味”で使います。

もちろん、1億人以上の人口がいて、平成時代の前半には世界第2位のGDP(国内総生産)規模を持っていた日本は、例えば北朝鮮のように“グローバル経済の普通”を全面拒否できたわけではありません。

しかし冷静に日本政府の政策を見ていけば、解雇規制は一切緩和されなかったし、毎年何十兆円と社会保障費を税金から補填し続けたし、移民の大量導入にもNOを言い続けてきたし……と、諸外国でネオリベ(新自由主義経済学)とイメージされるような政策はほとんど実行されずに来たのも事実だと言えるでしょう。

“割を食う”立場がダメージを一手に引き受ける


ただそれでも、日本が諸外国よりも悪辣なネオリベ政策を取ってきたように見えるとしたら、その政策で得をする人と損をする人がイビツな分布になっていたことが理由だと考えられます。

社会の安定性をグローバル経済の荒波から守るために、ほぼ世界一だった「昭和の経済大国の遺産」を冷凍保存して食い延ばすような政策を行ってきたので、その恩恵の行き渡り方が独特のイビツな分布になってしまっている面は確かにあります。


(写真提供:Photo AC)

具体的にいえば、いわゆる伝統的な大企業の正社員や公務員の立場はものすごく守られる一方で、その完璧に守られた椅子と千変万化する経済の荒波とのギャップは全て、派遣社員のようなかなり不安定な立場の人たちが“衝撃吸収材”としてダメージを一手に引き受けさせられる構造になってしまった側面がある。

また、よく指摘されるように、離婚したシングルマザーのような立場の人が色々な意味でシワ寄せを受けて苦労する社会の構造になっていることも事実でしょう。

そういう過去20年の間“割を食う”立場になってしまった人が、今の日本の秩序を憎悪する気持ちになることは、大変理解できることですし、一種の正当性のようなものもある。

「本物のネオリベ政策」に飛び込んでいたら?


しかしそういう人たちですら、日本国全体が「昭和の経済大国の遺産」を食い延ばすことで毎年巨額の経常黒字を維持し続け、世界1位の対外純資産を積み上げてきていることの恩恵を、実はかなり受けているんですよね。

「日本国全体としては稼げている」状態を必死に維持してきたからこそ、国家の債務のGDP比率が世界一にまでなっても問題が顕在化しなかったともいえるわけです。

そうやって大きな財政支出を継続して行い、社会の安定を維持し続けてきた過去の日本の政策は、押しつけがましい言い方になるかもしれませんが、ある意味で“割を食う”立場になってしまった人のためでもあったのです。

なぜなら、もっと徹底した「本物のネオリベ政策」に飛び込んでいたら、そういう人たちの生活は今よりもさらにもっと悪くなっていたことは容易に想像できるからです。

もちろん、“割を食う”立場になってしまった人は日本社会に対して貸しがあるといっていいと私は考えていますし、そういう人たちが自分の取り分を主張していくことは大変大事なことです。

しかし、損な役割を担わされた人たちのニーズを満たしていくためにも、現実に日本国の取ってきた針路が、単に自民党の利権のためだけではなく、日本社会全体のためのものであった側面をも、丁寧に理解することが必要なのだと考えていく必要があるのです。

※本稿は、『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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