立憲民主党は「実質賃金が低下した」、自民党は「若者の就職内定率が改善した」と主張する<アベノミクス>の実績。経営コンサル「自分たちを安売りする方向に動き、最先端技術分野からは多少脱落気味になったが、それでも…」
2025年2月7日(金)12時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
SNSやメディア上で、日々多くの言い合いや論争が繰り広げられる現代。「自分と異なる意見を持つ相手を『敵』と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。大事なのは『立場を超えて協力しあう視点をいかに共有するか?』という<メタ正義感覚>だ」と語るのは、経営コンサルタント・思想家の倉本圭造さんです。今回は、倉本さんの著書『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』より一部引用、再編集してお届けします。
* * * * * * *
悪夢の民主党政権? 地獄の自民党政権?
20世紀型の「論破という病」に毒されていると、現状認識自体が「自分たち善人と悪のあいつらとのたたかい」になってしまって、複雑な現象を過剰に単純化した二項対立でしか理解できなくなってしまいます。
例えば、バブル崩壊後の日本はアメリカやイギリスのような二大政党制が民主主義のあるべき姿だと思い込んで、なんとかそういう形になるように動いてきたので、どちらの支持者かによって、そもそも現状認識自体が真っ二つになってしまう傾向があります。
結果として、次に述べるような二つの交わらない世界観が、SNSの中では虚しく分離したまま空中を漂っています。SNSにおける政治議論がお好きな人なら、必ず見かけたことがあるでしょうし、どちらか片方の世界観に熱中していた経験がある方もいるかもしれません。
2022年以後、世界的インフレや円安などの変化の時代以後の評価はまだ定まっていない部分があるので、それ以前の、「アベノミクスに賛成か反対か」といった牧歌的な二項対立が続いていた時代の話を考えてみます。
野党の批判と与党のアピール
アベノミクス期の経済への批判として、以下のような数字の出し方をするのは一つの“定番”としてあります。
下図は、2021年に立憲民主党が政策パンフレットに載せていた図ですが、このように、1990年代の「強い日本経済」の時代から、日本では実質賃金が延々と低下してきているが、他の国(特に韓国など)では強く伸びている——これはアベノミクスが亡国政策だったことを証明している——というような議論を聞いたことがあるでしょう。
2021年に立憲民主党が政策パンフレットに載せていた図<『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』より>
一方で、同じ時期の選挙公報として、自民党側は「アベノミクス6年の実績」というウェブサイトを作っています。
ここでは、
・若者の就職内定率が過去最高水準
・中小企業の倒産が28年ぶりの低水準
・正社員有効求人倍率が(2004年の調査開始以来)史上初の1倍超え
・国民総所得が過去最高の573.4兆円
……といった実績がアピールされています。
『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』(著:倉本圭造/中央公論新社)
特にこの若者の就職内定率の大きな改善と、中小企業の倒産件数の低下というあたりは主観・体感的にもかなり民主党時代とは変わった部分で、それが第二次安倍政権以降の基礎的な支持を固める要因になっていたとはよくいわれることですね。
両者で見ている世界が違うワケ
さて!
ここからが問題なんですが、なぜここまで野党支持者と与党支持者で見ている世界が違うんでしょうか?
これは「どっちかが嘘をついている」んでしょうか?
そうではありません。これはどっちも現実なんですね。見る角度が違ったら同じものでも違って見えるという現象にすぎない。
ざっくりというと、民主党政権末期に円高になりすぎて産業空洞化が懸念されていたところ、アベノミクスは円安に誘導して、とりあえず国全体で「安売りしてでも仕事を取ってくる」状態にし、みんな忙しく働けるようにした……という因果関係があるので、
・雇用の「量」的な面でいえば圧倒的に改善している
・雇用の「質」的な面でいえばかなり厳しい状況に追い込まれた
……となるのは表裏一体のことで、どちらも真実の現象としてある。つまり「どちらも嘘を言っているわけではない」のです。
民主党時代の路線を進んでいたら……
民主党時代の路線のまま突き進んでいたら、地方の製造業の蓄積といったものはかなり壊滅的なダメージを受けていたでしょうし、アメリカのラストベルトと呼ばれるような地域が日本中のあちこちに生まれていたでしょう。
もちろん、そちらに進めば今の日本よりも“平均賃金が高い”国になっていた可能性はあります。しかしそうなるためには、今のアメリカが実現しているような、最先端技術分野に膨大な金額を投資し、どこの国にも負けない勝ち筋をオリジナルに切り開き続けることが必須でした。
そのハイリスク・ハイリターンな道を日本は進むべきだったでしょうか?
理屈としてはありえる方向性だと思いますが、一方で当時の民主党は、最先端技術分野の研究費用を「2位じゃダメなんですか?」とか言って削るような方向性だったわけですよね。これでは、最先端技術一本で世界で戦っていく徹底的にオリジナルなビジョンを当時の日本が持てていたとはお世辞にもいえないでしょう。
結局、とりあえず自分たちを安売りする方向に動き、最先端技術分野からは多少脱落気味になってしまったけれど、いちおうまだ世界一の自動車産業を中心とした地方の製造業を崩壊から守り、経常黒字を積み上げ、日本という共同体を必死に守ろうとしてきたアベノミクス期の日本のことを、フェアな目で見て私は責められないと思います。
※本稿は、『論破という病-「分断の時代」の日本人の使命』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
関連記事(外部サイト)
- 経営コンサル「ホリエモンのテレビ局買収が頓挫したのが、日本経済のターニングポイントと考える人もいるが…」<とりあえずの共通了解としてのテレビ局>の価値を考える
- 「ひろゆき型ネット論壇」蔓延前まで、インテリが敬意を払いあいながら有意義で含蓄ある議論をしていた…ってホント?経営コンサル「象徴的な事件<高齢者は集団自決するしかない発言>を今一度振り返ると…」
- <国を閉ざして昭和の価値観で運営してきた>から日本は衰退した?経営コンサル「犯罪率も失業率も異例に低い日本。一方、グローバル経済をやってきた欧米はといえば…」
- 脳科学者・中野信子 なぜ「論破したい」という欲求に抗う必要があるのか?「一度きりの勝利」を求めれば人はむしろ危機になりかねない
- 脳科学者・中野信子 なぜ京都人は「本音」を隠して「人間関係」を重視できるのか?本音で傷つけ合うのが最善のコミュニケーションとは限らない